Archive for the Essay 2012-2021 Category

Today’s Black and Blue Paintings! No.4

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 5 January 2021 by kenwada

2021年1月5日、4枚ともダメ、当然全没、依然として形が見えてこない。
前回書いたことと全く同じことを自分に言う、「絵画と執拗に変質なまでに対話し続けること」。
諦めるといとも簡単にあっさりと、そこで終わる。
それもいいか、毎日負け続けるよりも。
しかしそれにしても、絵画はほんのわずかな、そうーっと描いた繊細な一筆で、全体の局面、形勢、情勢が、あまりにも劇的に変わるな。
いつも思うことで、僕は全くの専門外だけれども、絵画は、おそらくは将棋よりも囲碁の世界により近いのではないかと思う。
おそらく両者は、ほとんど同じことをしているのではないかと思う。
他の仕事では、ここまで劇的に全体の曲面が変わるということは、あまりないと思う。
例えば、原稿を読みながら、何かのお話をしている人が、◯◯を、のところを◯◯は、と助詞を一つ間違えたくらいで、すぐに言い直せばよいのだし、お話全体がダメ、没までにはならないと思う。
でも絵画の場合は、助詞を一つ塗り間違えただけで、一瞬にして全体が没になってしまう。
その転落していくスピードが、おそろしく速い!
これまでの日々の制作の過程で、本能的に嗅ぎつけているのだけれども、ここにおそらくは絵画の本質があって(隠されていて)、基本的に絵画は全取り替えの精神なのではないかと思う。
すなわち、部分の取り替えが効かず、常に All or Nothing の世界なのではないだろうか。
そうなると当然、大胆に全体を全て取り替えられる神経の図太い人というか、丈夫な人が絵画制作に向いているということになる。
じゃあ、神経の図太い人なら、そうできるかというと、これができない。
何故なら人間だから、今まで積み上げて描いてきたもの(その努力なり労働なり時間なり)をゼロに振り出しに戻したくないから。
結果が何も残らないから、むなしく意味がない行為のように、繰り返し感じさせられるため。
それから描き直した場合に、もっとひどくなるということも当然予想され、それであれば妥協案として現状を残したくなり、つい躊躇するから。
つまり、人間であれば絵画制作において、そんなに勇気に違いが出ない。
そこで自分のしがみつきたい意志をはずして、半ば強制的に全取り替えにもっていく仕組みを考案して、絵画制作に導入することで、毎日のように全取り替えができるようになる。
僕は、そんなことを模索しています。
この画面上の追求のスリルでは、絵画制作をしている人たちに対して、飽きろと言う方が無理だな。
どちらかというと、絵画の制作は、何か中毒になる類いのものだと感じる。

Today’s Black and Blue Paintings! No.3

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 3 January 2021 by kenwada

2021年1月3日、昨晩、グレン・グールドの YouTube の演奏をまとめて観る。
いつもながらに得るところが非常に多い。
結局は、絵画と対話をするということ、バリエーションをもたせて、様々なアングルから角度を変えてはステップインし、執拗に対話し続けるということ。
その継続性や持続性と、対話し続ける変質なまでのしつこさの度合い、最後の勝負はこれに尽きる!
楽しいから対話しているのであって、対話そのものが嫌になってしまったら、苦痛になってしまったら、引退するということ、大変残念ながら辞めざるを得ないということ。
デレク・ジーターが引退する時に、素晴らしいことを言っていたのを思い出す。
「野球が僕の仕事になってしまったから辞めます。」
素晴らしい!
これを言える男は、なかなかいないというか、まず滅多にいないよ。

Today’s Black and Blue Paintings! No.2

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 2 January 2021 by kenwada

2021年1月2日、朝起きた時、しまったと思う。
やはり昨日、制作を休むべきではなかった。
しまった、一年の計は元旦にあり、などと昔から言うではないか。
いきなり元日からこけた。大切な一日を無駄にした。
大晦日まで制作していたので、まあ、お元日くらいいいか、と思ったのが実に甘かった!
別に僕は立派な社会人などではないのだから、世間様がお元日にどうしていようがお構いなしに、僕は仕事をするべきだった。

この年末に読んだ本。
①ゴーゴリの「外套」(未知谷社)の再読。
アカーキー・アカーキエヴィチの外套を抽象絵画にするという目標もまだ全然達成されていない。
もちろん新調する前のボロボロの方の外套。
②ドストエフスキーの「キリストのヨールカに召された少年。」(作家の日記2、ちくま学芸文庫)の再読。
これについては以前、当サイトに書きましたが、
https://kenwada2.com/2018/10/20/the-beggar-boy-at-christs-christmas-tree/
ドストエフスキーがこうしたお伽話を書いてもどれだけ才能があるかということを如実に示している。
おそらく、この話は短時間でサラサラっと書き上げてしまったのではないだろうか。
このヨールカもデッサンをとっただけで、その後、全然絵画化されていない。
しかし、この作品だけ単独でもっと目に触れるように、何とかできないのでしょうか。
③ディケンズの「クリスマス・カロル」(新潮文庫)を、Oxford Bookworms Library の「A Christmas Carol」を使って再読。
電子書籍と紙の本の両方で試してみましたが、この Oxford Bookworms のやさしいテキストは素晴らしい!
もっと読もうということで、次は、ユゴーの「Les Misérables」(何故タイトルがフランス語なのだろう)を読んでみよう。
以前、岩波文庫の全4冊で熱狂して読んで、ストーリーが頭に入っているので、テキストだけで進められるだろう。
テキストが届くのを待っていなくてよい分、電子書籍ならすぐに始められるし、学習の回転速度が上がる!
単語にカーソルを合わせるだけで、即英和辞書がひける、アンダーラインだって4色もある、今年はもっと電子書籍を活用しよう!

この年始に読む本。
①黒木登志夫さんの「新型コロナの科学」(中公新書)。
この方は、山中伸弥教授のサイトで知りました。
②斎藤幸平さんの「人新世の「資本論」」(集英社新書)。
この方は、昨年末にNHKラジオに出演されていて知りました。
朝聞いていて、即座に、あっ、只者ではないな、ついに現れたかと思いました。
③同じく斎藤幸平さんの「カール・マルクス「資本論」」(NHK出版)。

この年末に観て、非常にためになった YouTube は、「Ricardo Lopez Training」というボクシングの練習動画(1時間ちょうど)。
これはすごい!いまさら僕が力説する必要は何もないけれども、彼は超一流だな。
Painting に生かせる内容が満載で非常に参考になった。
結局は、超一流になればなるほどやっていることは実にシンプルで、基礎・基本をバリエーションを取り入れて組み合わせ、様々な動きを入念に試しては、そのチェックを執拗に繰り返し、体に染み込ませている。
ただひたすらそれだけに集中している。
その練習密度が非常に濃い、やっていることに特異な独創性があり、一切無駄がない。
俺は世界チャンピョンなんだぞという変な自意識過剰のようなもったいぶった面の皮が厚いようなところが皆無である、ということ。
現役時代の彼は、ボクシングスタイルにクールな営利さがあって、どこか冷たい感じがして、アーロン・プライヤーや張正九のような熱いハートの塊みたいな選手と違って、あまり好きにはなれなかったけれど。
問題は、この特異な独創性を、どこで身につけたかだな。
例えばパンチングボールの扱い方、叩き方一つを見ても、これだけ鋭角的に斜線で使える選手を見たことがない。
それについて、いくつかの興味深い思考が進みました。

さあ、今年もまたスタートです。

2021年1月2日
和田 健

未曾有のパンデミックの一年の終わりに思うこと

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 27 December 2020 by kenwada

©︎Photo by Koto Takei       2020年10月16日、アトリエにて。

今年は、お世話になっているニューヨークのアゴラ・ギャラリーのディレクターが、5月にコロナで亡くなりました。
同じく5月に、長年の大切なパリの友人のお母様がコロナで亡くなりました。
また年末になって、長年にわたって交流を続けてきたイギリスの画家から、コロナで9ヶ月間に8回入院していた、現在も長期にわたる肺のリハビリテーションプログラムを続けているという手書きのクリスマスカードが我が家に届きました。
Painting nearly died, の文字を目にし胸が張り裂けそうな思いがしました。
昨日まで4日連続、国内の1日あたりの新規感染者が過去最高を記録しました。
もうたくさんなのに、イギリスで変異種が猛威をふるい始め、南アフリカでも変異種が現れました。
今年は、コロナ禍で結局、僕は一度も展覧会ができませんでした。
さぞかし同じような苦しい思いをした同業者の方も、どれほど多かったことでしょうか。
希望やモチベーションは何もありませんでしたが、僕は毎日、絵画の制作を続けました。
我が家にはテレビがありません。
森の中で唯一受信できる NHKラジオ第一放送R1 で、高校生くらいの女の子が「弟や妹がまだ私の下にいるので、コロナで進学を諦めようと思います」と話しているのを聞いて、涙が溢れました。
この子を何とか進学させてあげられないのでしょうか。
政府予算で1機164億円もかけて探査機を飛ばし、オーストラリアにカプセルが着地した時、ラジオで「勇気をもらいました、涙が出るほど感動しました」という年配の方の声に接し、とても不思議に思いました。
ラジオで少年院から出てきて更生した福岡の女の子が話しているのを聴いて、この子はトーマス・マンが25才の時に書いた「ブッデンブローク家の人びと」よりも物語を語る才能が明らかにあるなと思いました。
この子に何とか専門教育を受けさせてあげられないのでしょうか。
それとも、この天才を埋もれさせてもよいのでしょうか。
何故かこの子たちに、ソフィアでピカソのゲルニカを直に観せてあげたいと、できもしないのにすぐに強くそう思いました。
家から一番近くのコンビニの駐車場に、緊急事態宣言解除前の GW から、県外ナンバーがいつもあふれているのを見るたびに、日本人のモラルもだいぶ変わってきたなと痛感しました。
前総理は、そこのところを履き違えたな、読み間違えたなと思いました。
現総理は、お金を出してまで移動を支援しました。
コロナの問題が起きた春先から、信頼できると自分で感じた何人かの科学者の言うことだけを読み、最大公約数をくくるように努めてきました。
コロナの問題で、移動、旅行が感染拡大を広げる最も有効な手段であることは、現在、科学的にはっきり証明されています。
でも科学者でもない僕は日々の情報収集をしてメモを取りながら、この悪魔=COVID-19 がどこかへ行くのをじっと見ている、ただ待っているしかありませんでした。
何もできず、非常な無力感にとらわれました。
Google の COVID-19 感染予測 (日本版)の来月1月上旬の東京都のみの感染者数を見て、我が目を疑いました。
来年もおそらく展覧会はできないと思います。
できたとしても極めて制限された形での実施になると思います。
コロナの問題が起きてから、それにいち早く反応したアメリカのギャラリーを中心とした Online での展覧会を含む一連の活動の展開をいつも注視してきました。
一番すごいな、大胆と言うか、ついにここまできたかと思ったのは、アートフェアそのもの自体をバーチャルでやってしまおうとする今月の RAVE Miami のイベントでした。
それでも、この非接触、非移動の日常がどこへ行くのか、僕にはわかりません。
今年はコロナ禍で、日本ではアルベール・カミュの「ペスト」に久々に光が当たりました。
是非、僕の大好きなカミュの最高の作品だと僕が思う「最初の人間」も読まれてください。
僕は今、チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」(新潮文庫)の再読を、Oxford Bookworms Library のやさしく語り直された素晴らしいテキストと照らし合わせながら読んでいます。
貧困から文豪にまで登り詰めた彼の作品の中のユーモアに、何かすがりつくようなコロナ禍の中の希望のようなものを感じ出しました。
そうです、暗闇の中のユーモア!
変異種の渦中のイギリスでは、今、人々に何が読まれているのでしょうか。
何も根拠はありませんが、やはり自国のディケンズのユーモアに接したいのではないでしょうか。
何もできない僕は来年、様々な思いを抱きながらも、それでも今年以上に絵画の制作をしようと、せめてそれだけは何故だか強く思います。
今取り組んでいる Black and Blue Paintings を仕上げた後の、それ以降の来年度の Painting の構想や展開について、この年末に熟考していこうと思います。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

2020年12月27日
和田 健

Happy Holidays!

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 24 December 2020 by kenwada

Dear Friends,

May your holiday season be safe and peaceful — and your New Year be bright!
Please take good care of yourself!

Peace, Joy, Thanks!

Warmest regards,
Ken WADA

Today’s Black and Blue Paintings! No.1

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 16 December 2020 by kenwada

2020年12月15日、全然ダメ、没、お話にならない、形が見えてこない、見えてこなければ描けない。
思考、考察用の簡単な枠を作ってみた。
まあ、あえて強いて言えば、効いたのは、6の縦棒と10の受けの丸、下向きの重力を作る。
重力が下向きなのは当たり前だけれど、当たり前に接すると安心感が出るため。
次に、15の une oblique (斜線)。あとは観るところがない。
16枠平均で出ていったらいけない。間が抜けていないといけない。ポイントを作らないと。回転かけて踊っていないと。小さいのを入れて大きさを変えてこないと。四角四角でいったらいけない、四角・丸・縦棒・横棒・かすれの組み合わせでいく。
即、青で全消しした。
思考、4の4で16枠は、画面が少し騒がしくないか、にぎやか過ぎる。
そこで、3の4または4の3の12枠あたりでどうか。
または、3の3で9枠だと、どのくらいの間抜けが得られるか。
3パターン作ってみて、思考、考察をする。
もう一度、「祭姪文稿」を観よ、「祭姪文稿」を。あの中に全宇宙がある。
おい、諦めるなよ!諦めたら、終わり、The End!

2020年12月16日
和田 健

I Started My New Series “Black and Blue Paintings” This Morning!

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 7 December 2020 by kenwada

2020年11月25日に、シリーズ F Paintings 4作品の4枚目(Untitled 2020 No.24)にサインをした後、中1日おいて11月27日から新シリーズ「Black and Blue Paintings」に入りました。
そうです、今度のテーマは黒と青の組み合わせです。
そして青の下地作りをした後の今朝の最初のペインティングで、これはすごい!
思わず興奮するような無限の可能性を感じました。
作家としては、First Painting で多くの可能性が感じられると、当たり前のことですが、何とも言えないうれしさがあります。
このような最初の段階で、黒の形がどうのこうのとか言っていても、愚の骨頂というか何も始まりませんので、黒と青の面積比と黒のかすれの分量を大局的につかんで、あとはもう絵画を「勝手にどこにでも行って遊んでおいで」って突き放して、黒と青のコンビネーションの美しさを味わうくらいにしておきます。
そして、このことがこれからの制作に向けての大きな滋養になります。
これから下地の青色の種類も模索していかなくてはならないし、それとその上に描く黒の形との組み合わせで、素晴らしく楽しい仕事になる予感がします。
ただし、ここがペインティングの面白いところで、いいスタートを切ったからと言って、必ずしも最終的にいいゴールにもっていけるかどうか、一概に何とも言えないと言いいますか、全く見通しがたたない。
だから絵画はいくら描いても飽きがこないのです。えらくなれないから。Stay Humble.
いつだって絵画は手強い生物(なまもの)で、勝手に向こうから、相手の方から、ものすごいスピードで変化球を投げてくるから。
それを何とかして打たないといけない、全く打てなければ、対応できなければ、何故自分は空振りし続けるのか、その理由を考えないといけない。
そしてやがて打てないまでも、何とかかすれるようにはなってくる。
いいタイミングでチップして、バックネットにファールが飛んで、真後ろに突き刺さる、おっ、タイミングが合ってきたぞっていう、あの感じ。
さあ、ここからまた勝負です。
確か先日、今年はシリーズ F Paintings までと書いていた気がするけれど、もうそんなことはどうでもいいや。
それで、この黒と青の組み合わせは、すでにどこかで格闘したことがある、引き出しとしてもっているという感じがし出して、よく考えてみたら、2013年のシリーズ Drakness の12作品でした。
よろしかったらご覧ください。
https://kenwada2.com/category/darkness-2013/
あの時、初めて漢字の要素を具体的かつ直接的に作品に取り込んだんだよな。
あれからまもなく8年か、今度はどこまで前へ進められるのだろうか。

2020年11月30日
和田 健

ブッデンブローク家の人びと

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 20 November 2020 by kenwada

この秋、渡邊一夫氏の「フランスルネサンス斷章」(岩波新書)を昭和25年発行の初版で読み、次にトーマス・マン、渡辺一夫の「五つの証言」(中公文庫)へと進み、アンドレ・ジードの序文を読んだ時に、そう言えばまだトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」を読んでいないなと思い、10月8日に読み始め、11月17日に読み終わりました。
これでトーマス・マンの3大作を読んだ順に、「魔の山」(岩波文庫、上下巻)、「ヨセフとその兄弟」(筑摩書房、全3巻)、「ブッデンブローク家の人びと」(岩波文庫、上中下巻)と今ごろになってすべて読み終わりました。
何事も非常に遅い僕の人生の歩み、そのものですね。
順番をつける問題ではありませんが、一番面白かったのは、「ヨセフとその兄弟」です。
「ヨセフとその兄弟」についての印象は、以前当サイトに少し書かせていただきましたので、ご紹介いたします。
https://kenwada2.com/2016/01/22/ヨセフとその兄弟/

「ブッデンブローク家の人びと」は、これは何と言っても、何故25才の青年がこのような親子4代にわたる物語を書くことができたのか、もうこの一点に尽きます。
このことだけを上巻、中巻あたりまで、メモを取りながら、ただひたすらずーと考えていました。
通常あり得ない、他のいわゆる文豪の方たちの若い時の作品に比べてもあり得ない、何か違和感すら覚える、異様な感じがする、天才だから書けた、それでは僕の疑問は解決しない。
そこで以前、マンの時間の使い方に焦点を当てて、「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読んだ経験から、自分なりの仮説をたててみました。
以下、全くの初心者の私論です。
逆に世の中には、相当数のマンの研究者、専門家の方がいると思いますので、大学のドイツ文学の先生方の間では、当然数えきれないくらい議論が交わされ研究され尽くしたであろうこの問題について、現在どのような統一の見解が出されているのでしょうか。
仮説1は、「トーマス・マン日記」を読むと、主に夕食後に家族を前にして日常的な習慣として繰り返し行われる自作の朗読というキーワードが浮かび上がってきます。
おそらく幼少期から兄ハインリヒは当然として、兄弟間で、または家族で、毎日のようにこの自作の物語の朗読会を繰り返していたのではないか。
それによって、ごく幼い頃から物語を語る能力が養われ、25才にしてすでに十二分に熟成されていたのではないか。
このことは、「ブッデンブローク家の人びと」の中ではハンノの唯一の友人であるカイ少年の姿にも重なります。
仮説2は、このブッデンブローク家の物語がほぼ実話なのではないか、その部分の強みである程度書き進められたのではないか、そうであっても驚異的ですが、そんなことを思いながら読み進めてきたのですが、下巻の参事会員が妻が少尉といる階上の深い静けさに耳を澄ませるシーンなどは、やはり何か違和感がある、つまり仮説1+2では割り切れないものを感じました。
また中巻でフィシャー街に参事会員が華麗な夢のような邸宅を新築したあたりから、次第に精気を失っていく様子の細やかな描写も上手すぎる。
家を新築したあたりから人生が下り坂になっていくという現象は、世間でよくみられることだと思いますが、25才の青年がここまでこと細やかに、それを俯瞰して総合的にとらえられるというのは、何か少し不自然な感じがする。
そこで僕の仮説3が出てきて、マンは何らかの意味で、ものすごく早く社会に出た/接触したのではないか、というものです。
意味でというのは、例え家の中で生活していても、もう社会に出ているような何らかの意味合いが、そこに事実としてすでに生じていたのではないか、ということです。

後の「魔の山」への萌芽もたくさん感じました。
トラーヴェミュンデの全てのシーン、特に下巻で参事会員が激しい雨の中、療養ホテルで雑談にふける場面。
これだけ多くの登場人物がいて、主人公は誰だということになれば、さかれているページ数から言えば、一応、参事会員トムことトーマスになるのだと思いますが、僕がすごくひかれたのは、その妹のトーニことアントーニエです。マンはこの世に素晴らしい一人の女性を送り出しました。この女性は美しい、圧倒的に美しい。特に下巻でメング通りの実家が売却された後、「往来のまん中で、多くの通行人が見ているまえで、ぽいぽいと泣き出した。これからさえずろうとする小鳥のように頭を反り返らし、・・・通行人の姿は目にはいらなかったし、・・・流れる涙を拭こうともしなかった。トーニらしい、人目をはばからない、子供のようなすがすがしい泣きようであって、人生のたびたびの嵐と難船にも失なわなかった泣きようであった。」2度の離婚を乗り越えて、トーニだけは、いつどの場面で出てきても、いつだってトーニはトーニなんですよね。いつだって愛らしい上唇を少し突き出して、上半身を反り返らせて、感じやすい善良な心をもち、いつまでたっても少女のようなお転婆娘で・・・、現代の一人の女性として、これからの未来の女性像として考えても大変な魅力です。

そして読者にとっては、あれっていうくらい、トーマスが実にあっけなく亡くなり、まるで余ったページの付録のように、何故その後、ハンノの一日の話がだらだらと続くのかなと、正直なところ最初はそう思いながら、下巻の最後の部分を読み進めて、ところがところがですね、圧巻はここからでした。
これはその辺りの優等生や秀才には、間違っても書けない。
学校の授業のこのシーンはすごいですね。
マンは余程、劣等生と言うか、反抗的と言うか、学校、校長、教師、そういったありとあらゆる権威と名のつくものに対する憎悪、吐き気、敵対心、そして恐怖。
それとともに級友たちの実に生き生きとした描写。級友たちに注がれるユーモアに富んだ温かい眼差し。こちらは同級生の横の関係であり、同列だからですね。
この第11部の第2章は、並行してどこかに別に執筆しておいたものを、小説の構成上、最後になって、ここにどんと入れたのだろうか。
1901年の小説が2020年にまるで鮮度が失われていない、すごいなあ。

それで、どうしてハンノ少年までチフスで死ななければいけなかったのだろう。このマンの意図はわからない、これではちょっと救いようがないではないか。副題の「ある家族の没落」と言うよりも、壊滅、死滅のようなものに近くなってしまう感じがする。それ以前に、すでに「ヨハン・ブッデンブローク」商会は、精算して、解散しているのだから、何も死ななくてもよいのではないか。この少年は現実的な能力の乏しいままに、それでもなおピアノに寄り添いながら、ひっそりと生きていくという選択肢を何故取らなかったのだろう。

最後に、一番美しかったシーンは、上巻でトーニがトラーヴェミュンデの海沿いのシュワルツコップ家でモルテン青年と過ごす「たのしい夏の何週間」の日々でした。
一番絵画としてとらえられたのは、これも上巻でトーマスがフィシャー街にある「入り口のドアがせまく、小さなひっそりとした花の店」で、アンナと話す場面です。
中巻の記述では、「貧弱なショーウィンドーの緑色のガラス板の上に二、三の球根植物の鉢がならべられている小さい店」となっていて、この緑色のガラス板の上という描写にひかれます。
アンナは最後、弔問客としてトーマスに告別に来ますね。

リューベックには行ったことがありませんが、何故かトラーヴェミュンデの場面で、フランスのノルマンディーの海岸を、特に僕の大好きな Manche 県の静かな恐ろしく静かな海岸を思い出しました。

The sea of Normandy 3, 2009, Gouville sur mer, Manche, France
Watercolor on paper, 31.8×41.0 cm

これから気になったところ、印象に残ったところを、部分部分で読み込んでみます。
これこそ読書の醍醐味ですね。

2020年11月20日
和田 健

後日記:読後から10日が経ちましたが、何故ハンノは死ななければならなかったのかについて、未だに考えています。
日本語と英語の論文や分析を合わせて10本くらい読んでみました。
いろいろなことがわかりましたが、何故ハンノが死ななければいけなかったのか、そこに迫るものは日本語で一つだけありましたが、疑問は依然として残りました。
それとは別に、ハンノとカイとの関係は同性愛としてとらえられているのですね。
日本人では伊藤白さんという方がゼゼミに焦点を当てて書かれた論文が非常に面白かったです。
1959、1960年製作のドイツ映画「Buddenbrooks」も観てみました。よくこれだけストーリーを作り替えてマンの遺族の方が、了承したなというのが、僕の率直な感想ですが、トーニ、トーマス、クリスチアン、ゲルダと役者が皆素晴らしかったです。

©The Buddenbrooks (1959 film) – Wikipedia
向かって左からゲルダ父、ゲルダ、トーマス、クリスチアン、トーニ、コンズル夫人

イメージしてきたこととピッタリだったのは、トラーヴェミュンデでトーニがモルテン青年と過ごすシーンはやはり美しいなということ、おお!アンナの花の店に光が当てられて、アンナが重要な役をしているぞとか、主役ではないけれども、やっぱりこの物語はキャラクター的にトーニが主役になってしまうなとか・・・、そこでやめとけばよかったのですが、何故かこの物語を日本で作れないものかと突然奇妙なことを夢想して・・・、トーマスはなんといっても絶対に佐田啓二さんですね。亡くなったとか、そういうことは関係ない、佐田啓二さん。トーニは南果歩さん、クリスチアン役のために・・・、やめます。
もう一つトーマス・マンを読んでみようと、「ファウスト博士」を注文し、11月25日から読み始めました。同じ作家の46年後の作品ですね。今のところ奇抜な出だしで全体の状況がつかめない、けれども楽しい、「ブッデンブローク 家の人びと」のような違和感は読んでいて感じない、というところ。
岩波文庫の古書が高かったので、より古い岩波現代叢書の方の古書で、Ⅰ、Ⅱ巻合わせて650円でそろえられました。Ⅰ巻が昭和27年のうれしい初版で350円、Ⅱ巻が昭和38年第7刷の美本で300円でした。

2020年11月27日
和田 健

Today’s F Paintings! No.2

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 12 November 2020 by kenwada

2020年11月11日、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は75回まできました。
描いては全部消し、描いては全部消しを繰り返し、形が見えてこない期間が長く続きましたが、個人的には、途中から心が戻ってきていたので、気持ちが集まってきていたので、大丈夫だなと感じていました。
少し形が見えてきたな、絶望期間をくぐり抜けたぞ、よし、ここから作品にもっていけるぞっていう感じ。
見えないものは描けない、見えなきゃ毎日制作していても、何回やってもどうしても何としても描けない!
描けなきゃ白で全部消したらいいのです、この4枚も明日の朝、チタニウムホワイトで全部消しますが、でももう僕の中で見えています。
消すのは美しいです。
間違いなく絵画制作の醍醐味の一つです。
消し方は3通りです。
1. 前の跡が見えないくらい濃く厚く消す、前の跡が浮き出るように薄く消す、あるいはその中間で消す、すなわち濃淡を自ら意図してコントロールして消す。この時、あくまで基本は薄く消し、乾いた後で足りなければさらに薄く加えて消していく。キーポイントになるのは当然、水分の含有量です。パレットの中のと言うよりは、どちらかと言うと、刷毛の中の含有量です。
2. 消すことさえもいい加減に無造作に消す、すなわち自らの意図をはずし、さらなる偶発的な要素を引き出すために消す。
3. 1と2を混ぜ合わせたやり方で消す。
僕らの仕事はあきめたら終わり、その時点で、文字通り The End! です。
絵画の制作をされない方には、何を言っているのか、さっぱり伝わらないと思いますが。

2020年11月12日、4枚消す。
しかし消すというのは実に美しい。
これに対して、描くというのは、あるいは描くという行為は、歴史上のどんなに偉大なアーティストのどんなに偉大な絵画においても常にどこか醜い。
何故なんだろう?
そこに大きなヒントが隠されていると思う。
思考を大きく前に進めるための鍵が確実にそこに秘められている。
そこに必ずあることは本能で、言わば匂いでわかる。
でもそれが何であるのかが、どうしてもわからない。
Cy Twombly は Duino を持ち出すまでもなく、このことをはっきりと認識していた。
彼はどこから認識したのだろう?パリで学んでいた頃に、Alberto Giacometti の絵画をどこかで観たのだろうか。
あれは美しい、圧倒的に美しい、特に母親と Annette 夫人を描いた一連の絵画。
それ以前にはあそこまで一つの画面の中に消すという行為は見られなかったので、大胆な仮説にはなるけれども、Giacometti の絵画をそれ以降のこの「消す」という現代絵画の一つの潮流の始祖とみなすことはある程度可能だと思う。わからない、ターナーの晩年の絵画があるから、全く何の根拠もない。でもわからない時は、当てずっぽうで、いくつか声に出して言ってみることが大切で、そこから思考が繋がってくることがある。
もちろん彼はパリで、モネの睡蓮は当然観ただろうと思う。でもそれを言えば、モネの睡蓮は、僕ら抽象絵画のすべての源である偉大なる祖先だし・・・、たぶん教科書的にはカンディンスキーになっていると思うけれども。
結局こうしてわからないままである程度の年月が経過すると、消すという現代絵画の一つの潮流の始祖は、Cy Twombly だという認識が定着することになるのだろうと思う。必ずそこにはそれまでの先人の到達地点というものがあり、一気には到達しないのだけれど、例えば印象派には当然ドラクロアという巨大な先人の存在があったように。
2018年に、Gagosian で Cy Twombly を2画廊で同時開催していて、それこそ浴びるように大量に観たけれども(画家の作品を観る時には、できれば一人の作家の作品を浴びるように大量に観た方がいいです、いろいろなことがわかります。1点2点しか観れない時も食い入るように観た方がいいです、それでも観ないよりはずっといいです)、ニューヨークでは、Twombly はもう完全に大御所の扱いだった。これだけ現代絵画を押し進めたのだから当然だろうけれども。
あるいは彼は毎日の制作の中で、僕と同じように気づき、その後認識に至ったのであろうか。であれば気づくまでは、僕にもできるのであるから、誰にでもできることであり、その後、認識に至る、問題は、はっきりと認識に至る、その過程の一点なのだなと思う。
わからなければ前へ進めない。
どうして消すということは、描くということよりも美しいのだろうか。
わからない、わからないと言っていないで、徹底的に考えろと自分に。
わからない時は、しゃべっていれ、黙っちゃうとそこで終わってしまうからと自分に。
例えば、描くということは、あるいは描くという行為は、多かれ少なかれ人間のエゴイズムであり、消すとその人間性が消滅する感覚を味わうからだろうか、思わず喝采したくなるような、何かある種の清潔感のようなものをそこに感じるからだろうか。
あるいは例えば、描くということは誕生を意味するけれども、消すという行為は死を連想させるから美しいのだろうか。
違うのではないか、僕らは毎日制作している訳で、そうそう毎日死を連想させられてはたまらない。やっぱりこれは何か描いてあったところを塗られると、逆にその中を観たくなる、のぞきたくなる心理が働く、そういう人間の脳の働きなのではないか。例えば都会で毎日のようにどこかでやっているビルの解体工事、いつもは忙しく通り過ぎる人たちも、あれっ、ここにビルがあったんだけれどなと、ふと足を止める時のあの心理、壊されると逆にそこにあったものをとっさに復元しようとする脳の働き、何かそれに近いものなのだろうか。

後日記:フランスはパリ時代に、14区の 46, rue Hippolyte-Maindron にあった Alberto Giacometti のアトリエに入りたくて入りたくてどうしようもないくらい入りたくて、郵便受けの穴から中をのぞいて、うぉ〜、今日は少しだけ中を見れたぞ〜とか狂喜して叫んでいて、その日もアトリエの前でウロウロして、当たり前だけれど入れなくて、すぐ近くの角の本屋に行ったら、そこでの出会いから後日2007年9月29日に、所有者の方にジャーナリストの女性と一緒に正式に招待されて中を見せていただくことができたという、めちゃくちゃ面白い話があるのですが、こういうことも一度しっかり書いておかないと、やがて誰にも伝わらなくなりますね。
モデルを務めていらした矢内原さんはもちろん別格として、日本人であの中に入った人は、一体何人いるのだろう。
その後、2007年10月から2008年2月にかけてポンピドゥー・センターで Giacometti のアトリエの壁を本当にそのまま運んできて(復元した壁などではなく)展示して彼の展覧会の一部とするという企画があって、すごい大胆なことをやるなあ〜と驚きました。え〜と、ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんね、何で壁なのかと言いますと、彼はものすごい量のデッサンを壁に、そうですあの美しいデッサンを壁に直接描いたのです。
Giacometti のあまりに美しい彫刻、絵画は無論のこと、芸術家としての生き方そのものが僕に与えた影響、彼から学んだことは計り知れないです。
同じアカデミーの大先輩でもありますが、この世が生んだ間違いなく最大の芸術家の一人だと思います。
若い方は「ジャコメッティ」「ジャコメッティ エクリ」(いずれもみすず書房)は必読です。
さらには18区のモンマルトルのゴーギャン、ピカソ、モディリアーニ等の洗濯船 Bateau-Lavoir、ああ洗濯船!モンマルトルに住んでいた僕は、とてつもない憧れと尊敬を胸に秘めて、文字通り胸に手を当てて、一体何度あの前を通り過ぎたことだろう。15区のモンパルナスのモディリアーニ、シャガール、キスリング、天才スーティン等の蜂の巣 La Ruche、どちらももうすでにと言いますかとっくに、歴史的遺産とも言うべき有名なアトリエですが、同じように前をウロウロしていて、結局どちらも中をきちんと見せていただく機会を得たこと、洗濯船のコロンビア人の画家の方とはその後も交流が続いて、僕のパリの個展には奥様といつも来てくださいました。奥様は日系移民の子孫の方でしたが、日本語は喋れなかったな。温かい質素な素晴らしいご夫婦だった。
これら三つのアトリエに入れた話をアラジンと魔法のランプになぞらえて、「開けゴマ」というタイトルで、いつか書きたいなと思いつつ、今日まで来てしまいました。
「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタ7 7-11)
フランスでは本当によく門をたたいたな、そしてその度に勉強したいのであれば、いつでも入れてくれた・・・。
それに対して日本では、同じように門をたたいても、あそこまでは開けてくれないな、その理由を僕ははっきりと理解していて説明することができる・・・やめよう、暗くなる。
やっぱり、これは後日記などではなく、単独に一つの記事として改めて書くべきだな、どうみても。
なんてお上品にかしこまっていないで、ガンガン行こうぜ、おう!
rue Hippolyte-Maindron のすぐ近くに、Square Alberto-Giacometti という小公園があるのですが、それを描いた2008年の絵を今でも時々クリックして観てくださる方がいます。名前からして、ここに彼のアトリエがあったのだろうと思われる方がよくいますが違います。

Square Alberto Giacometti, June 2008, Watercolor on paper, 22.0×30.0 cm

また、rue Hippolyte-Maindron と交差している通りに、rue du Moulin-Vert があるのですが、その通りに住んでいた友人の部屋の窓から毎日描かせてもらった絵が、2007年夏の「パリの屋根」です。

The Roofs of Paris, 2007, Oil on canvas, 100.0×73.0 cm

僕らもその当時、すぐ近くの Villa Brune に住んでいました。みんな14区のモンパルナスの同じ quartier 地区、界隈でした。

2020年11月14日
和田 健

「ライだよ、森の童話」の改訂第二版が完成し出版されました!

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 9 November 2020 by kenwada

皆様、こんにちは。
2020年10月3日に「ライだよ、森の童話」の初版を発行してから、皆様から寄せられた貴重なご意見やご感想、時には手厳しいご批評をもとに、この度、改訂第二版が完成し、同じくアマゾンの Kindle から昨日電子出版いたしました。
本当に皆様のお陰で、ここに改訂第二版が誕生いたしました。
初版の全編ひらがなとカタカナの横書きのゴシック体で、ライがリズミカルにしゃべりまくり続ける、言ってみれば落語調の歌うような物語に対して、今回の改訂版では大胆に思い切って、縦書き、ゆるめの適度な漢字の使用、フォントは明朝体とし、これに写真も何枚か加え、同じ童話ながらまるで違った印象の本に仕上がりました。
皆様にそのイメージを少しでもおつかみいただくために、本文の40ページをご紹介いたします。
このページだけ見せられても物語の前後のつながりがわからないと思いますが、あくまで雰囲気を感じていただきたいという趣旨です。
また今回の改訂版では、これも皆様から寄せられたアドバイスなのですが、音読することの重要さを再認識し、原稿の音読を大きな声で繰り返し行い、リズム重視の観点から、改行や句読点等につきましても、自分なりに最大限の努力をいたしました。
その結果、かなり読みやすくなったと思います。
自分で納得、満足のいく仕上がりになりました。
絵画の個展をするくらいのエネルギーを使い、全力を出し切りました。
自分のデビュー作の大切な記念として、また、より実験的・前衛的な苦闘の一つの記録として、初版も同時に残すことにいたしました。
そのためわかりやすいように表紙の色をはっきりと変えました。
緑色の初版が本文54ページ、茶色の改訂第二版が本文86ページで、どちらも僕の絵が10作品掲載されています。

何故この夏以来、お前は突然書き続けているのかと問われますと、一言では言えませんが、執筆の動機や背景となったのは、まずジェイムズ・ジョイスの1939年の「フィネガンズ・ウェイク」です。
8月に Today’ Worst Paiting No.3 にも書きましたが、あのバババダ・・・の部分の文章の原文、
bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonner-
ronntuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthur-
nuk!
もちろんこれが各国語の雷の集積であることは後に学びましたが、でもそういう分析は大学の先生や専門の学者にお任せして、何と今では誰でも YouTube でジョイスのレコード音声が聴けるのです!
大変残念ながら別の箇所ですが、音源が残されていて、作家本人がどういうリスムで朗読するのか、これは非常に大切です。
作家本人が朗読する時は、朗読者やナレーターの朗読と違って、自作に対する絶対にごまかしようのないリズムが出ますから、これを何度も聴いて本来のリズムをつかみました。
やはり彼はあの部分を各国語の雷雷雷・・・だなんて書いていないで、バババダ・・・のリズムで書いています。
ああ、このリズムで新しい物語が創れるはずだという思いがまず一つ。
そして次に、そこからインスピレーションを受けて作曲されたジョン・ケージのラジオ劇「ロアラトリオ」です。
「ロアラトリオ」については、以前全編の言葉起こしをした際に、当サイトに書かせていただきましたので、その時の記事をご紹介いたします。
https://kenwada2.com/2019/01/05/roaratorio-1979-version-1%E3%80%80january-4-2019/
そして、この両者の融合から一つのリズムが湧いてきて、それを是非ともロックンロールのリズムでビートを刻んで書きたかったのです。
その時から1年半にわたり眠っていた僕の思いが、この夏ライが死にそうになって我家にたどり着いた瞬間に、ポンっと蓋が開いて、ほとばしり出たのでしょうか。
最後の第6話のフランス語の部分は、お経のように、呪文のようにとらえて欲しいのですが、お経、呪文、大切ですよね。
インドの天才数学者ラマヌジャンが育った要因は幼少期からのこれによります。
ヨーロッパで天才が育ってきた主な要因の一つに、僕は定期的に聴く教会のパイプオルガンの圧倒的な音響があると思います。
日本にも夕方になるとお寺の鐘が鳴るという切り札があったのだけれど、今じゃ隣近所から苦情が出て、除夜の鐘ぐらいです。
そこであえて故意にフランス語を繰り返すことによって、それがある種のお経、呪文のようなものに転化して伝えられないだろうか、そのような可能性を探ることはできないだろうか、と考えました。
そこには猫が繰り返しているお経を、現代のニンゲンというものが、それを直観的に把握・吸収できない、そういう大切な要素から、現代のニンゲンがすでに外れてしまっているという批判も込めました。
いずれにいたしましても、どちらの版でも一番訴えたかったことは、平和寛容です。
それから僕には、今回の創作にあたって、童話=子ども向けのお話という、お決まりの概念はありませんでした。
この夏以来の一連の作業を通して、文章や物語を書くことと、僕の日常である絵を描くこと、絵画を制作すること、この両者の共通点や相違点について、実に貴重な様々なことを学びましたが、これについて書くと非常に長くなりますので、改めてまた別の機会といたします。

最後に、今回の改訂版も妻の多大な協力がなければできませんでしたので、この場を借りて、妻に感謝いたします。

2020年11月9日
和田 健

以下のサイトからご購入いただけます。100円です。電子書籍が初めての方でも、Kindle の無料アプリをダウンロードしていただければすぐに読めます。

https://www.amazon.co.jp/s?k=和田健&rh=n%3A2275256051&__mk_ja_JP=カタカナ&ref=nb_sb_noss
後日記:これだと初版でどうしてひらがなとカタカナだけで書いたのかについての説明が欠けているな。
欧米人をはじめとして、生涯 abcde だけで生きている人たちへの、ひらがなとカタカナと漢字で生きている僕からの、実験的なと言うよりは挑戦的な意味合いがあったんだよな。
そう言えば、ジョン・ケージもキノコが大好きだったんだよな、キノコ研究家にまでなって。
著書の中で汚い服を着ていたから、レストランへの入店を断られた面白いエピソードを読んだな。
どの本だったかな、確か彼の服のために、一緒に行った仲間全員も食事できなくなった話だった。
僕も頑張ろう、森のキノコが大好きだし、服も靴下もボロボロだけれど。