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非常につらい一年のスタートとなりました

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 14 January 2022 by kenwada

皆様、こんにちは。

新しい年が始まりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
今日は大変残念なご報告をしなければなりません。
以下、これまでの経緯も含めて、できるだけ簡潔に淡々と書いてみたいと思います。
簡潔に淡々と書けるかな?

実は、僕には、右眼に滲出型加齢黄斑変性の持病があって、2015年11月に最初に網膜に異常が見つかり発病して以来、一旦治ったりを繰り返しながら、次第に悪化してきました。
今まで一度もこのサイトに書かなかったのは、やはり自分の病気のことを書きたくなかったからですが、部位が眼なだけに、画家としてとてもつらいです。
2018年には、東邦大学大橋病院で硝子体手術(眼球注射)を3回し、それ以降は平癒していたのですが、3年8ヶ月ぶりに昨年12月上旬から、また自覚症状が出始め、12月26日から特にひどくなり始めました。
自分でもいくらなんでもあまりにも悪化の進行が速すぎる、もうなんて言いますか、これまでの経験から言っても、信じられないくらいのスピードでした。
1月2日の夕方に、初めて失明するのではないかという恐怖に襲われました。
ちょうど年末年始にあたり、どの病院もしまっていたことも運が悪かったです。
1月4日になって、スーパードクターのいる高崎の眼科を受診し、眼底の大量出血で、即緊急手術になりました。
その時の診察で、右眼の視力は、矯正で0.15でした。
その晩は、高崎の安ホテルの部屋から一歩も出ず、廃業の絶望と、失明の恐怖で、何も食べられませんでした。
人間は極度の不安になると、本当に何も食べられないものですね。
それでもせめて何か飲まなきゃと思い、部屋にあった小さな袋入りのインスタントコーヒーを、お湯を沸かして2杯飲みました。

僕はこれまで、廃業だとか、引退だとかは、もう絵の構想も浮かばず、ボロボロになって辞めるものだと思っていましたので、制作意欲が高まっている今、引退するのは、本当に悔しいし、悲しいです。
でも、冷静に考えれば、この眼では引退でしょうね。
先生からは、10%〜20%の人は、もう一つの眼にも加齢黄斑変性が出るので、そうなった場合は、あなたは、日常生活ができなくなると言われました。
まだ認知症の親の自宅介護もしていますし、残った左眼を家族のためにも大切に守らなければいけません。

僕は絵が得意でも上手でもありませんが、絵を描くことが好きなんですよね。
本当に好きなんですよね。
一瞬にして状況が変わるそのスリリングさや、ダイナミックさ、一筆にして変化していくスピード感が、他のことでは決して得られないものがあるんですよね。
ですので、例えば車に乗っていても、これまでいつも低速運転です。
毎日、すごいスピードの乗り物に乗っているので、せめて車に乗っている時くらいは、ゆっくり運転したいという感じですね。

人間、得意なことなら、誰でも見つけられます。
得意なことは、放っておいても自然に目立つからですね。
でも好きなことは、なかなか見つけられません。
好きなことは、いつも目立たずに、ひっそりと息をひそめて、その本人の中に住んでいますから。
何か地獄のようなつらい思いをした時に、心の底から浮かび上がってこないと、なかなか気づきません。
本人でも、えっ、まさか、僕/私が、それを好きなの?という感じです。
部屋の片隅に忘れられて、もう何年も埃をかぶっている置物みたいなものです。
得意なことは、部屋の中の目立つ場所に、いつでも堂々と立っていますから、誰でもすぐに気づきます。
まわりからも上手だね〜とか、すごいねえ〜とか、小さい頃から言われたりしますしね。
スポーツでも勉強でも何でもそうです。
そして、多くの場合において、得意なことをイコール、好きなことと思い込み信じ込むようになると言いますか、自然と両者を同じものだと何も疑わなくなります。

以上、まあ大体そのような訳で、最悪のスタートのこの年始から、僕は苦しみ、悩み抜きましたが、今は辞めたくありません。
先生の治療を信頼して、もう少し粘って結論を出さずに、頑張ってみます。
それでもどうしてもだめだったら、その時は辞めます。

皆様も少しでも物のゆがみが気になりましたら、迷わずにすぐに眼科を受診してください。
眼科に行って受付の方に断れば、加齢黄斑変性のチェックシートを無料でもらえると思います。
またチェックシートなどなくても、部屋の中には、縦線や横線がたくさんありますので、升目のあるカレンダーなどあるとさらによいのですが、30cmくらい離して、チェックしてみてください。
その際、必ず片目ずつ見ることが大切です。
これが基本のキになります。
そして、もっともっと多くの方に加齢黄斑変性のことを知っていただきたいです。
本当に恐ろしい病気です。
あまりにも進行が速いです。
僕の場合は、本当に1週間で劇的に悪化しました。

以下、これを全部英訳するのは今の眼の状態では無理ですので、要点だけ英語にしておきます。
そうしないと海外の友人や知人が読んだ時に、何を言っているのか全くわかりませんからね。
日本語を読める外国人は、あまりいませんから。
それで、これまでもでき得る限り、英語も併記してきました。
また現実問題として、欧米では加齢黄斑変性は失明原因の第1位ですので、資料を読んでいても、実用的でかつ具体的だなと思います。

それでは皆様、どうぞご自分の眼をくれぐれも大切に。
そしてまだ始まったばかりのこの一年が、皆様にとってどうぞよい年でありますように!

2022年1月14日
和田 健

Dear friends,

Very unfortunately, I have to inform you of bad news.
In fact, I have a right eye disease ; age-related macular degeneration (AMD) since 2015 and have already received three eye injections in 2018.
Do you know that there are two types of AMD?
In my case, I have wet AMD, so the disease gets worse horribly fast.

Since the end of last year, wet AMD has deteriorated badly, but because it is a Japanese custom, the hospitals were closed during the year-end and New Year holidays, so I could finally make the fourth injection in my right eye on January 4, 2022.

Right now, I’m barely in my daily life.
That’s why I can’t make a painting now, but I would like to treat it and continue my paintings’ road.
Because I really love painting and I’m happiest when I’m painting.
I truly love its dynamism, speed of change and thrilling.
In other words, I am very happy and enjoy to be surrounded by colors and forms/shapes every day.

Everyone, AMD is a very scary disease.
The exact cause is unknown. But currently, the following causes are mainly considered in medicine.
・Having a family history of AMD
・Being Caucasian 
・Smoking
・High blood pressure
・Being overweight

Please take good care of your eyes.

Have a nice day!

Warmest regards,
Ken WADA

I wish you a happy New Year.

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 1 January 2022 by kenwada

明けましておめでとうございます。
本日午前9時より制作を始めます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとって、素晴らしい1年でありますように!

2022年1月1日
森の中のアトリエにて
和田 健

Dear friends,

I wish you peace and love as I look forward to a brighter 2022.
May the New Year bring much light and warmth into your life!

Warmest regards,
Ken WADA

ヨゼフとその兄弟たち

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 22 December 2021 by kenwada

Ancient Night Sky, Watercolor on paper, 22.0×27.3 cm, December 2021

皆様、こんにちは。
僕が住んでいる群馬県の標高1100mの森の中は、一面の銀世界となり、今朝はマイナス12℃まで冷え込みましたが、雪かきをしたお陰で体も温まり、加えてこの年末にかけて、全く個人的な読書に関することで、静かに少しずつですが、盛り上がってまいりました。
僕が、初めてトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟」(筑摩書房版全3巻)を読んだのは、今から6年前の2015年9月24日から2016年1月22日にかけてでした。
それ以来、僕のわずかな読書歴の中で、この本は現在に至るまで、僕の心の中で第一位の座を譲ることは、一度たりともありませんでした。
すなわち、僕がこれまでの人生で読んだ全ての本の中で、一番感銘を受けた本というのは、いつでも「ヨセフとその兄弟」でした。
全3巻それぞれの初版が発行されたのは、今から30年以上も前の1985年から1988年にかけてですが、この筑摩書房版の入手は、現在、お金に余裕のある方はともかくとして、大変困難な状況です。
そして初読以来、6年が経過いたしましたが、さあ、もうそろそろ再読のタイミングも熟しただろうという感覚があり、今回は、筑摩書房版よりもさらに30年も古い1958年から1960年にかけて初版が発行された新潮社版全6巻で、タイトルも「ヨセフとその兄弟」から「ヨフとその兄弟たち」に変わり、2021年11月15日から再読し始め、現在第1巻の「ヤコブ物語」を読み終わり、第2巻の「若いヨゼフ」に入ったところです。
ちなみに現在、こちらの新潮社版の入手も、同様にかなり困難な状況ですが、メルカリで全6冊を何と1400円(信じられない!)で、出品している方がいて、ご自分の蔵書の中からマン関連の他の書物3冊も一緒につけてくださった大変良心的な方でした。
これはですね、もうどうみても決して偶然などではなくて、何者かに「さあ、また読みなさい!」と、明らかに言われているようなものですね。
さて、どうしてこれほどの偉大な文化的な遺産とでもいうべき書物を、出版社の方々は、長い期間にわたって、いわば絶版状態にしているのかという、これからの日本の若い方の一般教養のためにも非常に大事な問題(え〜と、こうした点をいつまでもクリアーできないで、そのままにしていることが、現在にいたるまで、ヨーロッパの国々に、文化的な教養に関して、大きな差をつけられている象徴的な事実の一つになっている感じがいたします)は、今はひとまず、おいておいて(よい問題では、全くありませんが)、それでは早速、本題に入ります。

まず、いきなり結論から入りますが、3000年前のこの頃の人たちは、「神とは何だろう」ということについて、実によく考え抜いていたな、ということです。
再読ですので、この物語が、この後どのように展開していくのかは、もうわかっていますので、つまり、ストーリーを追う必要はありませんので、まあ再読の味わいとでも言いますか、ゆっくりと読んでいますが、「神とは何だろう」ということについて、3000年前の人たちは、実によく考え抜いているという、この素朴な事実が、改めて非常に印象的でした。
これに対して、現代の私たちは、どうでしょうか。
「神とは何だろう」なんて、通常、あまり考えないのではないでしょうか。
つまり、現代の私たちは、多くの場合において、神を信じるか信じないかですとか、あるいはまた、神はいるかいないかですとか、そういった二者択一論的な観点で、考えることがほとんどなのではないでしょうか。
または、◯◯教を信じるか信じないかですとか、あなたならどうしますかどう思いますかとか、ほとんどの場合において、そのような切り口で考えることが、多いのではないでしょうか。
しかし、アブラハムにしろ、イサクにしろ、ヤコブにしろ、彼らはそんな観点に立っては、全く一度たりとも考えていない、そんなことはまるで考えていない。
彼らは、常に、自分たちの神を創り出そうとして、自分たちにとっての神とはなんだろうと、その創造に向けて日々、ひたすら奮闘、努力している、ここのところですね。
ここに決定的な違いがある。
すでにできあがった神を信じるか信じないかではなく、自分たちの神を創造しようとしている、これは決定的な違いです。

それでは、いくつか本文中から具体的な例をあげてみます。(すべて原文ママ)
まずは、ヤコブの言葉です、
「私の先祖や私たちは、羊を飼いながら、神様とは何だろうと幾度もいくどもさんざん考えてきたんだ。私たちの子供や孫たちも私たちに倣ってこれを考え続けて行くだろう。」(第1巻「ヤコブ物語」から。以下同じです。p291)
次は、彼とはヤコブのことですが、
「自分独自の神を作ろうという彼の事業」( p.372)
とあります。
ヤコブには、またこんな印象的な言葉もあります。
自分たちの神を創造しているのですが、まだその神が小さい*1ということですね。
神が小さい、なんて素晴らしい言葉ではありませんか!
「ひとえにただその信徒たちの数がまだ少なく勢力も弱く、自分たちの神のためにそういう神殿を建てるに至らないからだけのことではないのかという疑念が混入してきた。」(p.236)
それから、こんな言葉もあります。
死にゆく、ヤコブ最愛の、心の妻ラケルの最期の言葉です、
「これからあなたは、私なしで、神さまとはどういうものかを考えて、きめていらっしゃらなければならない。どうぞ、うまくおやりになって。御機嫌よう。」(p.373)
さらに、マンはこのようにも記しています。
ヤコブがラケルが死ぬことを悟った時の言葉です、
「神よ、あなたは何ということをなさるのか。」
というヤコブの悲嘆に続いて、
「こういう場合、返事は与えられぬ。そのような黙殺に会ってもなお神の存在を疑うことなく、人間の理解を絶するものの尊厳を悟って、かかるものの存在を自分自身の生長の糧にする能力こそ人間精神の誉れといってしかるべきなのだ。」(p.372)
すごいですね、このトーマス・マンという人は、ちょっと並外れていますね。
もう何て言いますか、超弩級です。
絵画史に当てはめると、この人は、まさしくレンブラント・クラスでしょうか。
もう何て言ったらよいのでしょうか、ものが違うとでも言うのでしょうか、いわゆる世間で文豪と言われている他の方たちと比べても、傑出している感じがいたします。
例えば、序章の「地獄行」の最後のくだりです、
「では降りて行こうではないか、ためらうことなく。(中略) ほんのちょっと、三千年がところ降り下るにすぎない。(中略) 出発にあたって顔をしかめていた諸君も、さあ眼を一杯に開き給え。もうわれわれは現場に到着しているのだ。見給えー平和な丘陵地帯の上には、明るい月しろが懸かって、ものみなの影をくっきりと色濃く映しだしているではないか。触れ給えー夏にも紛う春の夜の、穏かなすがすがしい大気に。」(p.51、p.52)
として、三千年前の風景を、いとも鮮やかに私たちの目の前に広げてみせるその手腕の見事さ、スケールの大きさ。
導入部のこの記述だけで、思わず、もうこの小説の勝負はあったな!という感じがいたします。
そしてさらには、ヤコブという人間の素性に加えて、ヤコブが受けた、担った祝福そのもの自体についても、実に様々な角度から光を当てて炙り出しては、一つ一つ吟味し、考察を加えていく段階にいたっては、もうこんなこと他の誰も真似できない、マンの独壇場の感さえあります。
祝福については、
「蓋し、祝福を受けた人間の生活が幸福ずくめで、浮沈のない繁栄の連続だと考えるのは浅薄な迷信にすぎないからだ。もともと祝福というのもは、祝福を受けた人々にとってもその存在の基礎を構成するにすぎず、この祝福が時折いわば金色に洩れ光る時間以外の大部分の時間は、苦悩と試煉の闇に覆われているものなのである。」(p.318、試練は試煉になっています。)
とあります。

その他にも、ざっと全体を見渡しますと、
リベカの計略によって、エサウからヤコブが祝福を盗み取るところ。
デナの物語と、ヨゼフの兄たちのシケムの町の身の毛もよだつような殺戮と略奪。
やはり、この場面は、全体を通して、異質です。
レアの息子たちのしでかした、この事件の意図するものは、一体何なのか?
この間、幕舎内にとどまるヤコブの一連の心理の描写と言いますか、底意の照射には、すごいものがあります。(p.167 他)
「と、忽ちヤコブは、この伯父から極めてうさん臭い印象を受けた」(p.220) とありますが、 土くれから作られた畑を耕すために生まれた「太陽の男」ラバンに対して、血筋からいっても、また性格からいっても、羊飼いの素質を受けた「月の男」ヤコブという25年間の対比というよりはむしろ対決。
「そして、いうまでもないことだが、羊飼いには暇な時間がいくらもある。一日のうち少なくとも幾時間かは、いや、それどころか半日だって、何もしないでじっと瞑想に耽って暮す。」(p.254)
「牧羊生活は、上品であり瞑想的であって、神やラケルのことを考える暇を与えてくれた。」(p262、263)
という羊飼いの生活。
これだけひたすら長い間ラケルを、ひたすらラケルだけを待ち焦がれて迎えた新婚初夜に、悪魔のような残酷なぺてん男ラバンによって、レアにすり替えられたヤコブの絶望なんていう生易しいものではない錯乱状態。
また、人間というのもは、各々の寿命を感知しているという、
「けれども、時間というものはたっぷりとあることをその肉体で感知していた彼は(彼には百六年の寿命が与えられていたのだ)じっと時機を窺っていた。」(p.308)
というヤコブについての記述や、「まだら羊」(p.333) の一件も特に印象に残りました。
「わずかに四十一歳でみまかることになっていたラケル」(p.259) とありますように、かわいそうなラケルは、41才で亡くなりますからね。

さあ、この後の物語を楽しみましょう。
自惚の強いヨゼフが調子にのって、文字通り穴(=井戸)に落ちるところ、そして、ヨゼフはエジプトに売り飛ばされて・・・、さあ、そのあとが、そのあとで、また大変です。
特に、ポティファルの妻とのくだりで、ヨゼフは人生最大のピンチを迎え、またまた穴(=2度目は監獄)に落ちます。
マンの並外れた集中力は、この場面の一連の詳細な描写において、その極致に達していた感がありましたので、再読するのが楽しみです。
それにしても、以前にもこのサイトに書きましたが、旧約聖書は、ぎっしりと無意識の詰まった、いわば無意識の宝庫ですね。
そして、第1巻を読んだだけで、もうすでにこの物語は、やはりマンの作品の中で、代表作の「ブッデンブローク家の人びと」や「魔の山」を明らかにしのぐ、やはり最高の作品ではないか、無尽蔵の汲めどもく汲めども尽きることのない味わいや、それでいて、何か全編を通底している大らかな明るさや、ユーモアに富んだ賑わいのようなものを確かに感じます。
端的に言いまして、第1巻の中程あたりですでに、あと5巻しかないな、当たり前ですが読めば読むだけ、少しずつ減っていってしまうなあなどと思ったことは、生まれて初めての読書体験です。

若い方へ、公立図書館で借りて読むという無料の手があります。
是非一度、一生の間に、是非とも一度、お読みになってください。

2021年12月19日
和田 健

*1 神が小さい、ということにつきましては、群馬県の山奥で暮すようになってから、実に様々なことを感じたり、考えたりするようになりました。
これは、旅行や一時的滞在では、なかなか難しいかなと思います。
もちろん、不可能ではありませんが、何事もやはり生活しないと見えてこないものがあるように思います。
現に、僕は東京時代には、あまりそのようなことは考えませんでした。
やはり地べたをはってとでも言いますか、畑を耕したり、山登りをしたり、自転車に乗って移動したりと、まあ要は何でもよいのですが、この地域には、実に多くの小さな神社があることに気づかされます。
草深い名もない山奥の「えっ、こんなところにも!」と、これは何て言いますか、ちょっと都会の人には、実感として伝わらないくらいの数の多さです。
つまり、自分の神ですね。自分たちの小さな神です。
あるいは、土着信仰と呼んでもよいのかもしれません。
神というのは、信仰する自分にとって、あくまで信仰する自分たちにとって、ご利益がなければ意味がないですね。
以前、小林秀雄さんが、このことについて、新潮CDの講演で話されていて*2、ここのところの意味がわからず、「ふ〜ん、そんなもんか」と思っていましたが、最近、少し意味がわかりかけてきました。
これに対して、現代の私たちの神はどうでしょうか?
どの宗教の神にしても、あまりにも立派すぎて、大きすぎはしないでしょうか?
すでに出来上がった完成された神を追いかけてはいないでしょうか?
何かここのところに、この今の世界の混沌とした難しさを解く鍵が秘められているように思うのです。

*2 僕の「絵画日々のメモ」のノートにあたってみましたが、これはおそらく新潮CDの第2巻「信ずることと考えること」のCD-2ですね。
「神とは、自分との私的な関係。僕の個人の願いを聞き届けてくれなくてはいけない。救ってくれなければいけない。」と、2013年にノートしていました。
え〜と、確か講演の最後の質問コーナーのところで、学生の方が、ここのところをもう少しわかりやすくと、質問したのではなかったでしょうか?
それに対して、小林秀雄さんが、「僕は決していい加減なことを言っている訳ではないんだよ。だけど、これについては、これ以上、わかりやすくは答えられないなあ。」と言われたのが、とても印象に残っています。
・・・・・・・・・
早速、もう一度聴いてみました。
八百万の神、要するに宗教ではなくて、信仰。
僕の考える「小さな神」という解釈の流れで、まあ、大筋としては、いいのではないでしょうか。
CDを聴き直す前に、土着信仰という言葉が出てきたことは、よかったな。
そこまで、思考がたどり着いていた訳だから。
ここからまた考えてみます。

地域の皆様が、「ライだよ、森の童話」を置いてくださいました!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 13 December 2021 by kenwada

皆様、こんにちは。
誠実な温かいお人柄のお二人が、ご夫婦で経営しているレストラン「アタゴオル」の素敵な雰囲気の店内に、「ライだよ、森の童話」を置いていただきました。
是非、おいしい煮込みハンバーグ定食(前菜のサラダとスープにドリンクまでセットでついています)を、どうぞ食べにいらしてください。
この他、町内の応桑にある「長野原町へき地診療所」の待合室にも、先生(往診を繰り返しながら地域医療と在宅医療に情熱を燃やされる、今時稀に見る素晴らしい方です)のご好意で本を置いていただきました。
北軽井沢のこの小さな物語が、少しずつ皆様に知られて読んでいただけるようになると、いいですね。

レストラン「アタゴオル」
群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原大カイシコ1053
0279-84-3663
国道146号線沿い、浅間牧場の交差点から間もなくです。

“Breakfast”(1936) by John Steinbeck(1902-1968) を読んで

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 15 November 2021 by kenwada


This thing fills me with pleasure. I don’t know why, I can see it in the smallest detail. I find myself recalling it again and again, each time bringing more detail out of sunken memory, remembering brings the curious warm pleasure.

It was very early in the morning. The eastern mountains were black-blue*1, but behind them the light stood up faintly colored at the mountain rims with a washed red, growing colder, grayer and darker as it went up and overhead until, at a place near the west, it merged with pure night.

And it was cold, not painfully so, but cold enough so that I rubbed my hands and shoved them deep into my pockets, and I hunched my shoulders up and scuffled my feet on the ground. Down in the valley where I was, the earth was that lavender grey*2 of dawn. I walked along a country road and ahead of me I saw a tent that was only a little lighter grey than the ground. Beside the tent there was a flash of orange fire seeping out of the cracks of an old rusty iron stove. Grey smoke spurted up out of the stubby stovepipe, spurted up a long way before it spread out and dissipated.

I saw a young woman beside the stove, really a girl. She was dressed in a faded cotton skirt and waist. As I came close I saw that she carried a baby in a crooked arm and the baby was nursing, its head under her waist out of the cold. The mother moved about, poking the fire, shifting the rusty lids of the stove to make a greater draft, opening the oven door; and all the time the baby was nursing, but that didn’t interfere with the mother’s work, nor with the light quick gracefulness of her movements. There was something very precise and practiced in her movements. The orange fire flicked out of the cracks in the stove and threw dancing reflections on the tent.

I was close now and I could smell frying bacon and baking bread, the warmest, pleasantest odors I know. From the east the light grew swiftly. I came near to the stove and stretched my hands out to it and shivered all over when the warmth struck me. Then the tent flap jerked up and a young man came out and an older man followed him. They were dressed in new blue dungarees and in new dungaree coats with brass buttons shining. They were sharp-faced men, and they looked much alike.

The younger had a dark stubble beard and the older had a grey stubble beard. Their heads and faces were wet, their hair dripped with water, and water stood out on their stiff beards and their cheeks shone with water. Together they stood looking quietly at the lightening east; they yawned together and looked at the light on the hill rims. They turned and saw me.

“Morning,” said the older man. His face was neither friendly nor unfriendly.

“Morning, sir,” I said.

“Morning,” said the young man.

The water was slowly drying on their faces. They came to the stove and warmed their hands at it.

The girl kept to her work, her face averted and her eyes on what she was doing. Her hair was tied back out of her eyes with a string and it hung down her back and swayed as she worked. She set tin cups on a big packing box, set tin plates and knives and forks out too. Then she scooped fried bacon out of the deep grease and laid it on a big tin platter, and the bacon cricked and rustled as it grew crisp. She opened the rusty oven door and took out a square pan full of high big biscuits.

When the smell of that hot bread came out, both of the men inhaled deeply. The young man said softly, “Keerist*3!”

The elder man turned to me, “Had your breakfast?”

“No.”

“Well, sit down with us, then.”*4

That was the signal. We went to the packing case and squatted on the ground about it. The young man asked, “Picking cotton?”

“No.”

“We have twelve days’ work so far,” the young man said.

The girl spoke from the stove. “They even got new clothes.”

The two men looked down at their new dungarees and they both smiled a little.

The girl set out the platter of bacon, the brown high biscuits, a bowl of bacon gravy and a pot of coffee, and then she squatted down by the box too. The baby was still nursing, its head up under her waist out of the cold. I could hear the sucking noises it made.

We filled our plates, poured bacon gravy over our biscuits and sugared our coffee. The older man filled his mouth full and he chewed and chewed and swallowed. Then he said, “God Almighty, it’s good,” and he filled his mouth again.

The young man said, “We been eating good for twelve days.”

We all ate quickly, frantically, and refilled our plates and are quickly again until we were full and warm.*5 The hot bitter coffee scalded our throats. We threw the last little bit with the grounds in it on the earth and refilled our cups.

There was color in the light now, a reddish gleam that made the air seem colder. The two men faced the east and their faces were lighted by the dawn, and I looked up for a moment and saw the image of the mountain and the light coming over it reflected in the older man’s eyes.

Then the two men threw the grounds from their cups on the earth and they stood up together. “Got to get going,” the older man said.

The younger turned to me. “ ’Fyou*6 want to pick cotton, we could maybe get you on.”

“No. I got to go along. Thanks for breakfast.”

The older man waved his hand in a negative. “O.K. Glad to have you.” They walked away together. The air was blazing with light at the eastern skyline. And I walked away down the country road.

That’s all. I know, of course, some of the reasons why it was pleasant. But there was some element of great beauty*7 there that makes the rush of warmth when I think of it.

美しいですね、確かに美しい!
思わず、気合が入りました。
下線部*3の Keerist は、 Christ を意味するようです。
また、下線部*6の Fyou は、その後の調べで、instead of “if you” だとわかりました。

文学的には、
①下線部*7の、some element of great beauty は何か?ということになるかと思いますが、これについて考えることは楽しいですね。
やはり、great beauty の核になるのは、こんなに貧しいのに、少しでも食べ物に余裕のある時があれば、その時は、人に惜しみなく与える、ということでしょうか。
下線部*4の “Well, sit down with us, then.” いいですね、ここは。
「じゃ、一緒に座って食っていけよ。」くらいでしょうか。
ちなみに、まったく見知らぬ男に対してですからね。
baby が、母の乳を吸う音、これも間違いなく、偉大なる美の要素に入ってくると思います。(後日記1)
結局、このことについてずっと考えていくと、人は仕事(彼らの場合は綿摘み)やお金や品物などよりも、大事なものが心の中にあるよ、ということに行き着くのではないでしょうか。
小さな満足、小さな幸せ、満ち足りた感謝の思い、無い物ねだりをしないというか、無い物ねだりのしようもないことなど、等身大で、ありのままの姿でいることが、実は、心の中に無限大の富をもたらすということについて、作者は指摘いるのではないでしょうか。
いずれにいたしましても、この核心部分には、作者の新約聖書の影響を強く感じます。

②次に、この woman ならぬ、girl の年齢を、どのあたりに設定するかについては興味があります。
僕の意見は、まだ十代のように考えましたが。やはり通常、二十代の女性に対しては、girl を用いないのではないでしょうか。そこから考えて、どうみてもその夫である young man は、おそらくはまだ二十代。そうしますと、これもどうみてもその父である older man は、一読すると、かなりの年長者のような印象を受けますが、年取っていたとしても五十代、もしくはさらに若い四十代ということも考えられますが、ひげの色から四十代前半ではないように思います。
girl 十代説に異論があるとすれば、彼女の主婦業があまりに手慣れていることでしょうか。

③下線部*5の We all ate quickly, frantically, and refilled our plates and are quickly again until we were full and warm. につきましては、旧約聖書の出エジプト記12章との関連で、何か考えられるのでしょうか。
僕には、これでもう12日間も、うまいものにありついていて、さらにガツガツ食べているとは、ちょっと考えられないのですが。
えっ!それで12(日間)を暗示でもってきたのか?
この12ですが、twelve days’ work、twelve days と、2回繰り返されていますよね。
これには、明らかに作者の意図を感じます。
最初に訳した時に、12という数字に、興味をもちました。
何故、12なのだろうという関心です。普通、これで、10日間うまいものを食っているとか、2週間働いたとか、言うのではないでしょうか。
今のところ、僕に考えられることは、
1. 旧約聖書との関係。2. 獣帯の数に等しい12、すなわち黄道十二宮。3. 単に数量の単位としてのダース、dozen。
この内、3 はないように思います。

④非常に謎めいていて、興味深いのは、young man から作者(語り手)が「綿摘み?」って訊かれますよね、「いや」って答える。また、最後にこれも young man から「仕事世話してやれると思うよ。」ってオファーを受けますが、作者は断りますよね。
で、一人でまた country road を歩いて行く、ここですね。
ここで、第三者的な距離ができて、作者が一連の出来事を客観的にみているような感じがぐっと出てくる。
同時に、仕事を求めて、みんなが必死にさまよっている時に、仕事を見つけるのは難しいからと、あるいはまた自分たちだけ仕事にありついていれば、それでいいってもんじゃないよなと、救いの手を差し伸べたのに断られて、じゃ、この人はいったい何をやっているんだ、という曖昧な感じが出てきます。
つまり、よくわからない奇妙な男だなと思われる。でも作者である語り手(ジョン・スタインベック)からみれば、彼は彼で、西部の農家を作家として取材や勉強のために見て回っている訳です。
ここのところの整合性が物語の上で、少しぎくしゃくしている感があります。
しかし、older man は、”O.K. Glad to have you.” と返す。
朝食もたっぷりととらせてあげたのに、ここのところ。
粋とかではない、粋とか、ハードボイルドとかの解釈ではない、何かもっと素朴なものを感じます。
おそらくその本質は、older man がこれまで生きてきた、彼の人生に対する姿勢、そのものの中にあるのではないでしょうか。

次に絵画的には、お話ししたい事がたくさんあり、作者の非常に豊かでスケールの大きな色彩的感覚を感じます。
具体的には、下線部*1や同*2の black-blue ですとか、lavender grey などは、なかなか他の作家に出てこない色彩の表現です。
ポイントとしては、
①移ろいゆく東方の山々の景色の色を、この物語の中のどこかの場面でとらえられるか。
これにつきましては、毎日、森の中で生活している僕には、そしてもうすっかり樹木の葉が落ちた特にこれからの季節は、山の rims や、skyline は、日常的でとらえやすかったです、と言いますか、今朝も山のへりからのぼる太陽を猫と見つめましたが、問題はその色です。(後日記2)

②冒頭の作者が足をひきづりながら歩いて行く先に見えたテントの色をとらえ切れるか。

③これも冒頭の古い錆びた鉄ストーブのひびや割れ目からしみ出るオレンジの火、さらに threw dancing reflections on the tent.
このあたりでしょうか。

この業界の方でしたら、代表作「怒りの葡萄」を読んでも、「ハツカネズミと人間」や「赤い小馬」、そしてこの短編を読んでも、もう即座に連想すると思いますが、執筆された当時の西部の様子や人物描写につきましては、写真家 Dorothea Lange (1895-1965) の大恐慌時代の作品を観るに限ります。
そこで、先の文学的にはの②に戻りますが、彼女の写真を凝視すればするほど、例えば、この被写体の女性に対しては、通常、woman を用いるだろうな、とか一つ一つ具体的に考えていきますと、作者がこの短編の中で、girl と表記している以上、やはり十代なのではないだろうかと、思えてしまうのです。

さあ、ここから、転じて、”Breakfast for the girl” のタイトルで絵が描けるか?
もちろん、この女の子です。ですから、日本語からの訳出にあえてこだわるなら、”Breakfast for this girl” です。
これは、素晴らしいですね、夢がありますね。
“Breakfast for the girl” が描けたら、どんなにいいだろうかという、それはこの物語から僕が得た自分への励ましであり、勇気や希望です。

総じてこのお話は、バランスに優れていると言いますか、まとまりがあると言いますか、絵画的には、なぜか今、とっさに物語の内容や性質上から、水彩画を思い浮かべましたが、J.M.W.Turner (1775-1851)の作品を持ち出すまでもなく、絵画のもつ荘厳さにはかなわないのではないでしょうか。
別に優劣をつけるような問題ではありませんし、ただ文学と絵画の両分野をあえて比較するならという程度の意味合いですが、最初のテントが見えてきたシーンをもっとぐるぐると、思いっきりぐるぐるとふり回せば、物語のバランスも当然崩れてきますし、支離滅裂になって、面白かったのではないのかなと、思いました。
ちなみに、水彩画の本場イギリスには、ターナーと同世代に、Thomas Girtin (1775-1802) という夭折の天才がいました。
この業界の方はもちろん別にして、日本ではこうした天才もあまりと言いますか、ほとんど知られていませんね。ターナーよりも天才です。僕は実物の作品を、Tate Britain で観てはっきりとそう思いました。
ターナー自身ももしかしたら、こいつは俺よりもすごい才能だなあ、と感じていたのかもしれません。
ああ、そうか!ターナーには、それがあったのかもしれないですね。
若くして亡くなった友の分も、自分は頑張ろうという、その思いが終生彼の心の支えとなり、立ち向かう気迫や執念となり・・・。
やはりなんといっても尋常ではありませんから、年老いてまでの彼の制作ぶりは、桁が違うと言いますか、並外れています。

日本の展覧会は、「The 固定」です。
50年後に、すなわち2071年に、印象派展を開催している可能性はかなりあります。
とても素晴らしいことでもあり、同時に、やや残念なことでもありますね。

どうして、このテキストにたどり着いたのかにつきましては、長くなりますので、また別の機会にしますが、会話の部分を、必ず間を一行空けてくるスタイルには、しびれました。

2021年11月14日
和田 健

後日記1:この baby なのですが、この作品が発表されたのが、1936年ですので、まあ普通に考えて、その前年に作品が執筆されたと仮定(あくまで仮定です)すれば、1935年頃の生まれかなあ、と思います。
そうしますと、10才で第二次世界大戦の終わりを迎えていたことになり、これは、1935年生まれの僕の母の年齢とぴったり一致いたします。
そうしますと、この物語は、私 (baby) はまだ母の乳を吸っていたので、まるで記憶にないけれど、ある寒い朝、カリフォルニアの私たちの貧しいテントを訪れた行きずりの見知らぬ男が書いた、私の父と母と、その頃はまだ若かった祖父の物語を、私のちょうど子どもの世代にあたる海の向こうの一日本人が、それから85年もして読んだ、という構図になります。
この全体の構図の中の何かに、僕は異常に惹きつけられました。
この baby のその後の人生の物語は、どうなっただろうかという・・・、プラス旧約聖書の読み込み、例えばヨセフの物語などから、僕の頭の中の何かが突破できないだろうかという強い思い。

(注)その後の調べで、PENGUIN BOOKS 版の資料から、この作品は、1936年11月9日発行の the Pacific Weekly Vol. 5 に、初めて掲載されたこと、1934年の8月の終わりごろまでには、草稿が書かれていたことがわかりました。

後日記2:猫を抱いて朝日に向かいながら、試してみたのですが、猫の目に朝日がはっきりと反射して、すごく、それは本当にきれいなんですね。
そこで思ったのですが、この場面で、older man の目に光が反射するのではなくて、このシーンで、テントから飼い猫が飛び出してきて、そこいらの物の上に座り、じっと山の向こうからのぼりくる陽光を見つめる、という設定はどうでしょうか。
つまり、登場人物は、baby を入れて全部で5人ですよね、ここで一回人間以外のものに、ベクトルをふり向ける、という流れで、休憩、ふっと一回息がつけます。
その分、5人だけで展開してきた物語の緊迫感が損なわれますが、何か斜線が一本引けるように思います。
これは僕が、絵画で「間が抜けている」と呼んで大切にしているものに相当します。
その場合、作者がこれだけ色彩について、詳細に描写していますので、問題は猫の色ですね、つまりはその柄です。
僕は、咄嗟にサビかキジトラを連想しましたが、皆さんは何柄を思い浮かべましたか。
絵画的には、ロシアンブルーが入っている雑種などが登場すると、ほぼ完璧でしょうか。

2021年11月17日
和田 健

後日記3:今日になって気づいたのですが、男3人が先に食卓として使っている荷箱のところへ行って、まわりの地面に座りますよね。
その後、食事を荷箱の上に並べ終えてから、girl も来て荷箱のそばに座りますよね。
これは貧しくて椅子もないからだと、そのことを繰り返し浮かび上がらせるための強調のようなものだと、これまで単純に解釈していたのですが、違うのではないか、別の意味が隠されているのではないかと思いました。
確かに最初に訳した時に、変だなあ、いくら貧乏でも直接地面に座り込んで食事をするのかと、そのへんのバケツでもなんでもひっくり返して座ればいいじゃないかと、心に何かが引っかかるような違和感があったのですが。
確信はもてませんが、気になりますので、少し調べてみます。

2021年11月18日
和田 健

後日記4:冒頭の部分を繰り返し読めば読むほど、この物語は事実なのだと思います。
つまり、このお話は作者の創作ではなく、作者が西部の農家を回っていた時に、実際にある朝、経験した出来事なのだと思います。
そうしますと、結論と言いますか、まとめになりますが、作者は、この baby を含む親子4人を聖なるものとして、聖家族としてとらえているのではないでしょうか。
この世の中には、こんなに飾り気のない人々も現実にいるんだなあと、どちらかというと、作者は驚いた、衝撃を受けたのかもしれません。
そのことが、僕の中で、やはり後日記3 を支持する根拠として浮かび上がってくるのです。
聖なる家族が、荷箱のそばに座り込んだ時、作者は、思わず内心、声にならない喜びの声を発したのではないでしょうか?「うぉー!」と。
いろいろな英文の資料にも目を通してみましたが、これについては一様に、貧乏なので椅子もテーブルもないという観点ばかりでした。
僕は、違うのではないかと思う。これは何か旧約聖書の観点からきているのではないかと感じます。
絵画的には、この荷箱の食事のシーンに聖なる三角形を観てとることができるように思います。
すなわち、older man、young man、girl & baby なる三角形です。

また上記12の数字について触れている資料は、一つも見当たりませんでした。
つまり、誰も問題にしていませんが、僕は作者からのメッセージを明らかに感じます。
このように、作者が意図的に繰り返している時は、まず大体何かあります。
少なくとも、何かあると思って読み込んだ方が賢明です。

最後に、いろいろな物騒な事件の起きるコロナ禍の今こそ、また格差社会のこうした難しい時代にあればこそ、この作品は、是非とも読まれるべき実に貴重な温かい物語だという気がいたします。
そしてひとたび、もっとより多くの方に、この作品が知られるようになりますと、短編は誰もがすぐに読めることから、短い作品であることの強みを大いに発揮いたしますね。

以上ですが、僕の課題が、3点残りました。
1. 何故、地面に座り込んで食事をしたのか(これについては解明できる気がしています)。
2. 12の数字の意味するところ。
3. 内緒!にしておきたいところですが、僕の仕事上、もうお分かりですね。早速、制作に入りました。

2021年11月20日
和田 健

後日記5:昨日、雪かきをした後、薪ストーブの火を見つめながら、ぼんやりと考えていたのですが、この物語全体を振り返って、改めて考えてみれば、girl の台詞は、”They even got new clothes.” のたった一つしかないんですよね。
その前の young man の話を受けて、「それでね、彼らは、服を新調したのよ。」くらいでしょうか。
12日間の労働で得た賃金で、そしてこれは「怒りの葡萄」を読めばよくわかるように、明らかに日給であると思われますが、男二人は、自分たちのダンガリーのズボンと、さらには上着までをも新調している。
それに対して、彼女自身はどうかと言えば、新しい服を買ってもらうこともなく、色あせたコットンのスカートとウエストを着ているんです。
つまり、着古した服を相変わらずそのまま着ている。
でも、不幸な感じがまったくしないんですよね。
この唯一のセリフの中に、陰湿な響きは感じとれない、嫌味やとげがない。
彼女は、幸せそうですね。
そして、作者は彼女が幸せであることを、明らかに感じとっている。
ここのところに肝心なポイントが、何か秘められているように思いました。

2021年11月29日
和田 健

お断り:この短編物語につきましては、インターネット上に、細かい点で語句に違いのあるテキストが、実際に何例か見られましたので、僕としては、PENGUIN BOOKS 版に準拠して、一字一句可能な限り、チェックしました。

「ライだよ、森の童話」が紙書籍になり出版されました!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 31 October 2021 by kenwada

皆様、こんにちは。
昨年、僕が書いた初めての童話「ライだよ、森の童話」が、この度、紙書籍になりアマゾンから出版されました。
紙の本というと、僕などは紙以外にどんな本があるんだと、なんだか言葉に違和感を覚えてしまうのですが、今は電子書籍、紙書籍、紙の本などと区別してよく使われていますね。
ところで、実際に本を手にとってみると、苦労しただけに、これまでの電子書籍の発行にはなかった、なんとも言えない温かい気持ちになりました。

そしてこれはあくまで結果論なのですが、実際に本が出来あがってみると、この物語は徹頭徹尾、地元群馬県は北軽井沢大学村の森の本となりました。
ですので、どこか地域の図書館や病院の待合室などに置いて、地元の子供たちに読んでもらえたら、大変うれしいです。
またこの童話は、一言でいうと、それまでひとりぼっちだった子猫のライが家族を得て成長していく物語ですので、介護施設等で、肉親と離れて孤独な思いをされている方が、もし読んでくださいましたら、本当にうれしいです。

多少難しい言葉も出てはきますが、小学校中高学年くらいからなら、絵や写真もたくさん掲載されていますので、おそらく読めると思います。
またこのお話は大人の方が読んでも、なかなか奥が深くて面白いのですよ・・・。
いろいろな縦横の糸をはりめぐらしてありますから。

リンクした以下の画面からご購入いただけます。
2021年10月21日発行。改訂第三版。A4版サイズ。本文86ページ。
文字の大きさは、高齢者の方や子供たちにとって読みやすいように、かなり大きめの文字に設定しました。
価格は900円(税別)で、送料無料です。
それでは、どうぞよろしくお願いいたします。
どうか一人でも多くの皆様に読まれ、親しまれますように!
https://www.amazon.co.jp/ライだよ、森の童話-(改訂第二版)-和田-健/dp/B09JY4R6HZ/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=


2021年10月31日
和田 健

Happy Birthday, KIKU!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 2 September 2021 by kenwada

ヘリアンサス「レモンクイーン」
2021年9月2日
紙にアクリル、グワッシュ
22.0×27.3 cm

Helianthus ‘Lemon Queen’
September 2, 2021
Acrylic and gouache on paper
9.0×11.0 in.

Helianthus ‘Lemon Queen’
2 septembre 2021
Acrylique et gouache sur papier
22.0×27.3 cm

今日は、愛犬「喜久」の10才のお誕生日です。
朝から、庭のお花、ヘリアンサス「レモンクイーン」をプレゼントに描きました。
今こうして振り返ってみると、喜久のお陰で、この10年、ひどい鬱にもならずに過ごすことができました。
人間にとって、犬はやっぱり朝夕の散歩を絶対にしなくてはならない、したがって1日2回、雨が降ろうが雪が降ろうが、強制的に外に出てどうしても歩かなくてはならないのと、たくさん吠えますので、邪気を払うと言いますか、くよくよした思いからハッと我に返り、思わず苦境から引きずり出されるとでも言いますか、大きな気持ちの落ち込みから、飼い主を救ってくれるように思います。
生後2ヶ月で初めて我家に来た日に、よりによって居間のど真ん中にうんちをしてしまった幼い子犬の喜久でしたが、我家にたくさんの喜びを久しく、という名前に込めた願いの通りに育ってくれました。
これまでずっと喜久のお世話をしてきたとばかり思っていましたが、実は喜久に助けられ、支えられてきたのですね。
喜久、本当にありがとう!

Today is the 10th birthday of my beloved dog “Kiku”.
So from this morning, I drew a flower, Helianthus “Lemon Queen” in the garden as a gift.
Now, looking back, thanks to Kiku, I’ve been able to spend the last 10 years without any terrible depression.
For humans, dogs must take a walk in the morning and evening, so we have to go out and walk twice a day, and they bark a lot, I think it will save the owners from a big depression.
On the day Kiku first came to our house two months after birth, she had a poop in the middle! of the living room, but she gave us a lot of joy over the last decade.
Kiku, happy birthday and thank you very much!

セザンヌのドローイング展が始まります!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , , , , , , , on 28 May 2021 by kenwada

2021年6月6日から、MoMA でセザンヌのドローイング展が始まります。
先日も全く同じことを書きましたが、いい展覧会がありましたら、即、みんなで情報を共有し、ただちに Online で観て、お互いの意識を少しでも高めていきましょう!

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/5293?sc_src=email_673453&sc_lid=57308386&sc_uid=ipz0HfgJ5P&sc_llid=89937&sc_eh=b1697101d524ca3d1&utm_source=Emarsys&utm_medium=email&utm_campaign=MKT+-+Newsletter+General+20210527+NON-LOCAL

エクス=アン=プロヴァンスにあるセザンヌの家から、あの有名なアトリエへ、そしてまたまたサント=ヴィクトワール山を描いたポイントまでの道のりを、セザンヌの足跡をたどりながら、歩いたことがあります。
実際に歩かれるとよくわかりますが、あの重い絵画制作のための道具類の荷物を背負って、制作以前に、ただ歩くだけでも、とてつもない並外れた体力です。
それも毎日ですから。
確か僕の記憶に間違いがなければ、昼食のたびに毎日、さらにアトリエから家まで歩いて往復していたはずです。

全く同じことを、アルルのゴッホの「黄色い家」から、あの有名な「アルルの跳ね橋」の絵の現場まで、ゴッホの足跡をたどりながら歩いた時にも感じました。
まず制作よりも何よりも、すごく遠いんです、驚異的な体力です。
時には、「四日間を大体二十三杯のコーヒーとパンでつないだ」(「ゴッホの手紙」岩波文庫下巻、p.13)ゴッホにとって、そこまで自分を追い込む鬼気迫るようなその執念、気迫は、同じく人間離れのしたその体力とともに、一体、どこからきているのだろう?

僕の考えは、色と形、ゴッホの場合は特に色をですね、フランス語でいう attraper したい、英語でいう catch したい、つかまえたい。
そしてそれをキャンバスの中に封じ込めて再現したい。
そのことに対する異様なまでの飢えや渇望、そして再現できたと感じた時の熱狂や狂喜が、やはりまず第一に常にあったのではないか。
そしてそれとともに天才特有の集中力や没頭。
それら全てが、ないまぜとなり、ぐるぐると渦を巻いているように思います。

セザンヌのアトリエで買ったカタログと、僕も同じポイントから描いたサント=ヴィクトワール山の小さな水彩画は、今でも僕の宝物のような思い出ですね。

Mont Sainte Victoire, Aix en Provence, 2008
Aquarelle sur papier
12.7×17.8 cm
Japon, Collection particulière

2021年5月28日
和田 健

僕は、この夏のオリンピック開催に断固として反対します!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 24 May 2021 by kenwada

皆様、こんにちは。

僕は、無名の一芸術家ですが、無名だろうが有名だろうが、一人の人間として、この夏の東京オリンピック開催に断固として反対いたします。

二、三日前から、まさかのまさかのまさかのまさか、「あっ、これは日本政府はやる気だな、着々と体制を整え始めたな。」と、思う恐ろしい瞬間があり、まさかこのコロナの感染状況で、そんな稚拙な決断はしない、最後はきちんと中止するだろうと、これまで思ってきましたが、だんだん不安になってきました。
一体、なにゆえの政治力学が働いて、何としてでも開催しようとしているのか、どうしても僕にはわかりません。

5月13日に、「今思うこと」の中で、「イスラエルのワクチン接種率62.64%に対して、日本は現在2.59%、とても先進国とは言えない。」と、だいぶ遠慮して書きましたが、正しくはおわかりのように「開発途上国とさえ言えない」です。

中止になれば、誰よりも何よりも、選手のことを思えば、本当にかわいそうです、無念だと思います、死ぬほど悔しいと思います、どこにも気持ちのぶつけようがないと思います。選手の中には、人生の意味や目標を見失ってしまう人も、おそらく出てくると思います。

それでもなお、国民の健康と命を守るために、大局的見地に立って、物事を俯瞰しながら、全体の状況を冷静に判断し、進むべき道を見つける、立派な名前のIOC会長が、何を言おうと、どんなに開催圧力をかけてこようと、一国のリーダーたる者は、断固としてNO!、いいえ、ここは絶対にダメです、開催はしませんよ、と突っぱねて今言ってください。

誰もが情報を共有できる世の中で、誰もがインドやブラジルの惨状を動画で、すぐに確認できる時代で、お墓を掘るのも間に合わないあの地獄のような状況で、例えば、男子サッカーが、ブラジル代表に勝って、「あのブラジルに勝ったぞー!」って喜ぶんですか?
僕は、Z世代の若者たちは、そんなことでは喜ばない、もうちょっと性格がよい意味で cool であり、フェアなように思います。

オリンピックとお前の仕事と何の関係があるんだ?お前は、黙って絵でも描いてれ!
全くです。何の関係もありません。
でも、いいですか、自分の国が明らかに間違った、誤った方向に進もうとしている時に、一国民として声をあげる、意見表明をすることは、とても大切なことではないでしょうか。

オリンピックを開催するということは、大相撲の本場所を開催するとか、プロ野球の試合を実施するとか、僕の仕事の場合でしたら、グループ展をするとかいうのとは、訳が違います。

もう時間はありません。

2021年5月24日
和田 健

今思うこと、コロナ、オリンピック、ペイントデザイン、読書、展覧会

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 13 May 2021 by kenwada

まず日本のコロナ(の状況)。
結論から言うと、ダメ、アウト。
東京にいるとかえってわからないと思いますが(まあそんなことは、あくまでもないとは思いますが)、地方の森の中にいると人出や人流については、逆に本当によくわかる、伝わってくる。
東京都が緊急事態宣言下のGWに、最寄りの交差点にあふれる県外ナンバーの車や人を見て、日本人のモラル=良心は大きく変化したことを改めて感じました。
昨年の同じく緊急事態宣言下のGWに比べて、確実に車も人も増えました。
小池都知事が、これだけ移動しないでくれと言っても、と言いますか、僕にはほとんど叫んでいるようにさえ聞こえますが、もう何を言っても聞かないという様相を呈してきました。
これと変異株の感染力の強さを考え合わせれば、ある程度の感染爆発は避けられないと思うと、先日僕が友人に送ったメールは残念ながら現実のものとなりました。
今後、僕は47都道府県すべての緊急事態宣言になると思います。
もちろん、そんなことは当たらないに越したことはありませんが。
反面、例えば年をとって決して老い先の長くはない親に会いたくとも我慢して、宣言時の約束事をひたすらきちんと守っている人がいることも是非お伝えしたい。
今怖いのは、インド型のL452RとE484Qで、もう国内に入っていると思う。南アフリカ型のE484Kに比べて、やはりどうしても国内に入りやすいのではないか。
ワクチンは、ファイザーのCEOが先日の会見で触れていたことを、はっきりさせないといけないと思う。すなわち、3回目が必要なのかどうかと、来年以降、年に何回のペースで接種していけばよいのかについて。
今後、国内でもモデルナが始まり、アストラゼネカとJ&Jはしばらく打てない、人間の気持ちとして。

次に、オリンピック。もうこれはIOCやJOCが、早く決めないと、これ以上結論を引っ張ったら、先日の池江璃花子選手に対するSNS問題のように、何よりも誰よりも選手たちが大変なことになる。
もうほとんど開幕二ヶ月前です。一日でも早く決めないと。

次に、自分の本業である絵画。これは、最近日経の電子版で、MLBのトレバー・バウアー選手の「ピッチデザイン」という言葉を目にして非常に興味をもち、ユーチューバーでもある彼のYouTubeを徹底して観て、これを「ペイントデザイン」という形で取り入れられないか、ということを考えています。
つまり画家も、常に血圧や心拍数を測って、常時血液検査をし、制作と栄養(食事)、休養(睡眠)のバランスを考え、筋肉(肉体)と中枢神経を整えていくことで、パフォーマンスが上がっていくのではないかということ。それらをすべてパソコンで管理して欠点を見出していくスタイルの導入。
これは毎日制作している人でしたら、誰もが実感していることなのですが、だんだん体がほぐれてきて、調子が上がってきますので、ITを駆使して、その日のペイントの何ペイント目から何ペイント目にかけて、彼/彼女のピークが来ることを分析して(例えば25ペイント目から30ペイント目にかけてとか)、そこに一番必要な制作箇所をもってくるとか、逆に捨てキャンバスを用意して、そのペイント数までウォーミングアップしてから描き始め、いきなりピークパフォーマンスに合わせてくるとか、相手が打者でないだけ、キャンバスなだけ、やりやすいと言いますか、より対応できる気がする。
もちろん画家はアスリートではないのだけれど、もうこのサイトで何度もふれたように、Painting は運動分野と密接に関係しています、実感として。
そんな馬鹿な、そんなことと絵を描く芸術と、一体何の関係があるんだという人が多ければ多いほど、僕は逆に正しいのではないかと思い、俄然やる気になる。
とりあえず、こうしたらどうだろうか。
画家が制作している過程を動画に撮り、それをペイント毎に分析していく。すなわち、例えば、6ペイント目から7ペイント目にかけて、何故そこまで時間をかけて、次の一手を躊躇したのか、踏み込めなかったのか?
7ペイント目から8ペイント目にかけては、何故今度は逆にまるで慌てふためいたかのように急いだのか?
これからの画家は、午前中制作、午後は自分の動画を観て、制作パフォーマンスを分析、研究。
やはりこれにどこかの大学の研究機関が提携して、専門家が画家の放出する脳波も含めてITを駆使してくれると、だいぶいいデータを集められると思う。
まあ僕の時代には無理でも、将来的には間違いなく、AIを相手にして描くことになると思います。すなわち、次の一手=次の一塗り=ペイントをどうするかについて、これまでのすべての情報を入力したAIと相談しながら、最も効果的な色と形の一手を考えて描くことになると思う。まさしく「ペイントデザイン」だな。
それで、僕がおじいちゃんになった頃は、未来の子どもたちに、「おじいさんの頃は、一人でキャンバスに向かいながら考えて描いていたんですか?それって今思うと原始的ですごい!まるで太古の洞窟壁画みたい。おじいさん、疲れませんでしたか?」なんて言われるのだろうな。
でも実際にそう言われるようになるまで、もうそんなに先の話ではないと思う。
つまり、AIが画家の仕事を奪ってしまうとか、とって替わるとかいうのではなくて、おそらく直感として、AIと共存した、AIと共に歩むより「豊かな絵画」ができるのではないかということです。各々の画家の各々の状況に応じて。

日経の話が出たついでに、毎朝、日経と The New York Times の電子版を読んでから仕事に入るというのが、僕のもうここ何年もの習慣です。例えば、今朝の日経では、ソフトバンクGの孫正義会長兼社長が、昨日の会見で、世界には1000社くらいユニコーン企業があるのに、日本には3社しかないと話されている動画に、The New York Times では、セーシェル共和国が世界で一番ワクチン接種の進んでいる国なのに、今コロナの大波がまたきている理由を分析した記事にとても興味をもちました。まず僕は、世界で一番ワクチン接種が進んでいる国は、これまでイスラエルだと思っていました。ちなみにイスラエルの接種率62.64%に対して、日本は現在2.59%、とても先進国とは言えない。それでもオリンピックについては決めない。

しかし、現在ロサンゼルス・ドジャースに所属するこのバウアーという投手は、すごい魅力の人間だな。観ていて学ぶことがたくさんあります。野球選手もついにここまで進化したかという感じがする。
もうこれからは、日本のプロ野球選手も「ご職業は?」「プロ野球の選手です。」「で?」って言われる時代だな。
「野球選手なのはわかりました。それで、それ以外にはどんなことをされているんですか?」という時代だな。
画家もそうで、「ご職業は?」「画家です。」「で?」
だから、「ええ、画家です。時々、森のきのこの研究家です。」とか。
まあ僕の場合は、「時々、農夫です。養鶏もしています。特に森で生まれた子猫の愛好家です。」とでも答えよう。これなら事実だから。

お終いに、いつも熱中している読書。「カラマゾフの兄弟」の再々読の後、ドストエフスキー本人は一体どのような人間なのかということに興味をもち、それまで第2巻で中断していた「作家の日記」(ちくま学芸文庫)を再開し、第4巻の「おかしな男の夢ー幻想的な物語ー」の今日性に驚くも、相手(ドストエフスキー)が巨人すぎて全体像がつかめず、そこで視点を変えて一計を案じ、配偶者の方から迫ったら、少しはわかるのではないかという僕の戦略は、今回に限ってものの見事に的中し、アンナ夫人の「回想のドストエフスキー」(みすず書房)2巻を非常に楽しく読み終えました。たぶんこの本は、専門家や研究者の間で「作家の日記」と並んで、教科書的な定番かつ第一級の資料になっているのだろうな。メモを取りながら読んだので、感想はいっぱいあるのだけれど、長くなるのですべてカット。ただ一つ、僕も少し年をとったので、若い頃はそんなことはわからなかったけれども、この本はアンナ夫人が夫の死後30年して書かれた本であるということを、仲睦まじく助け合って生きてきた夫婦が死別後に自然とそうなる、配偶者を理想化する観点から少し考慮しないといけない。
次に、トルストイの「復活」(上下巻、新潮文庫)の再読へと進み、まるで個性の違う両巨人を比較対照しながら読むことができて、とても面白かった。
その後、もう一度ドストエフスキーに戻り、「虐げられた人びと」(新潮文庫)を読む。
そして今、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」(全五巻、岩波文庫)です。
まだ第二巻ですが、第一巻の10歳のコパフィールド少年の『「ここで最高級(一番上等)のビールは一杯いくらですか」(中略)「じゃあ」お金を差し出してぼくは言った。「たっぷり泡の立った純正超高級ビールを一杯くれませんか」』(p.404)
これぞ、ディケンズ・ワールド全開!最高です!
今まで、ディケンズといえば、まずは何と言っても「大いなる遺産」、そして次に「二都物語」だとばかり思っていましたが。

2021年5月13日
和田 健

追伸:今、ニューヨークの Matthew Marks Gallery で、デ・クーニングのドローイング展が開かれています。
僕の大好きなギャラリーで、チェルシー地区に行くたびに必ず訪れる、ただ入るだけで勉強になるいくつかのギャラリーの一つです。
もちろん、コロナで行けない。
たとえ今後行けるようになっても、脱炭素化の観点から、もう人々は、今までのようには自由な気持ちで、飛行機に好きなだけ思う存分乗れないかもしれないな。
こうした環境問題の分野でも、相当遅れをとっている日本でも、「ああ、先月◯マイルも乗っちゃたよ。」と何だか申し訳なさそうに話し、「お前、いくらなんでもそれはまずいよ、少し考えて乗れよ。」と言われる時代までもうすぐです。
実際に、例えばフランスでは、すでにもうそうした意識が、国民の間で、とても高まっているような印象を受けます。
それはともかくとして、Matthew Marks Gallery が、Online でも同時提供してくれています。
それが並外れて素晴らしい!Online でもここまでできるんだ。ぜひ観てください。more information を一つ一つクリックしながら観ていくのがコツです。
ギャラリーを実際に訪れる際の45分ごとの事前予約のシステムも非常にわかりやすくてよいです。
いい展覧会があったら、すぐに情報を共有し、ただちにみんなで観て知見を深め合うことは、全体のレベルアップのためにとても大切です。
https://matthewmarks.com/online/willem-de-kooning-drawings-2021