Archive for the Essay 2012-2022 Category

My Drawing Photo on June 4, 2022

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 4 June 2022 by kenwada

My Drawing Photo on June 4, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

Untitled 2022 No.3 と No.4 の一連の制作過程を通して、①達成できたこと、②達成できなかったこと、それに加えて、③気づいた様々なことをもとにして、5月31日から、また新しい制作に入りました。
その目的の達成のために、今回は、小さめのF20号のキャンバスを用意し、4枚を同時に制作しながら、並行して展開させていきます。
ドローイングは、一日一日、まったく違う顔や表情を見せてくれるので、とても楽しいです。
「さあ、ここからまた長い旅を頑張るぞ!」という感じですね。

2022年6月4日
和田 健

My Drawing Photo on May 7, 2022

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 14 May 2022 by kenwada

My Drawing Photo on May 7, 2022
Acrylic on canvas, 32.0×39.5 in. (80.3×100.0 cm)

完敗!
結局、このあと、毎日の制作を続けながら、次第に次の一手が見出せなくなり、昨日5月13日になって、まるで首根を押さえつけられたかのように、まったく身動きがとれなくなり、ついに2枚とも屈辱的な敗北である没作品に終わりました。
今日これから、キャンバス2枚とも、全部黒でつぶして、また改めてゼロから、新しいテーマでやり直します。
油断はしなかったし、気力はむしろ充実していたし、作品にもっていけなかったのは何なのだろう?
この期間の日々の奮闘や努力は、いったい何だったのだろう?
絵画は、本当に難しい。
作家本人が、これまでに積み重ねてきた熟練や経験、引き出しといったようなものを、絵画は、激しく拒絶してくる。
いつまでも万年1年生であれと、要求してくる。
さらに言うと、1年生でいれれば、まだいい方で、毎日がまるで入学式当日のような新鮮な初心を忘れない無心な気持ちでいろと、要求してくる。
それは人間だから無理でしょ、そんな人間に出会ったこともないし。
でも究極のところ、芸術関係は、毎日が入学式のような心のもち方でいないといけないのだと思います。
それが真実なのではないでしょうか。
そこで何年も絵を描き続けている人の作品よりも、そのあたりの小学生が、夏休みの宿題に描いた絵の方が、インパクトがあるなんていうことが、実際に起きてくる。
それは不思議でも何でもなくて、絵画がその本質である「入学式」をついてくるからです。
つまり、制作のスタートなんです。
勝負は、スタートの「時点」で、すでにもう決まっているのですね。
ですから、「マイナスからのスタート」(これでは意味が通じませんので、少し説明が必要ですが)は、必ず身につき、ものになり、大成します。
それから、制作過程で、いったんこの先のレールが見えたと思って、それに思わず乗っかると、つまり、絵画の方に引きずり込まれてしまうと、次第に行き詰まってダメになる。
その兼ね合いが、本当に難しい。
そしてダメになると、これまでの仕事を、ただの徒労にしたくないものだから、人間は、姑息な手段を用いてでも、帳尻を合わして、何とかして没作品にならないように、自然としだします。
そうなれば、もうおしまいですね。
自分に「とっととつぶして、さっさと出直してください」と言いたい。
さらに考えます。

2022年5月14日
和田 健

追伸:
僕は専門外でよくわかりませんけれども、心理学などで、変な(というのは失礼な言い方だな)性格診断テストなどをやるよりも、もっと絵を描かせたらいいのになと、時々思います。
絵だと、愛してもいないのに、愛してます、なんて絵は描けません。
技量に優れていて、仮に描けたとしても、嘘だなと観てすぐにわかります。
絵は、言葉や文章よりも、嘘がすぐにわかります。
それは、おそらく絵画の方が、言語よりも、より原始的な要素を多く含むからではないでしょうか。
そして、その生涯を通して、嘘のない作品を描き続けた人をもって、偉大な芸術家というのではないでしょうか。
モネ、ボナール、マティス、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ジャコメッティ・・・、皆、どの作品を観ても嘘がないですね。
もちろん、嘘がないなどという失礼なレベルではなく、皆、何とか真実に迫ろうとして、そんなこととは、生涯無縁の、切羽詰った死に物狂いの人生を送っています。
そこのところです、大切なのは。
世間には何か絵のうまい人をもって、偉大な芸術家と思っている方が、いまだに若干いらっしゃるように思いますが・・・、それは僕の思い過ごしでしょうか?

さて、先ほど、実際に2枚とも黒でつぶしました。
感想ですか?
不思議なほど、何もありませんでした。
いつものことなので、仕事として慣れているということもあると思います。
あえて言えば、何か喪に服するとでもいった感じが少ししました。
さあ、また明日から新しいスタートです。
‘We will rise again’ です。

My Drawing Photo on May 6, 2022

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 7 May 2022 by kenwada

My Drawing Photo on May 6, 2022
Acrylic on canvas, 32.0×39.5 in. (80.3×100.0 cm)

My Drawing Photo on May 5, 2022

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 5 May 2022 by kenwada

My Drawing Photo on May 5, 2022
Acrylic on canvas, 32.0×39.5 in. (80.3×100.0 cm)

連日、制作が続きます。
ここへきて、ようやく形が少しだけ見えてきました。
紫色、黄色、オレンジ色の組み合わせで、並行して、もう一枚制作中です。

2022年5月5日
和田 健

My Drawing Photo on April 14, 2022

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 15 April 2022 by kenwada

My Drawing Photo on April 14, 2022
Acrylic on canvas, 32.0×39.5 in. (80.3×100.0 cm)

今日のドローイングは、昨日のキャンバスとは別のキャンバスです。
バーントアンバーの雑塗りをしましたが、青地の下には、ローアンバー→ジョーンブリヤン→オレンジと、3日間かけて積み重なっています。
いかがでしょうか。

僕は眼も半分見えなくなったし、もうパブロ・カザルス(1876-1973)としか、仕事をしない。
最近、よくそう思うようになりました。
もちろん、言うまでもなく、比喩的な意味合いにおいてですが。
カザルスは、非常に精神性が高い、稀に見るくらい高い。
そして彼は、完全に精神性とだけ生きている。
是非、彼の1971年の国連での「peace、peace、peace」の演説と合わせて、「鳥の歌」を聴いてください。
また、南仏 Prades の自宅で、教え子の女性のインタビューを受けるドキュメンタリーも、人間味にあふれて素晴らしいです。
インタビューも終わり、2匹の犬の散歩に出かける何気ないラストシーンが、また素晴らしい。
以上3点、すべて YouTube で、どなたでも簡単に観ることができます。

今、毎日、本当に少しずつですが(もう以前のようにガバッとは読めません)、大型の拡大鏡を使いながら、再読を進めている「ヨゼフとその兄弟たち」(昭和33年発行の新潮社版で全6巻です、ただ今弟4巻まできました)の作者トーマス・マン(1875-1955)や、カザルスのような極めて高い精神性とだけしか仕事をしたくない。

残りの人生は、何としてもそうしたい。
そういった人間をこそ、目標として生きていきたい。
そうしないと、やがて取り返しのつかないくらいの悔いが残る。
本当にそう思うのです。

ちなみに、遅読と言うのでしょうか。
1日にわずかなページ数しか読めないと、逆にいろいろなことを感じるようになりましたが、これにつきましては、また別の機会にいたします。

2022年4月14日
和田 健

My Drawing Photo on April 13, 2022

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 14 April 2022 by kenwada

My Drawing Photo on April 13, 2022
Acrylic on canvas, 32.0×39.5 in. (80.3×100.0 cm)

下地にグリーン、その上に雑塗りのオレンジ、さらにその上に雑塗りのブルーをかぶせる。
明日、上からまずバーントアンバーの雑塗りを味わいながらチェックした後、何か他の色のべた塗りで全部消そう。
その時、思わず吐き気を催すような、その日、自分が最も使いたくない色をあえて塗ると、使いこなせる色の領域が広がる。
そして、雑塗りからベタ塗りに、必然的に移行する訳だから、同時に、途中経過でその色の雑塗りも試せる。
人間は、放っておくと、その人の好きな傾向の色を、自然と使いたがるため、どうしても偏りがでる。
その打破のための一方策。

絵画は、まずは第一に何と言っても「環境」を整える。
(この場合の「環境」が意味するものが、これでは漠然としていて曖昧で伝わらないと思いますが、今、そのことが主題ではないので、ここではその説明は、素っ飛ばします。)
自分にできる範囲で環境を整えたら、次に、その日の制作メニューやプログラムが、創意工夫に満ちて斬新であるかどうかを、常に自分に問う。
「今日の制作メニューはユニークで斬新か!?」
「それとも昨日までやっていたのと同じような、言わば旧態依然としたものか!?」
毎日、斬新はできない。
でも毎日、新鮮な気持ちで向かうことはできる。
そのために、「創意工夫」「自由」「特異」「特殊」などの要素を尊重する。
「異端児」であれ。
要は、自由に伸び伸びとやる。
勝手に脳にまかせる。
制作の方向性を定めない。
だけれども執拗にやる。
そうして色と形の組み合わせの引き出しを、毎日少しずつ増やしていく。
これに基礎基本の反復の要素を加え、細かく、細かく、繰り返し、繰り返し、地道に、地道に。
そしてそれらを必ずメモし、記録を積み重ねていく。
特に僕は、忘れやすいから。
今現在、僕は、毎日こんなことを考えて制作しています。
絵画制作=こんなに面白い仕事、はちょっと他には、あまりないように思いますので、これからもでき得る限り大切にしていきたいと思います。

2022年4月13日
和田 健

何とか現役を続けます!どうぞよろしくお願いいたします

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 1 April 2022 by kenwada

Photo : My desk in the studio, March 24, 2022

何度も何度も入念に確認しました。
そして最終的に、3月に2点の作品が仕上がったことにより、何とかぎりぎりのぎりぎりですが、現役を続行します!
この間、昨年末以来、皆様には、大変なご心配をおかけいたしました。
そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ただし、左眼にも加齢黄斑変性が出た場合、その日をもって引退しますので、何一つ大きなことは言えません。
大手を振って、道の真ん中を行くようなイメージは全くありません。
何とか道の端っこをとぼとぼと歩きながら、細々とでもよいので続けていけたら・・・、という感じです。
眼の状態が、日によってあまりにも不安定で、一日一日違うものですから、自信がもてません。
それでも、もしあと、5年描き続けられたら、かなりいろいろなことができます。
もしあと、10年描き続けられたら、こんなに幸せなことはありません。

昨年末から続いた息苦しいような長く暗いトンネルの中で、僕は本当にいろいろなことを考えさせられました。

①この機会に、絵のスタイルが大きく変わるように思います。
人間はどんどん変化していく生き物ですから、その自分の変化を、せめて自分くらいは認めてあげたいです。
自然な変化を受け入れて、チェンジして、また新しく作品を作り出していきたいです。

②作品数は、これまでのようにたくさんは描けません。
大幅に減ると思いますが、その分、一枚一枚を大切に丁寧に慈しんで描いていきます。

③それから眼の負担を考慮して、今月のニューヨークを最後に、思い切って展覧会を全部やめます。
作品は、基本的にこのサイトで観てもうらうだけにします。

④サインもこれまでの wada から、眼の負担の少ない w の一文字に変えようと思います。

⑤作品の写真につきましては、今までは納得がいくまで、何枚も何枚も写真を撮っては、その中でベストな写真を選んで掲載してきましたが、この一連の作業が長い期間の中で、だいぶ眼を痛めました。
これからは作品の掲載写真については、<大体やアバウト>を基本にします。
おおよそのイメージが伝われば、<それでよい>くらいにします。

日常生活では、できないことが増えて苦しい状況ですが、自分の仕事が続けられて、言葉にできないくらい本当に幸せです!
失ってしまったものはあまりにも大きいですが、変化を受け入れて、規模を縮小して、少しずつ何とか生きていけるように工夫していきます。

現代医学の進歩がなければと言いましても、そんなに昔のことではありません。
ほんの10年前まででしたら、完全に失明していました。
僕が、そのことをこれからの不自由な生活の中でも忘れることなく、イライラしたりせずに穏やかに生きていけるか、おそらくこの目標は高すぎて、僕には達成できないでしょう、でもそれに近づこうとすることはできる、何とかやってみようと挑戦することは、もしかしたら僕にもできるかもしれない。
ちょうど4月1日の今日、ここから自分が試される新たなスタートになりました。

もう一度、繰り返します。
はっきり言って、よく見えませんので、自信はありませんが、何とか続けてみようと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

2022年4月1日
和田 健

Photo : One day in the studio, March 17, 2022

STOP THE WAR! 5 「憎しみの家」

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 12 March 2022 by kenwada

©Evgeniy Maloletka/Associated Press

最重要関連動画2本:

War in Ukraine: Massive airstrike hits maternity hospital in MariupolUkraine says a Russian airstrike has hit a hospital in the besieged city of Mariupol, leaving children buried under rubble. No casualty figures have been released by authorities, but images showed injured pregnant women being taken away from the hospital. For the latest developments: https://qrcode.skynews.com …www.youtube.com
War in Ukraine: What happened on day 14?Ukraine’s President Volodymyr Zelenskyy said children have been buried under rubble after a Russian airstrike hit a hospital in Mariupol, warning the West that millions could die if the world does not act now. The governor of Donetsk region said 17 people, including women giving birth, were wounded in the airstrike …www.youtube.com

STOP THE WAR! 4

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 8 March 2022 by kenwada

©Lynsey Addario for The New York Times

0.03からの挑戦!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 7 March 2022 by kenwada

今年3回目の硝子体注射を、3月1日に受けてきました。
その時の診察で、右眼の視力が、裸眼で0.03、矯正で0.04でした。
2月1日の2回目の硝子体注射の時よりもさらに悪くなっており、ショックでした。

常識的にはもう無理でしょうね、でも僕はまだあきらめていないんです。
自分で言ってれば世話がないのでしょうが、僕は若い頃から、逆境になると結構、強いんです。
さすがにこの状況を楽しむところまではいっていませんが、自分でいろいろなリハビリテーションプログラムを考え出したり、意外と明るく前向きに生きています。

ただし、もし左眼にも加齢黄斑変性が出た場合は、その時点で終わりです。
同じ人間の眼であり、同じ体質や遺伝因子をもちますから、その可能性はあります。
病院に行くと、先生が、左眼にも出るのではないかと、懸念されている様子が伝わってくるのです。
それで、診察の時は毎回、両眼の瞳孔を開いて、眼底検査をしてチェックされています。

時々、僕は思うんです。
「これは、僕が見ている最後の景色なのかもしれないな」と。
だから、本当に毎日を大切に丁寧に過ごそう、生きようと思います。

2022年3月7日
和田 健