Archive for the Essay 2012-2021 Category

Happy Birthday, KIKU!

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 2 September 2021 by kenwada

ヘリアンサス「レモンクイーン」
2021年9月2日
紙にアクリル、グワッシュ
22.0×27.3 cm

Helianthus ‘Lemon Queen’
September 2, 2021
Acrylic and gouache on paper
9.0×11.0 in.

Helianthus ‘Lemon Queen’
2 septembre 2021
Acrylique et gouache sur papier
22.0×27.3 cm

今日は、愛犬「喜久」の10才のお誕生日です。
朝から、庭のお花、ヘリアンサス「レモンクイーン」をプレゼントに描きました。
今こうして振り返ってみると、喜久のお陰で、この10年、ひどい鬱にもならずに過ごすことができました。
人間にとって、犬はやっぱり朝夕の散歩を絶対にしなくてはならない、したがって1日2回、雨が降ろうが雪が降ろうが、強制的に外に出てどうしても歩かなくてはならないのと、たくさん吠えますので、邪気を払うと言いますか、くよくよした思いからハッと我に返り、思わず苦境から引きずり出されるとでも言いますか、大きな気持ちの落ち込みから、飼い主を救ってくれるように思います。
生後2ヶ月で初めて我家に来た日に、よりによって居間のど真ん中にうんちをしてしまった幼い子犬の喜久でしたが、我家にたくさんの喜びを久しく、という名前に込めた願いの通りに育ってくれました。
これまでずっと喜久のお世話をしてきたとばかり思っていましたが、実は喜久に助けられ、支えられてきたのですね。
喜久、本当にありがとう!

Today is the 10th birthday of my beloved dog “Kiku”.
So from this morning, I drew a flower, Helianthus “Lemon Queen” in the garden as a gift.
Now, looking back, thanks to Kiku, I’ve been able to spend the last 10 years without any terrible depression.
For humans, dogs must take a walk in the morning and evening, so we have to go out and walk twice a day, and they bark a lot, I think it will save the owners from a big depression.
On the day Kiku first came to our house two months after birth, she had a poop in the middle! of the living room, but she gave us a lot of joy over the last decade.
Kiku, happy birthday and thank you very much!

セザンヌのドローイング展が始まります!

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , , , , , , , on 28 May 2021 by kenwada

2021年6月6日から、MoMA でセザンヌのドローイング展が始まります。
先日も全く同じことを書きましたが、いい展覧会がありましたら、即、みんなで情報を共有し、ただちに Online で観て、お互いの意識を少しでも高めていきましょう!

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/5293?sc_src=email_673453&sc_lid=57308386&sc_uid=ipz0HfgJ5P&sc_llid=89937&sc_eh=b1697101d524ca3d1&utm_source=Emarsys&utm_medium=email&utm_campaign=MKT+-+Newsletter+General+20210527+NON-LOCAL

エクス=アン=プロヴァンスにあるセザンヌの家から、あの有名なアトリエへ、そしてまたまたサント=ヴィクトワール山を描いたポイントまでの道のりを、セザンヌの足跡をたどりながら、歩いたことがあります。
実際に歩かれるとよくわかりますが、あの重い絵画制作のための道具類の荷物を背負って、制作以前に、ただ歩くだけでも、とてつもない並外れた体力です。
それも毎日ですから。
確か僕の記憶に間違いがなければ、昼食のたびに毎日、さらにアトリエから家まで歩いて往復していたはずです。

全く同じことを、アルルのゴッホの「黄色い家」から、あの有名な「アルルの跳ね橋」の絵の現場まで、ゴッホの足跡をたどりながら歩いた時にも感じました。
まず制作よりも何よりも、すごく遠いんです、驚異的な体力です。
時には、「四日間を大体二十三杯のコーヒーとパンでつないだ」(「ゴッホの手紙」岩波文庫下巻、p.13)ゴッホにとって、そこまで自分を追い込む鬼気迫るようなその執念、気迫は、同じく人間離れのしたその体力とともに、一体、どこからきているのだろう?

僕の考えは、色と形、ゴッホの場合は特に色をですね、フランス語でいう attraper したい、英語でいう catch したい、つかまえたい。
そしてそれをキャンバスの中に封じ込めて再現したい。
そのことに対する異様なまでの飢えや渇望、そして再現できたと感じた時の熱狂や狂喜が、やはりまず第一に常にあったのではないか。
そしてそれとともに天才特有の集中力や没頭。
それら全てが、ないまぜとなり、ぐるぐると渦を巻いているように思います。

セザンヌのアトリエで買ったカタログと、僕も同じポイントから描いたサント=ヴィクトワール山の小さな水彩画は、今でも僕の宝物のような思い出ですね。

Mont Sainte Victoire, Aix en Provence, 2008
Aquarelle sur papier
12.7×17.8 cm
Japon, Collection particulière

2021年5月28日
和田 健

僕は、この夏のオリンピック開催に断固として反対します!

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 24 May 2021 by kenwada

皆様、こんにちは。

僕は、無名の一芸術家ですが、無名だろうが有名だろうが、一人の人間として、この夏の東京オリンピック開催に断固として反対いたします。

二、三日前から、まさかのまさかのまさかのまさか、「あっ、これは日本政府はやる気だな、着々と体制を整え始めたな。」と、思う恐ろしい瞬間があり、まさかこのコロナの感染状況で、そんな稚拙な決断はしない、最後はきちんと中止するだろうと、これまで思ってきましたが、だんだん不安になってきました。
一体、なにゆえの政治力学が働いて、何としてでも開催しようとしているのか、どうしても僕にはわかりません。

5月13日に、「今思うこと」の中で、「イスラエルのワクチン接種率62.64%に対して、日本は現在2.59%、とても先進国とは言えない。」と、だいぶ遠慮して書きましたが、正しくはおわかりのように「開発途上国とさえ言えない」です。

中止になれば、誰よりも何よりも、選手のことを思えば、本当にかわいそうです、無念だと思います、死ぬほど悔しいと思います、どこにも気持ちのぶつけようがないと思います。選手の中には、人生の意味や目標を見失ってしまう人も、おそらく出てくると思います。

それでもなお、国民の健康と命を守るために、大局的見地に立って、物事を俯瞰しながら、全体の状況を冷静に判断し、進むべき道を見つける、立派な名前のIOC会長が、何を言おうと、どんなに開催圧力をかけてこようと、一国のリーダーたる者は、断固としてNO!、いいえ、ここは絶対にダメです、開催はしませんよ、と突っぱねて今言ってください。

誰もが情報を共有できる世の中で、誰もがインドやブラジルの惨状を動画で、すぐに確認できる時代で、お墓を掘るのも間に合わないあの地獄のような状況で、例えば、男子サッカーが、ブラジル代表に勝って、「あのブラジルに勝ったぞー!」って喜ぶんですか?
僕は、Z世代の若者たちは、そんなことでは喜ばない、もうちょっと性格がよい意味で cool であり、フェアなように思います。

オリンピックとお前の仕事と何の関係があるんだ?お前は、黙って絵でも描いてれ!
全くです。何の関係もありません。
でも、いいですか、自分の国が明らかに間違った、誤った方向に進もうとしている時に、一国民として声をあげる、意見表明をすることは、とても大切なことではないでしょうか。

オリンピックを開催するということは、大相撲の本場所を開催するとか、プロ野球の試合を実施するとか、僕の仕事の場合でしたら、グループ展をするとかいうのとは、訳が違います。

もう時間はありません。

2021年5月24日
和田 健

今思うこと、コロナ、オリンピック、ペイントデザイン、読書、展覧会

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 13 May 2021 by kenwada

まず日本のコロナ(の状況)。
結論から言うと、ダメ、アウト。
東京にいるとかえってわからないと思いますが(まあそんなことは、あくまでもないとは思いますが)、地方の森の中にいると人出や人流については、逆に本当によくわかる、伝わってくる。
東京都が緊急事態宣言下のGWに、最寄りの交差点にあふれる県外ナンバーの車や人を見て、日本人のモラル=良心は大きく変化したことを改めて感じました。
昨年の同じく緊急事態宣言下のGWに比べて、確実に車も人も増えました。
小池都知事が、これだけ移動しないでくれと言っても、と言いますか、僕にはほとんど叫んでいるようにさえ聞こえますが、もう何を言っても聞かないという様相を呈してきました。
これと変異株の感染力の強さを考え合わせれば、ある程度の感染爆発は避けられないと思うと、先日僕が友人に送ったメールは残念ながら現実のものとなりました。
今後、僕は47都道府県すべての緊急事態宣言になると思います。
もちろん、そんなことは当たらないに越したことはありませんが。
反面、例えば年をとって決して老い先の長くはない親に会いたくとも我慢して、宣言時の約束事をひたすらきちんと守っている人がいることも是非お伝えしたい。
今怖いのは、インド型のL452RとE484Qで、もう国内に入っていると思う。南アフリカ型のE484Kに比べて、やはりどうしても国内に入りやすいのではないか。
ワクチンは、ファイザーのCEOが先日の会見で触れていたことを、はっきりさせないといけないと思う。すなわち、3回目が必要なのかどうかと、来年以降、年に何回のペースで接種していけばよいのかについて。
今後、国内でもモデルナが始まり、アストラゼネカとJ&Jはしばらく打てない、人間の気持ちとして。

次に、オリンピック。もうこれはIOCやJOCが、早く決めないと、これ以上結論を引っ張ったら、先日の池江璃花子選手に対するSNS問題のように、何よりも誰よりも選手たちが大変なことになる。
もうほとんど開幕二ヶ月前です。一日でも早く決めないと。

次に、自分の本業である絵画。これは、最近日経の電子版で、MLBのトレバー・バウアー選手の「ピッチデザイン」という言葉を目にして非常に興味をもち、ユーチューバーでもある彼のYouTubeを徹底して観て、これを「ペイントデザイン」という形で取り入れられないか、ということを考えています。
つまり画家も、常に血圧や心拍数を測って、常時血液検査をし、制作と栄養(食事)、休養(睡眠)のバランスを考え、筋肉(肉体)と中枢神経を整えていくことで、パフォーマンスが上がっていくのではないかということ。それらをすべてパソコンで管理して欠点を見出していくスタイルの導入。
これは毎日制作している人でしたら、誰もが実感していることなのですが、だんだん体がほぐれてきて、調子が上がってきますので、ITを駆使して、その日のペイントの何ペイント目から何ペイント目にかけて、彼/彼女のピークが来ることを分析して(例えば25ペイント目から30ペイント目にかけてとか)、そこに一番必要な制作箇所をもってくるとか、逆に捨てキャンバスを用意して、そのペイント数までウォーミングアップしてから描き始め、いきなりピークパフォーマンスに合わせてくるとか、相手が打者でないだけ、キャンバスなだけ、やりやすいと言いますか、より対応できる気がする。
もちろん画家はアスリートではないのだけれど、もうこのサイトで何度もふれたように、Painting は運動分野と密接に関係しています、実感として。
そんな馬鹿な、そんなことと絵を描く芸術と、一体何の関係があるんだという人が多ければ多いほど、僕は逆に正しいのではないかと思い、俄然やる気になる。
とりあえず、こうしたらどうだろうか。
画家が制作している過程を動画に撮り、それをペイント毎に分析していく。すなわち、例えば、6ペイント目から7ペイント目にかけて、何故そこまで時間をかけて、次の一手を躊躇したのか、踏み込めなかったのか?
7ペイント目から8ペイント目にかけては、何故今度は逆にまるで慌てふためいたかのように急いだのか?
これからの画家は、午前中制作、午後は自分の動画を観て、制作パフォーマンスを分析、研究。
やはりこれにどこかの大学の研究機関が提携して、専門家が画家の放出する脳波も含めてITを駆使してくれると、だいぶいいデータを集められると思う。
まあ僕の時代には無理でも、将来的には間違いなく、AIを相手にして描くことになると思います。すなわち、次の一手=次の一塗り=ペイントをどうするかについて、これまでのすべての情報を入力したAIと相談しながら、最も効果的な色と形の一手を考えて描くことになると思う。まさしく「ペイントデザイン」だな。
それで、僕がおじいちゃんになった頃は、未来の子どもたちに、「おじいさんの頃は、一人でキャンバスに向かいながら考えて描いていたんですか?それって今思うと原始的ですごい!まるで太古の洞窟壁画みたい。おじいさん、疲れませんでしたか?」なんて言われるのだろうな。
でも実際にそう言われるようになるまで、もうそんなに先の話ではないと思う。
つまり、AIが画家の仕事を奪ってしまうとか、とって替わるとかいうのではなくて、おそらく直感として、AIと共存した、AIと共に歩むより「豊かな絵画」ができるのではないかということです。各々の画家の各々の状況に応じて。

日経の話が出たついでに、毎朝、日経と The New York Times の電子版を読んでから仕事に入るというのが、僕のもうここ何年もの習慣です。例えば、今朝の日経では、ソフトバンクGの孫正義会長兼社長が、昨日の会見で、世界には1000社くらいユニコーン企業があるのに、日本には3社しかないと話されている動画に、The New York Times では、セーシェル共和国が世界で一番ワクチン接種の進んでいる国なのに、今コロナの大波がまたきている理由を分析した記事にとても興味をもちました。まず僕は、世界で一番ワクチン接種が進んでいる国は、これまでイスラエルだと思っていました。ちなみにイスラエルの接種率62.64%に対して、日本は現在2.59%、とても先進国とは言えない。それでもオリンピックについては決めない。

しかし、現在ロサンゼルス・ドジャースに所属するこのバウアーという投手は、すごい魅力の人間だな。観ていて学ぶことがたくさんあります。野球選手もついにここまで進化したかという感じがする。
もうこれからは、日本のプロ野球選手も「ご職業は?」「プロ野球の選手です。」「で?」って言われる時代だな。
「野球選手なのはわかりました。それで、それ以外にはどんなことをされているんですか?」という時代だな。
画家もそうで、「ご職業は?」「画家です。」「で?」
だから、「ええ、画家です。時々、森のきのこの研究家です。」とか。
まあ僕の場合は、「時々、農夫です。養鶏もしています。特に森で生まれた子猫の愛好家です。」とでも答えよう。これなら事実だから。

お終いに、いつも熱中している読書。「カラマゾフの兄弟」の再々読の後、ドストエフスキー本人は一体どのような人間なのかということに興味をもち、それまで第2巻で中断していた「作家の日記」(ちくま学芸文庫)を再開し、第4巻の「おかしな男の夢ー幻想的な物語ー」の今日性に驚くも、相手(ドストエフスキー)が巨人すぎて全体像がつかめず、そこで視点を変えて一計を案じ、配偶者の方から迫ったら、少しはわかるのではないかという僕の戦略は、今回に限ってものの見事に的中し、アンナ夫人の「回想のドストエフスキー」(みすず書房)2巻を非常に楽しく読み終えました。たぶんこの本は、専門家や研究者の間で「作家の日記」と並んで、教科書的な定番かつ第一級の資料になっているのだろうな。メモを取りながら読んだので、感想はいっぱいあるのだけれど、長くなるのですべてカット。ただ一つ、僕も少し年をとったので、若い頃はそんなことはわからなかったけれども、この本はアンナ夫人が夫の死後30年して書かれた本であるということを、仲睦まじく助け合って生きてきた夫婦が死別後に自然とそうなる、配偶者を理想化する観点から少し考慮しないといけない。
次に、トルストイの「復活」(上下巻、新潮文庫)の再読へと進み、まるで個性の違う両巨人を比較対照しながら読むことができて、とても面白かった。
その後、もう一度ドストエフスキーに戻り、「虐げられた人びと」(新潮文庫)を読む。
そして今、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」(全五巻、岩波文庫)です。
まだ第二巻ですが、第一巻の10歳のコパフィールド少年の『「ここで最高級(一番上等)のビールは一杯いくらですか」(中略)「じゃあ」お金を差し出してぼくは言った。「たっぷり泡の立った純正超高級ビールを一杯くれませんか」』(p.404)
これぞ、ディケンズ・ワールド全開!最高です!
今まで、ディケンズといえば、まずは何と言っても「大いなる遺産」、そして次に「二都物語」だとばかり思っていましたが。

2021年5月13日
和田 健

追伸:今、ニューヨークの Matthew Marks Gallery で、デ・クーニングのドローイング展が開かれています。
僕の大好きなギャラリーで、チェルシー地区に行くたびに必ず訪れる、ただ入るだけで勉強になるいくつかのギャラリーの一つです。
もちろん、コロナで行けない。
たとえ今後行けるようになっても、脱炭素化の観点から、もう人々は、今までのようには自由な気持ちで、飛行機に好きなだけ思う存分乗れないかもしれないな。
こうした環境問題の分野でも、相当遅れをとっている日本でも、「ああ、先月◯マイルも乗っちゃたよ。」と何だか申し訳なさそうに話し、「お前、いくらなんでもそれはまずいよ、少し考えて乗れよ。」と言われる時代までもうすぐです。
実際に、例えばフランスでは、すでにもうそうした意識が、国民の間で、とても高まっているような印象を受けます。
それはともかくとして、Matthew Marks Gallery が、Online でも同時提供してくれています。
それが並外れて素晴らしい!Online でもここまでできるんだ。ぜひ観てください。more information を一つ一つクリックしながら観ていくのがコツです。
ギャラリーを実際に訪れる際の45分ごとの事前予約のシステムも非常にわかりやすくてよいです。
いい展覧会があったら、すぐに情報を共有し、ただちにみんなで観て知見を深め合うことは、全体のレベルアップのためにとても大切です。
https://matthewmarks.com/online/willem-de-kooning-drawings-2021

今朝の一枚

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , , , on 24 April 2021 by kenwada

Walter Rosenblum, Girl on a Swing, Pitt Street, 1938, gelatin silver print, 5 3/4 by 7 1/3 inches.
©NAOMI ROSENBLUM

素晴らしいですね。美しい!
朝から思わずハッとするような一枚の写真に出会うと、何か一日の始まりに得をしたような、気持ちのよい一日の始まりになります。
Pitt Street というのは、マンハッタンの Lower East Side にある通りです。
後ろに見えるのは、マンハッタン橋で、おそらくエスケープへの暗示でしょう。
あるいは、少し深読みすれば、移民、すなわち流入してくる逆方向のベクトルの暗示もあり得るかと思います。
いずれに致しましても、少しガチンと硬質と言いますか、構図的に橋が面積を取りすぎている感じはしますが、その分重量感が濃厚に出ています。人生に立ちはだかる巨大な壁、建造物、その重苦しさや威圧感。
それとは対照的なまだあどけない、いたいけな感じの口を開けている主人公の女の子は、解放感の象徴で、このブランコの柵の中から、さらには自分が生まれ育った環境から外に飛び出していきたいという対比を強く感じます。
ポイントは、ほとんど水平方向までこいでしまっているブランコで、女の子の足先が結ぶ画面中央上の三角形は美しい!ここで、頂点を切ってきているのがポイントです。
Henri Cartier-Bresson、フランス、1908-2004 なら、女の子のブランコが下の柵と平行になるまで狙ってくるかもしれない。でもそうすると、三角形がきつくなって、橋が下から上に向かって圧力がかけられて、時計と反対回りにひっくり返るな。
試しに定規を当ててみてください。
つまり、このたるみ、ズレのようなものがよいのであって、これがそのまますぐに絵画に活かせるのです。
個人的に僕が、「すっぽ抜けている」と呼んでいるあの感覚です。「キチキチ詰めているんじゃない、絵画はピキッとしているとつまらない」と、自分に対していつも言っているあの感覚です。
この女の子のブランコを一本の横線、一つの描画としてとらえれば、すなわち、書道の漢字にもっていけますし、それはそのまま Franz Kline、アメリカ、1910-1962 の世界へと入って行きます。
でもそれでとらえられるのであれば、別に書道でなくても、それこそ後ろのマンハッタン橋でもよいし、東京タワーでも何でもよい訳です。
また、こうした人工的建築物からインスピレーションしているのであれば、自然にはかないません。
特に森の樹木にはかないません。全く考えられないところから、全く考えられない方向へと線を引いてきますから。
自然は厳しい反面、すべてを受け入れますから。受容です、自由なのです。
そして冷静に考えて、こうした写真では、顔真卿の「祭姪文稿」には勝てません。何故なら、丸みがとれないからです。
こうした写真は、大局的にとらえてすべて oblique(斜線)で勝負しています。究極的に斜線の勝負です。いかにして斜線に品をもたせるか、どのようにして品のよい斜線を生み出すか、そこに苦心しています。僕はそう思います。
それからもう一つ、写真ではミステイクがとれません。「ミステイクがとれない」と言うのは、日本語としては変ですが、顔真卿がやるあの丸書いてグルグルペッ!です。日本では井上有一さんが、作品にとり入れています。あれができない。
では逆に何ができるかと言うと、一瞬を切り取ることができる、それこそ、ブレッソンの「決定的瞬間」です。これは絵画や書道ではできない。
おそらく勝手な推測になりますが、この写真は写真家が何枚か撮った中から一枚選んだのではないでしょうか?
もしそうであれば、少し女の子の足先にゆるみがあることで、三角形が安定し、上から下向きの縦軸を自然と意識することができる、すなわち女の子はフワッと宙に浮いているけれども、重力が感じられる、まさにこうした点が、優れた写真を観て実に絵画の勉強になるところなのです。

ところで、僕は昔の写真を観ると決まってすぐに、「この人は今何才くらいかな?生きているかな?」とほぼ条件反射的に考えてしまうのですが、これは僕だけでしょうか。例えば、この写真の場合ですと、仮にこの女の子が10才だとすると、今年93才になります。大変残念ながら、もう亡くなっているかもしれません。でもお孫さんが生きていて、このブランコに乗っているお転婆な女の子は、私の祖母です、祖母はこの後、小さい頃からの望みを遂げて実際に、Pitt Street から外の世界へと出て行き・・・。

ともかく、写真は素晴らしいですね。
僕は、フランス時代にパリの本屋で偶然 Robert Doisneau、フランス、1912-1994 の本を手にした時から、本格的に写真の勉強を始めました。
通っていたアカデミーが唯一お休みの日曜日に、ドアノーのその本を手に、パリの写真の撮影の現場巡りをすることが楽しみで、一時期それに熱中していました。東京ですと、そんなことはまず考えられませんが、パリだと、当時の写真の現場が今もそのまま残っていたりして、「ここだ、ここだ!」と言いながら、本の写真と見比べたりして楽しかったな。
ドアノーのパリで開催された個展にも行きました。ちょうど日本のテレビ番組の収録に、俳優の小林薫さんがいらしていて、その収録の現場に鉢合わせしました。取材が終わると、仲間のスタッフの方?と三人で、すぐに外に出ていかれたことを覚えています。(ところで何故ドワノーではなく、ドアノーと表記するのだろう?)
Henri Cartier-Bresson は、Alberto Giacometti とのパリで行われたコラボ展に行きました。彼のデッサン(確か fusain、木炭画だったと思う)があまりに上手くて非常に印象に残りました。
帰国間際に、コペンハーゲンのデンマーク国立美術図書館(この美術書関連専門の図書館は本当にすごかった!)で、Gerhard Richter、ドイツ、1932- の Atlas に出会い、即、市内観光はやめにして、開館時間から閉館時間まで二日間通って観ていました。確か、二泊三日の日程だったな。最後の日に、図書館を出る時に、「ああ、あと一日あればなあ」と思ったのをよく覚えていますから。
その後、高かったけれどやっぱりどうしても欲しくて購入して、一時期この本ばかり観て様々なことを学びました。

帰国後は、主に2013年に写真を一度きちんとまとめて研究しておこうと思い、以下の作家の作品を中心に徹底して観ながら勉強しました。
Eugène Atget、フランス、1857-1927
Lewis W. Hine、アメリカ、1874-1940
Andre Kertesz、ハンガリー、アメリカ、1894-1985
Dorothea Lange、アメリカ、1895-1965
Helen Levitt、アメリカ、1913-2009
Diane Arbus、アメリカ、1923-1971
Robert Frank、スイス、アメリカ、1924-2019
Garry Winogrand、アメリカ、1928-1984
Lee Friedlander、アメリカ、1934-
Josef Koudelka、チェコ、1938-

ニューヨークに行くようになってからは、ギャラリーで直接その作品を観た、
Ellsworth Kelly、アメリカ、1923-2015、の絵画はもちろん当然なのですが、あまりに美しい白と黒のコントラストの写真、
Brend and Hilla Becher、ドイツ、1931-2007、1934-2015、の作品に強い感銘を受けました。

当たり前のことですが、写真を学ぶことは、構図や明暗をとらえる観点から、絵画の勉強に直結します。
特に白黒の写真において、そのままダイレクトに役立ちますので、絵画を制作する人には、同時に写真を研究する人がとても多いのです。

2021年4月24日
和田 健

「カラマゾフの兄弟」の再々読 その4

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 18 March 2021 by kenwada

最後に三男アレクセイ(アリョーシャ)。アリョーシャにつきましては、初回に書いたことと、ほとんど変更はありません。僕は、リーズとの恋愛は破滅すると思います。一緒にくっついてきそうな善良な「人はいいけれどなんら定見のない」(中巻、p.91)ホフラーコワ夫人については、作者ドストエーフスキイ自身も何か微笑ましいおしゃべりな夫人として見ている感じがしますが、でも毎日、こんな風になんとかですわ、なんとかですわ、なんてやられたらたまりませんが。しかしそれにしてもドストエーフスキイは、脇役のこうした生き生きした姿や点描を書かせたら、それこそ天下一品ですね。もう見事と言うほかありません。つまり、僕の言いたいのは、こうしたホフラーコワ夫人やスネギーレフ二等大尉、「罪と罰」の僕の大好きなマルメラードフ、そういったクラスの脇役でなくとも、もっと小さな役、例えばミーチャがピストルを質入れする若い官吏ペルホーチンですとか、極端に言えばその息子の台詞のない!ミーシャにいたるまで、まるで彼の手にかかると何か魔法のように、いつも躍動感にあふれた生き生きとした人間描写の登場となります。
このホフラーコワ夫人の娘のリーズには非常に大きな問題があります。具体的には、下巻のp.148、149あたりで展開されるユダヤ人の復活祭の子供の話です。今まで全て本文を引用しながら話を進めてきましたが、ここでは引用するのもためらわれます。ドストエーフスキイは何故このような話をここへ挿入したのでしょうか。これはよくない。ドストエーフスキイのこうした負の側面については、どのように考えられているのでしょうか。全体として圧倒的なまでのそれこそ前代未聞の崇高にして深遠なるテーマを与えてくれるために、こうした負の側面があってもよいということにはならない。和田さん、そんな小さなことには目をつぶりなさいよ、何といっても彼は世界の大文豪なのですからとはなりません。この理屈が通ることは、決してあってはならない。ましてや文学だとか絵画であるとか芸術分野でその理屈が通ることはあってはならない。むしろそれに対抗するのが、芸術の本来の役割であるはずですから。この論理が一旦まかり通ると、それは現在、世界中で繰り返されているように、大きな平和のためには、小さな平和は犠牲になってもやむを得ないということにつながります。それから僕がよくないと思う別の意味として、後世の作家がこの手法を形として、要は悪のエピソードを挿入する形式として、取り入れようとする危険性を伴うのではないか、と考えるからです。

次に、第一部で二十歳のまるで天使のようなアリョーシャについて、ドストエーフスキイが冒頭部分で思わずギョッとするようなことを言っています。僕は、結局この物語の最後まで、冒頭部分のドストエーフスキイのこの言葉が忘れられませんでした。
「問題は、彼もおそらく活動家なのであろうが、それもきわめて曖昧で、つかみどころのない活動家だというところにある。もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、むしろ奇人に近い人物だということである。」(上巻、p.10、11)
ドストエーフスキイはこの物語を「単にわが主人公の青年時代の初期の一刹那のことにすぎない。」(上巻、p.11)と言います。
「第一の小説は今を去る十三年の前にあったこと」(上巻、p.11)ですので、彼は三十三歳になったアリョーシャの何を二十歳の時点ですでに看破しているのだろう。二十歳のこの上なく天分に恵まれた瑞々しい青年もやがて四十歳になり六十歳になります。心酔する六十五歳のゾシマ長老の「娑婆」(上巻、p.144)で生きなさいという教えに従い修道院から去るところ、「われわれが彼を置き去りにして以来、アリョーシャはひどく変わっていた。彼は法衣を脱ぎすてて、今は見事に仕立てたフロックコートをまとい、短く刈りこんだ頭には、柔らかい丸い帽子をかぶっていた。それらがひとかたならず彼の風采を引き立てて、すっかり美男子に仕立てていた。」(下巻、p.44)という変貌や、大変な非常事態ではあるけれども、一度は神につかえた身でありながら、三つ目の駅長に「だから、イワン兄さんやカーチャが僕にそうしてくれと頼んだら、そのときは出かけて行って賄賂を使うつもりです。」(下巻、p.492)とあるところ。
その辺りから、さらに考えてみようと思います。

僕がこの物語に惹きつけられるのは、父フョードルはもちろん言うまでもないとしても、ミーチャ、イワン、アリョーシャと、三兄弟がみんな不完全で病んでいることにあるのかもしれないなと思います。そのことが逆に、誰でも一人一人何とか必死で生きているんだなという、人と人とのつながりの連鎖の実感のようなものを、妙にリアルにまざまざと僕に感じさせてくれるのです。
それは、僕は今年五十八歳になりますが、これまで生きてきて出会った人は、本当にただ一人の例外もなく、みんな病んでいたことに深く関係し通底しているのかもしれません。僕は誓いますが(無論僕は当たり前のこととして)、今までの人生で、病んでいない人に出会ったことは一度としてありません。

最後に、第二部のスタートで当然予想される3組のカップルの設定、すなわち、ミーチャとグルーシャ、イワンとカーチャ、アリョーシャとリーズの内、この後、何とか、それもあくまで何とかです、幸せになれそうなのは、これはあくまで僕の推論になりますが、罪人同士であるミーチャとグルーシャであることを、ドストエーフスキイはすでにはっきりと認識しているのではないかということに、何か深いものが感じられるように思います。
すなわち、人間は、自分は罪人であるということを深く自覚した者同士でなければ、決して幸せにはなれないということに。

僕は、今、ドストエーフスキイは第二部の冒頭をどこで始めるかということを考えています。別に深い意味はありません。文字通りその場所です、起点です。どの場所で第二部の物語をスタートさせるか、これを集中して考えています。
「だが僕は間もなくこの町を去ります。たぶん長いあいだ帰って来ないだろうと思います。」(下巻、p.511)というアリョーシャのエピローグ(このエピローグのイリューシャの埋葬の部分ですが、何て言いますか、物語の音階のようなものとでも言えばよいのでしょうか、意識的に一オクターブ上げて書いているような感じがしてとても気になります。このラストの章だけ、何故トーンが異質であり、メルヘンチックでさえあるのか、2つの理由から考察してみました)の言葉と合わせて、僕には非常に興味があります。
それは誰だって、第一部の冒頭部分を精読すればするほど、第二部が読みたくなります。それはわかり切ったことです。
ただ僕には、もう一つの理由があるように思います。それは作者であるドストエーフスキイが五十九歳の若さで亡くなってしまった、せめてあともう何年か生きていてくれたら、この第二部が読めたのにという思いが、人間ですから誰しも当然湧き上がってくるように思います。さらに言えば、本当にせめて初めの十ページ分くらいでもよいので遺稿があれば、第二部の物語の方向性や全体像が大きくわかったことでしょうね。そのことはどうみても間違いありません!
そこで僕の関心、ドストエーフスキイは、どこの地点から第二部を始めるか?
それによって、その後の物語のベクトルが自ずと決定され、全体の構造が描かれていく訳ですから、始点Aを間違いなく完璧に設定してくるでしょうね。
そこでキーポイントになってくる問題は、十三歳のコオリャ・クラソートキンですね、コオリャの居場所だと思います。コオリャはどうしてもアリョーシャに再会しなくてはなりませんから。
しかしそれにしてもドストエーフスキイという人は、すごい全体構想を組み立ててくる人だな。異常な熱意、そして細心の注意を込めてこの生意気な「年端のゆかぬ」(下巻、p.11)十三歳の少年を書いている。この子が第二部の核になると、まるで公言しているようなものだな。
つまり、ドストエーフスキイは第一部を書きながら、同時に頭がすでに第二部に行ってしまっている感さえある。と言いますか、「本当は僕は第二部が書きたくてしょうがないんだよ、そのための第一部なんだよ、わかるかい?」という気持ちが、本からはっきりと漂ってくるようです。
二十六歳になったコオリャの生活の拠点を、ドストエーフスキイはどこに設定してくるか。ここをドストエーフスキイたる者がぬかる訳がない。僕には見えませんが、彼は、もう完全にこの点を押さえてしまっている。彼が完全に押さえてしまっているということだけは、よく伝わってきます。で、それはどこなのか?
ちなみに、第一部の舞台であるこの小さな町は、全編を通じてただ一度だけ名前が出てきますが、「スコトプリゴエフスク」(下巻、p.126)といいますが、もう長くなりましたので、この辺りでやめます。

僕の話は拙く、大変お粗末でした。

2021年3月18日
和田 健

「カラマゾフの兄弟」の再々読 その3

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 16 March 2021 by kenwada

次に次男イワン。実はここが一番難しい!これは考えれば考えるほどわからなくなる。
まず第一部のイワンのこの病気ですが、「震戦性譫妄性」(下巻、p.252)です。おそらく現在の言葉でいう振戦せん妄のことだと思われます。調べてみましたが、アルコールの離脱症状(俗にいう禁断症状)のひとつで、長期間の飲酒歴のある重度のアルコール依存症者が、飲酒を中断または減量した際に生じるそうです。そこでまず、大酒飲みのミーチャがこの病気にかかるのでしたら少し理解できますが、たいした酒飲みでもないように思われるイワンが、何故この病気にかかっているのかということが解せません。ですが、まあその点はすっ飛ばして、現在イワンは、アリョーシャいわく、「いま一人のほうは瀕死の床にたっています」(下巻、p.511)と、ほとんど死にかけています。
ですが、イワンは死にません。そのことをドストエーフスキイは、きちんとほのめかしています。それは「彼はモスクワから帰ると早々、カテリーナ・イワーノブナに対する燃えるような、物狂わしい情熱におぼれきっていたのである。けれど、後日イワン・フョードロヴィッチの全生涯にその映像をとどめた、その新しい情熱については、いま物語るべき機会ではない。これはまた、別な小説の主題を形造るべきものである。が、その小説にいつか取りかかるかどうか、それは作者自身にもわからない」(下巻、p.204)とあることからわかります。
一体にドストエーフスキイという作家は、ほのめかす、におわすのが、本当に好きな作家ですね、僕はそう思います。「何はともあれ、あらかじめ何か先手を打っておこう」(上巻、p.12)という記述もあります。つまり、イワンはカテリーナと暮らしながら、グルーシャの言うその「傲慢な唇」(下巻、p.499)に翻弄され、「争ったときとかひどく怒ったときなどは(そんなことはたびたびあった)」(下巻、p.205)ように、喧嘩の絶えないカップルとして、次第に疲弊していくのではないでしょうか。
イワンを考える時に、僕にとって非常に鍵になるスメルジャコフの分析があって、それは一度目はスメルジャコフ本人の口からイワンへ、二度目はイッポリット検事の論告の中でスメルジャコフから聞いた話として出てきます。これは読み落としてはいけない箇所であって、明らかに意図的にドストエーフスキイは二回繰り返しているように思います。
一度目の分析であるイワンのスメルジャコフとの三度目の最後の会見では、「とてもだめなことですよ、あなたはあまりに利口すぎますよ、なにしろあなたがお金のお好きなことはよくわかっています、あなたは自尊心の強いかたで、このうえもなく名誉を重じていらっしゃます。それに美しい女はことのほかお好きなんです。が、なかでもあなたの一番にお好きなのは、誰にも頭を下げないで、安らかに、楽しく暮らすことなんです、ーそれが何よりお好きなんです、だからあなたは、永久に自分の生涯を棒に振ってまで、そんな恥さらしなことをわざわざ法廷へ出てなさるおつもりはありませんよ。あなたは三人の御兄弟のうちでもいちばんフョードル・パーヴロヴィッチに似ておいでですよ、ことに精神はあのかたにそっくりです」(下巻、p.248)とあります。
ちなみに、この後のイワンの言葉は要注意です。「「おまえはばかじゃなかったな」イワンはなにかに感動したようにこう言った。彼の顔は急に赤くなった」(下巻、p.249)です。僕の考えでは、イワンはこの時、生まれて初めて自分のことを正確に指摘されて当を得たのではないでしょうか。簡単に言うと、自分よりも頭のよい人間を初めて目の当たりに見たのかもしれません。これに対して、スメルジャコフはさらに、「わたしをばかだと考えていらっしゃったのは、あなたのうぬぼれですよ。」(下巻、p.249)と、本質をつく形で切り返します。
イッポリット検事の論告の中に出てくる二度目は、「つまり、「三人の息子たちの中で、その性質からいって、最もフョードルに似通っているのは、あのイワンです」と、彼はわたくしにこう言いました。」(下巻、p.373)です。
ところが、イワンは翌日法廷へ出てきます。
「ついでに兄ドミトリイ・フョードロヴィッチに対するイワンの感情について、ほんの一言だけ述べておくが、彼は全然ミーチャを愛していなかった。」(下巻、p.191)とありますように、全然愛していなかったミーチャのために出廷します。出廷前日には、出廷するという「堅い決心」(下巻、p.251)ができたことで、歓喜、幸福、快感さえ覚えます。
何故か?何故イワンは出廷したのか?僕の考えは、スメルジャコフの言う自尊心の強さを再認識できたからではないでしょうか。そのことが、「彼は自分の内部に無限の強さを自覚したのである。」(下巻、p.250)や、「だが、おれはなんという自己反省の力を持っていることだろう!」(下巻、p.251)につながります。
結論として、イワンは、前々回に書きましたように、完璧な芸術家になる素質はもっていながら、つまりその点は僕の意見は変わらないのですが、絵の具で自らの手を汚す芸術家にはならずに、ただし並外れた非凡な審美眼はもっている、ないしは育っていくと思いますので、芸術家を食い物にするという言い方は非常によくない、芸術家を使うという言い方もよくない、何と言ったらよいのでしょうか、今の言葉で言ったらアート・ディーラーとして頭角を表して成功し、富裕になるということは考えられると思います。何かをクリエイトする人間になるためには、もっと進んで恥をかけるマインドが必要だと思います。
長男、次男ときて、初回の僕の第二部の夢想は、ここへ来て今や完全に崩壊しました。

また長くなりましたので、アリョーシャは次回にします。

2021年3月16日
和田 健

「カラマゾフの兄弟」の再々読 その2

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 15 March 2021 by kenwada

2021年3月11日、奇しくも東日本大震災のあの日から10年目の夜に3度目の「カラマゾフの兄弟」を読み終わりました。
まあ、それはいつかは読み終わるわけですが、前回の記事の後に考え続け、自分の読み込みが甘かったなと思いました。
反省とか修正とかそういう不遜な気持ちではなく、その後このように僕は考えましたということを、たとえ取るに足りない僕の意見であっても、きちんと書いておかないで、このままいい加減にしておくのは、やはり一度書いた以上は無責任だなと思いました。
そこで、前回の僕の第二部の夢想の続きを以下に書きます。
前回に書きました前段の説明のようなものは飛ばして、いきなり本題から入ります。
それから今回もタイトルや人名等の表記はすべて角川文庫版によります。
したがって例えば、「カラマーゾフの兄弟」ではなく、「カラマゾフの兄弟」になります。「ドストエフスキー」ではなく、「ドストエーフスキイ」になります。
また引用した本文中のページ数は、その都度、直接文中に括弧書きで入れました。その方が、欄外にまとめて注記するよりも読みやすいかなと思ったためです。

まず長男ドミトリイ(ミーチャ)。
ミーチャが大芸術家になるだろうという僕の考えには基本的に変わりはありません。
問題は、作者ドストエーフスキイ自身が、これだけ第一部の終わりで第二部への具体的な布石を打っている以上、やはりそれに基づいて状況を整理しておかないといけないなと思いました。
そこでまず以下の4つに整理いたします。
1. 脱走が成功して、なおかつミーチャがグルーシェンカ(グルーシャ)とともにアメリカに逃げる場合。
2. 脱走は成功するが、ミーチャが一人でアメリカに逃げる場合。
3. 脱走せず、あるいは脱走が失敗に終わり、ミーチャがグルーシャとともにシベリアに20年の懲役に行く場合。
4. 脱走せず、あるいは脱走が失敗に終わり、ミーチャが一人でシベリアに20年の懲役に行く場合。
考えられる場合の数は、一応この4つでよいのではないかと思います。
それは例えば、ミーチャが護送中に急死してしまう(あり得ないことではない)とか、何らかの事由で、船がアメリカではなくメキシコについてしまうとか・・・、おお、その方が断然面白そうだ、ミーチャにはアメリカよりもメキシコの方が、英語よりもスペイン語の方が似合う!僕はメキシコで実際に一ヶ月間暮らしたことがありますので実感としてよくわかるんです!とか始まると、また脱線しますので、場合の数はこの4つ。
それから、ミーチャがシベリアでの20年の懲役中に脱走する可能性は、彼の気性から考えて否定できないと思います。「もし僕が途中でか、あちらへ行ってからでも、鞭打たれるようなことがあったら承知しないつもりだ、僕はそいつを殺してそのために銃殺されるだろう」(下巻、p.490)とあるからです。ただそうした3のa、3のbの場合のようなことまで考慮に入れていきますと、これはちょっと収拾がつかなくなりますので、ここではやめておきます。
この中で、まず最初に、愛し合う二人の結び付きの強さから、4は考えられないと思いますので却下、ここは特に異論はないと思います。すなわち、ロシア国内でしたら何としてもグルーシャはついて行くと思います。そうです、まるで「罪と罰」のソーニャのように。
そこで具体的に、1から3の3つの場合について考えればよいことになります。

まず1。ミーチャ自身がエピローグの中で、「僕がグルーシェンカと二人であちらへ着いたら、さっそくどこか遠い寂しい土地へ行って、熊といっしょに百姓を始めるんだ。きっとまだ人里はなれた土地が残っているだろうからな」(下巻、p.493)とアリョーシャに語っていますので、やはり普通に考えて百姓をするのだと思います。そして労働と英語の稽古の三年間の後、ロシアに戻って来て、「どこかの片田舎で百姓を始めんだ(原文ママ)。そして一生アメリカ人で押し通すんだ、・・・これが僕の計画なんだ」(下巻、p.494)と彼の「決心」は続きます。
うん、そうなるとこれは芸術家になる可能性は非常に少ないな。ロシアの片田舎で絵を描き始めたミーチャが、その才能故に目立ってしまったりすると、「もしわかったらまたシベリアへやられる」(下巻、p.494)からです。片田舎の農家の納屋をアトリエにしてひっそりと描き続け、やがて村人に見つかってしまい発覚してしまうが、村人の中に芸術に理解の深い人がいて・・・、また脱線!やめておきます。

次に2。これは注意深く読むとわかるのですが、カテリーナ(カーチャ)のグルーシャへの激しい憎悪が、この状況を仕組むことは大いにあり得ると思います。すなわち、グルーシャを幸せにしてたまるかという嫉妬、意地悪、あんな奴売女なんだから、という訳です。このカーチャという女性は、高徳の淑女として出てきますが、要は大変なお嬢様なのですが、非常に多くの問題をもっています。ほとんどこの女性を追うだけでも一つの小説として「カラマゾフの兄弟」は読めるのではないでしょうか。そして作者ドストエーフスキイ自身が、「重要な小説は第二部になっている」(上巻、p.11)と明言している第二部で、この女性とイワンの関係を書こうとして、そのためのいくつかの布石をあらかじめ打っていることは、ほぼ明白だと思います。
そうなるとこれは、ミーチャはアメリカに行かないのではないでしょうか。行くわけがない、そんなミーチャではない、「ここから三つ目の駅」(下巻、p.478)で脱走が成功して自分一人だと、グルーシャがそばにいないとわかった時点で、カーチャの激しい憎悪を察知し、またまたミーチャは激怒、絶叫、髪をかきむしり、その時、彼が乗っているものが、すなわち、港までの脱走の移動手段が、馬車なのか鉄道なのかは判明しませんが、そこから間違いなく飛び降りるのではないか。彼がそのまま移動を続けて、どこかの港から船に乗ってボーッとアメリカに行くというのは、ちょっと考えられない。したがって2は、結局3に吸収されるのではないか。

そこで3。これは「死の家の記録」が非常に参考になります。当時の囚人たちのあの状況の中で絵を描くということは、客観的にみてちょっと考えられない。したがって、「罪と罰」のラストシーンに広がるようなシベリアの限りない美しさの中で、自然美に目覚めたミーチャが、自然からの啓示を心にため続け、徐々に堆積してきたものが、非常に遅いスタートになるけれども20年後に絵を描こうという気持ちをもつようになるかもしれない。

以上より、「彼はその時まだやっと満二十歳であった(中の兄のイワンは当時二十四、長兄のドミトリイは二十八であった)。」(上巻、p.34)、「ドミトリイ・フョードロヴィッチは二十八歳で」(上巻、p.125)とありますから、ミーチャが芸術家になるのは、早くとも20年後48歳の時ということになり、大芸術家になる資質は埋もれたままで長い時が流れ、僕の第二部の夢想は早くもこの時点で頓挫することになりそうです。

長くなりましたので、イワンとアリョーシャは次回にします。

2021年3月15日
和田 健

「カラマゾフの兄弟」の再々読のことなど その1

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 9 March 2021 by kenwada

2021年1月24日に読み始めた「カラマゾフの兄弟」(中山省三郎訳、角川文庫)の再々読は、下巻の公判の尋問場面まできて、もう少しで終わりです。
素晴らしい読書体験の時にまれに起こる残りのページ数が減っていってしまうことが残念であるような、全部読んでしまうことが何だかもったいないような、ここからペースダウンして読もうかなという、今あの感覚に包まれています。
もうこれだけ世界中で広く読まれてきて、数えきれないほどの研究者がいて、日本にも多くの専門家がいて、僕などの初学者が言うようなことでは、全くありませんが、広く知られていますように、作者ドストエーフスキイ自身が、この物語の主人公はアレクセイであること、そしてこの小説には第二部があることを、冒頭部分ではっきりと明示していますので、第二部が構想されていたことは、まぎれもない疑いようのない事実であり、それについてアレクセイがテロリストとしてうんぬん、という今の研究の成果や流れのようなことには少し目を通してみました。
ですが、僕は一応画家ですので、その第二部は決して面白くない訳ではありませんが、あまり興味をひかず、僕はまるで正三角形の頂点ABCならぬDIAのようなこの三兄弟がそれぞれ芸術家に、具体的には画家になったら、さぞかし面白いだろうなと思い、以下勝手に第二部を夢想してしまいました。(タイトルや人名等の表記はすべて角川文庫版によります)

まず、長男ドミトリイ(ミーチャ)。
彼はおそらく間違いなく大芸術家になるでしょうね。間違いない。近代の絵画史で言ったら、フィンセント・ファン・ゴッホ級の大芸術家になると思う。確信できるものがある。この小説の第一部(すなわち角川文庫版でいう上中下巻)の主人公は、やっぱりミーチャだな。これは傑出しているというか、圧倒的というか、2004年に初めて読んだ新潮文庫版や2009年に再読した時の光文社古典新訳文庫版でもそう思いましたが、世界文学史上において、これ以上に書けている人物像、人間描写というものが、具体的に他にあるのでしょうか?少し考えただけでもダンテの「神曲」の中の登場人物をもってこないと十分に対抗できないように思います。
まるで今すぐにでも本人が紙面から躍り上がって飛び出してくる感じがします。
再読の時に、この三兄弟を抽象画で表せるだろうかというのをずっと考えていて、描き表す色で言えば、すなわちパレットに用意する色は当然赤。

ところで、ここで話はそれますが、ふと思って、果たしてゴッホは、「カラマゾフの兄弟」を読んだのだろうか?
これは非常に興味深い問題だ思う。ゴッホは書物が手に入るとまるで貪るように読んでいるので、活字への異様な飢えを感じますので、もしかしたら読んでいるかもしれない。「カラマゾフの兄弟」の刊行が1880年だから、1890年に亡くなったゴッホが(問題はフランス語に翻訳された初版本がいつ出版されたかですが、調べてみましたら1888年に出ているようです)、時系列的には読んでいる可能性が、あくまで可能性としてはあるかもしれない。
そこですぐに以前よく読んでいた「ゴッホの日記」(岩波文庫上中下巻)にあたってみる。
ない!
トルストイ、ボードレール、モーパッサン、聖書、ゾラ、ゴングール、フローベール、バルザック、ユゴー、ダンテ、ボッカッチョ、ディケンズ・・・、様々な名前が出てくるけれども、確認できる範囲ではない。
それなら話は、なおさら興味深くなってくるのだけれども、ゴッホがもし「カラマゾフの兄弟」を読んだとしたら、ミーチャに何を感じたか?自分と同じものを感じたか?炭鉱で牧師をしていた若い日々をふと思い出しはしなかったか?
「ゴッホの日記」が出たついでに、僕の長年の懸案であることをもう一つ。
ゴッホと弟テオは、この膨大な手紙のやり取りを、何故、パリ時代からフランス語で書いたのか?ということ。
普通、兄弟の手紙のやり取りは生まれ育った親密な母国語で書くでしょう、ましてや絶大な信頼を寄せる兄弟間で、つまりはオランダ語で。
これも僕にとっては非常に興味がある。

次に、次男イワン。
ドミトリイが大芸術家なら、この第一部の病気さえ治ったら、彼は完璧な芸術家になるでしょうね。
具象画、抽象画、人物画、風景画、どんな絵を描くかはわかりませんが、具象画なら、まず完璧に遠近法をマスターしてきた上でかくだろうな。
抽象画ならそれこそ同じロシアの後輩のワシリー・カンディンスキーのようになるだろうな。
完璧。隙がない。
色で言えば、再読の時は青と思いましたが、何故か再々読で変化して黄色。

さて、ここまでは僕にもわかるくらいだから、誰にでもわかることであって、問題はこの後、三男アレクセイ(アリョーシャ)。
これは難しい!アリョーシャは色で言えば黄緑。これは変わらない。
縦横斜め、誰がどこからどう見てもこの三兄弟の中で、一番温和で性格のバランスがとれていて、まるで天使のような優しさや誠実さに溢れていて・・・。
最初はモネの数々の作品のような詩情あふれる限りない優しさに満ちた絵を描くかなと思っていたのだけれど、違う!
モネにはもっとミーチャ並みの凄まじい、ぶっ飛ばすような頑丈なハート、まるで肉に食らいつくような闘志、執念、粘りがある!
そこで僕の直感による予想。
直感というのは大事ですよね、言わば今までのその人の人生のすべてがその一点に凝縮して集中される訳ですから。
僕はアリョーシャは絵が描けないのではないかと思う。
おそらく手帳に描くようなスケッチとかそういう類いのものは、さらさらと抜群にうまいのではないか、思わずまわりにいた誰もが覗きこんでしまうような。
ただうまく言えませんが、絵は描けないのではないか。
何故そのようなことを思うのだろう。
つまり先に直感による仮説を大胆に提示して、後からそれについて考えて少しでも肉づけしていく手法。
と言いますのは、わかること、手の内にあることばかりやっていても仕方がありませんから。
仕方がないというのは別に投げやりな意味ではなくて、脳が伸びない変化しないという感じの意味です。
もちろん間違えるかもしれない。
でも僕が僕に直感を提示して間違えて、僕が恥をかく訳だから、僕は別に誰にも迷惑はかけない。
何故、アリョーシャは絵が描けないと思うのだろう?
わからない。
・・・・
おそらくアリョーシャには罪がないからだな。罪がなければ絵は描けない。この命題は成立するか?
直感の直感になってしまうけれども、ここは何かすごく大事だな。

最後に立命館の井田先生という方の分析が非常に勉強になりましたので、ここに添付してご紹介させていただきます。

1月にMITのOCWに熱中していた時に、世の中にこんなに素晴らしい講座が、無料で誰にでも公開されていて、コメントを読めばわかるように、世界中の若者がそれを使って猛勉強していて、現代において果たして大学に行く意義は何なのか、と自問していましたが、昔も今も◯◯大学の◯◯学部の◯◯教授に是非教わりたいという時に進学する意味はあると思うのですが、僕の考えは間違っていますでしょうか?

さて一昨日、2021年3月7日からフィラデルフィアでシャイム・スーティン/ウィレム・デ・クーニング展が開催されました。
行きたい!観たい!
この展覧会を初めて知った時、キュレーターの企画の段階で、もう勝負あったな!一本取られたな!という感じがしました。
そうきたか、その組み合わせできたかという感じ。
これからは美的センスって何ですか?って人にきかれたら、これですと答えよう。
そして僕も、ミーチャ/フィンセント展企画で対抗しよう。
天才スーティンのことを、そしてスーティンがどれだけの天才であるかを、もっともっと多くの人に広く知っていただけたらと思います。
日本でも決して知名度が低い訳ではありませんが、この程度の認知度におさまっているのは、ごく単純な理由からで、それは彼の作品にまとめて大量に接する機会が少ないからです。
例えば、ジャン=ミシェル・バスキアの系譜をたどれば、(ここはよく勘違いされていますが)天才というのは決して一人で突如としては出てきませんので、まずジャン・デュビュッフェの影響をあげるのは簡単であって、その先に僕は、スーティンがいると思う。
もう絵と言うよりは、脳が歪んでいます。
僕はフランス時代にまずポンピドゥー・センターで衝撃を受けた後、2007年10月から2008年1月にかけてのパリ8区の Pinacothéque de Paris の展覧会、その展覧会名もそのまま SOUTINE で洗礼を受けました。
その時、ちょうど100作品まとめて展示されていました。
片やデ・クーニングは、もちろん大芸術家には相違ありませんが、僕はどちらかというと天才と言うよりは、偉大なる努力家、年代順にレンブラント、ゴッホ、デ・クーニングときて、やはり何か共通するものを感じませんか?
オランダに連綿と続く、並外れた桁外れのハード・ワーカーの系譜・・・。
パリやロンドンでは、あまりデ・クーニングがまとめて観れなくて(実際に所蔵点数が少ないように思います)、僕は初めてニューヨークに行った2016年4月に、The Met で開館時間の30分前から並んで、よーし、今日はデ・クーニングを浴びるほど観るぞ、と思って全て回って、そうしたら1枚しかなくて、係員にデ・クーニングのフロアはどこですか?僕は、デ・クーニングのフロアはなくとも、少なくともせめて専用の展示室はあると思っていたから。そうしたら調べてくれて1点ですって言われて、その1点は観ました、あとはどこにあるのですか?ないって言われて、The Met に、このアメリカ最大の美術館に、デ・クーニングが1点しかないって言って、そうしたらそれはすごく理解できるって言ってくれて、でもその時、1点でも観れたら幸せなんだなということを、上記のスーティンの話と矛盾するようですが、何だかしみじみと感じました。
せめてオンラインで少しだけでも触れてください。

https://www.barnesfoundation.org/whats-on/exhibition/soutine-de-kooning

最後に僕のサイト史上、第二問目のクイズ。
下の写真の自転車に乗っている偉大な芸術家は誰でしょう?
ということで、もうほとんどクイズになりませんね。
答えは写真をクリックしていただくとわかりますが。
しかし、それにしても素晴らしい写真だな。
僕はアトリエに貼っています。

Photograph ©2020 The Estate of Dan Budnik. All Rights Reserved.

2021年3月9日
和田 健

Is Sonia a Great Sinner?

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , , , , on 8 February 2021 by kenwada

CRIME AND PUNISHMENT, FYODOR DOSTOYEVSKY, TRANSLATED BY DAVID MAGARSHACK, THE PENGUIN CLASSICS

‘I was lying on the bed just then ー well, why keep it dark? ー I was dead drunk at the time, and suddenly I heard my Sonia (like a little lamb she is, the poor child, and her voice, too, so meek ー she has fair hair and her face has always been so thin and pale), “Well,” she said, “you don’t want me to do that, do you?” And Darya Franzovna, a wicked woman who’s been in trouble with the police, had several times already been making inquiries about her through our land lady. “Why,” my wife replied jeeringly, “what’s so terrible about that? Who are you keeping it for? What a treasure!” But don’t blame her, don’t blame her, sir, don’t blame her! She was not in her right mind when she said it. She was beside herself, and ill, too, and the children were hungry and crying, and she didn’t mean it, really. Just wanted to say something humiliating. She can’t help herself, I’m afraid. It’s her character, you see. And when the children begin to cry, even if it is only because they’re hungry, she at once starts beating them. And so at about six o’clock I saw Sonia get up, put on her coat and a shawl, and leave the room, and at about nine o’clock she came back. She came back, went straight up to my wife, and put thirty roubles on the table before her without uttering a word. Not a word did she utter, nor did she even look at my wife, but just took our large green drap-de-dames shawl (we have such a shawl which we all use, a drap-de-dames shawl), put it over her head and face, and lay down on her bed with her face to the wall, her thin shoulders shaking all the times, And I, sir, was just lying there as I did before ー dead drunk. And it was then, young man, that I saw my wife, also without uttering a word, walk up to Sonia’s bed, go down on her knees, and kiss Sonia’s feet. And the whole evening she was on her knees, kissing Sonia’s feet and refusing to get up. And eventually they both fell asleep in each other’s arms ー the two of them. Yes, sir, the two of them, and me lying there drunk as a lord!’
(ibid. p.35)


Ken WADA, 2014, Watercolour and pencil on paper, 27.3×22.0cm

‘So you are fond of her?’
‘Fond of her? Of course I am,’ Sonia said in a plaintive, drawn-out voice, folding her hands in distress. ‘Oh, if you ー if you only knew her! She’s just like a child really. She ー she’s almost out of her mind with grief. And what a clever woman she used to be ー how generous ー how kind! Oh, you don’t know anything ー anything!’
(ibid. p.333)

‘I did not bow down to you, I bowed down to all suffering humanity,’ he said wildly, and walked off to the window. ‘Listen,’ he added, coming back to her in a minute. ‘I told some bully an hour or so ago that he was not worth your little finger and ー and that I did my sister an honor to-day when I made her sit beside you.’
‘Oh, you shouldn’t have said that to them! And was she there, too?’ Sonia cried, frightened. ‘Sit beside me? An honour? Why, I’m a dishonourable creature! I’m a great, great sinner! Oh, what did you say that for?’
(ibid. p.337)

A book was lying on the chest of drawers. He had noticed it every time he walked up and down the room. It was the New Testament in a Russian translation. The book was an old one, well thumbed, bound in leather.
‘Where did you get that?’ he shouted to her across the room.
She was still standing in the same place, three steps from the table.
‘Someone brought it to me,’ she replied, as though reluctantly and without looking at him.
‘Who brought it?’
‘Lisaveta did. I asked her to.’
‘Lisaveta! That’s strange!’ he thought.
Everything about Sonia seemed stranger and more wonderful to him every minute.
‘Where’s that place about Lazarus?’ he asked suddenly.
Sonia’s eyes were fixed stubbornly on the ground, and she did not reply. She stood a little sideways to the table.
‘Where is the place about the raising of Lazarus? Find it for me, Sonia.’
She gave him a sidelong glance.
‘It isn’t there,’ she whispered sternly, without coming closer to him. ‘It’s in the fourth gospel.’
‘Find it and read it to me,’ he said, sitting down, with his elbow on the table and his head on his hand, and, fixing his eyes on the opposite wall, he looked away sullenly, prepared to listen.
(ibid. p.339)

Again it was a bright and warm day. Early in the morning, about six o’clock, he went off to work on the bank of the river in a shed where there was a kiln for baking alabaster and where they used to crush it. Only three prisoners went there. One of the prisoners, accompanied by a guard, went back to the fortress for some tools; the other one was chopping wood and putting it into the furnace. Raskolnikov came out of the shed to the bank of the river. He sat down on a pile of timber by the shed and began looking at the wide, deserted expanse of the river. From the steep bank a wide stretch of the countryside opened up before him. Snatches of a song floated faintly across from the distant bank of the river. There in the vast steppe, flooded with sunlight, he could see the black tents of the nomads which appeared just like dots in the distance. There there was freedom, there other people were living, people who were not a bit like the people he knew; there time itself seemed to stand still as though the age of Abraham and his flocks had not passed. Raskolnikov sat there, looking without moving and without taking his eyes off the vast landscape before him; his thoughts passed into daydreams, into contemplation; he thought of nothing, but a feeling of great desolation came over him and troubled him.
Suddenly Sonia was beside him. She had come up noiselessly and sat down close to him. It was still very early; the morning chill had not yet abated. She wore her old shabby coat and the green shawl. Her face still showed traces of illness: it was very thin and pale. She smiled at him joyfully and tenderly, but as usual, held out her hand to him timidly.
(ibid. p.556)