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連続森の中のリアルタイム童話第3回:「きくねえちゃんのサンポ」

Posted in 連続森の中のリアルタイム童話 2020 with tags , , , , , on 7 September 2020 by kenwada

秋の一日、2014年10月、北軽井沢 作品 No.153、紙に水彩、26.0×36.0 cm

連続森の中のリアルタイム童話第3回:「きくねえちゃんのサンポ」
語り手:和田 雷
聞き手:和田 健
絵:和田 健
登場人物・動物
・黒猫の子猫で語り手の雷 3ヶ月
・やさしいきれいな猫の楢姉ちゃん 1才
・お父さん
・お母さん
・雷を守る 9羽の雌鶏のお姉ちゃんたち 1才
・雷が憧れるかっこいい猫のもみ兄ちゃん 1才
・大きな柴犬の喜久姉ちゃん 9才

ライだよ、おとうさんとおかあさんのところへきてあっというまにはんつきがたったんだ、それでけさはじめてやねにひとりでのぼれたよ、それをみていたおかあさんが、ライ、すごいねえ、もうやねにのぼれるんだねってほめてくれたんだ。はんつきのあいだにはなしたいことがたくさんあったけれど、ぼくがいちばんキョウミをもったのは、おおきなしばいぬのきくねえちゃんのサンポなんだ、おとうさんがまいにちあさはやくとゆうがたにきくねえちゃんをつれてサンポにでかけるんだけれど、これにいっつももみにいちゃんとならねえちゃんもくっついていくんだ。おとうさんは、いぬのサンポについてくるねこなんてとてもめずらしいんだぞっていっていた。だからぼくもいっしょにいきたくてしょうがないんだけれど、おとうさんがライにはまだはやすぎるな、まいごになったらたいへんだからなっていうんだ。もみにいちゃんにもきいてみたんだけれど、おまえみたいなちいせえやつがあるけるようなハンパなキョリじゃねえっておこられたんだ、それでぼくはいっつもにわのはじっこのカッテグチってところまででおしまいなんだ、いつだってにゃーんにゃーんってきくねえちゃんともみにいちゃんとならねえちゃんをみおくるだけなんだ。
さっきもひとりでルスバンしていて、にわとりのおねえちゃんたちとあそんでいたら、なんだかすっごくつかれちゃって、サンランバコのなかでねむっちゃたんだ、そしたらサンポからもどってきたやさしいならねえちゃんが、ライ、おいでってよんでくれて、サンポにはやくいっしょにいけるようにまいごにならないれんしゅうをしようっていってくれて、ならねえちゃんは、まずここはダイガクムラっていうんだよ、さいしょにおとうさんのすんでいるじゅうしょってもんをしっかりおぼえなきゃいけないよっておしえてくれたんだ、ぼくはなんだかずいぶんえらそうななまえだなあっておもったけれど、うんわかったよ、ダイガクムラだねっていったら、ならねえちゃんが、いいかい、ライ、ちずをもってあるくなんてニンゲンみたいな、しみったれたまねをしちゃいけないよ、あたしたちねこのごせんぞさまは、よんせんねんもまえのえじぷとってくにのきのうえにいたんだからねって、おまえだってけさはじめてやねにのぼれたんだろう、そうやってたかいところからフカンしてなんでもものごとをはんだんするんだよ、いいね、ねこのキョウジってもんをしめさないといけないんだ、それからミギとかヒダリとかもはしたなくていけない、とってもヒンがないからね、ちゃんとおまえはこれからトウザイナンボクってもんをだいじにして、ずーといきていかなきゃいけないんだ、おひるにトナリムラのくりだいらのボウサイムセンがなるだろう、あれがなったらおてんとうさまをかならずすぐにみるんだよ、そしたらそっちがみなみだ、そのはんたいがわがきただよ、きたをむいたらおまえがいっつもしっぽをかたむけているほうがひがしで、そのはんたいがわがにしだよ。
いいかい、ライ、ここからがだいじなところだよ、よっくきいてあたまにいれるんだよ、おまえはちいさいけれどあたまがいいんだからねって、ダイガクムラはゴバンのめのようになっているんだよって、じめんにおおきなたてとよこのせんをなんぼんもかいて、いまライとあたしがいるのがここだよ、ライ、きたにひとついって、ひがしにひとついって、みなみにひとついって、にしにひとついったらどこだ、ぼくはずーっとのらをしてきたからすぐにわかって、ならねえちゃん、いまいるところだよっていったら、やっぱりおまえはちいさいけれどのみこみがはやいんだねえってほめてくれて、じゃあライ、モンダイだよって、きたによっつあるいて、ひがしにふたつあるいて、みなみによっつあるいて、にしにふたつあるたらどこだ、ならねえちゃん、かんたんだよ、やっぱりいまいるところさってこたえたら、ならねえちゃんはほんとにうれしそうで、このこはあたまがいいんだねーって、じゃあライ、こんどはむずかしいよ、オウヨウモンダイっていうんだよ、きたにむっついって、ひがしにみっついって、みなみにむっついって、にしにふたついったらどーこだ、ええっと、ちょっとまってね、わかったぞ、ならねえちゃん、となりのひがしのいえのかどだよってこたえたら、やさしいならねえちゃんはすっごくカンシンしたようすで、おまえはからだがよわくて、このあいだまでびょうきばかりしておとうさんをこまらせたけれど、ほんとうにあたまがいいんだねえって、これならいますぐにでもサンポにいけるねえって、すっごくほめてくれて、ちょっとここでまっているんだよ、いいものをあげるからねっていって、ゆかしたのならねえちゃんのひみつのひきだしのかぎをあけて、なかからきれいなみずいろのびーだまをひとつもってきてくれて、これおまえにやるよ、まえにきくねえちゃんのサンポのときみちでみつけたんだよ、ばんごはんまでこれであそんでいるんだよっていって、こんなだいじなもんいらないよってかえそうとしたんだけれど、ならねえちゃんはいいんだよ、もってなっていったんだ。
しばらくひとりでみずいろのびーだまをまえあしでころがしながらあそんでいたら、そこにもみにいちゃんがとおりかかって、ぼくはもみにいちゃん、オウヨウモンダイだよっていって、ならねえちゃんからさっきおそわったばかりのことをとくいになっていったんだ、もみにいちゃん、みなみにみっつあるいて、にしにふたつあるいて、きたにみっつあるいて、ひがしにふたつあるいたらどーこだっていったら、もみにいちゃんはいっしゅんうってうなって、しばらくかんがえていたけれど、きゅうにすっごくおっかないめつきになって、ひるまからオウヨウモンダイなんてかんがえているようなやつはとてもおとことはいえねえ、そんなのはおんなのすることだっていうんだ、おとこはいつもハタシアイにそなえていなくちゃいけねえ、それにおとこがみちをあるくときは、おんなみてえにミチバタでぺちゃくちゃしゃべったりちゃらちゃらしねえで、だまってまっすぐにまえをみてあるかなくちゃいけねえ、それがおとこってもんだ、だからたまにニンゲンにあって、みちをきかれてもそこはだまってとおりすぎなくちゃいけねえ、そいつがトセエニンのつれえところよってもみにいちゃんはいって、ライ、おまえなにしてあそんでいるんだ、おとこがそんなびーだまなんかころがしてあそんでちゃいけねえ、そんなあそびはおんなのすることだ、ちょっとまってろおまえにみせてえもんがあるっていって、ゆかしたのもみにいちゃんのひみつのひきだしのかぎをあけて、なかからあかやきいろのいろいろないろのおちばをもってきて、みろこれがねこふだってえもんだ、おとこはこんなもんで、やねのうえであそぶんだ、さしむかいでよっていうんだ。おまえさっきならにきいたんだけれど、けさやねにのぼれたんだってな、じゃ、おれについてきなって、もみにいちゃんはひょいってやねにのぼって、ぼくもあとからまえあしでひっしにはいあがって、アキバレのとたんやねのうえはひんやりしてすんごくきもちよくて、そらがとってもあおくてあたまのうえをしろいすじぐもがながれていた。もみにいちゃんが、ほらこうしてあそぶんだぞって、ねこふだをやねのうえにならべたときなんだ、ひゅーってとつぜんすっごいかぜがふいて、もみにいちゃんのだいじなねこふだがぜーんぶそらにまいあがっちゃって、ぼくはああたいへんだって、もみにいちゃんどうしようって、そしたらもみにいちゃんが、おとこがそんなことでじたばたするんじゃねえ、そんなドキョウじゃとてもおとことはいえねえ、かぜにまいたきゃまってぜんぶなくなりゃいいのよ、そうすりゃまたいちからあつめりゃいいだけのはなしよって、それがおれたちねこのいっしょうってえもんよっていったんだ。
もみにいちゃんのだじなねこふだが、まっさおなそらにかぜにきらきらまうのを、もみにいちゃんのとなりにすわってぼくはじーっとみつめていたんだ。もみにいちゃん、あんまりきれいだねっていったら、ああライ、こいつはいつまでもわすれねえだろうなって、もみにいちゃんがいったんだ。

―シリーズ「様々な色彩の小さな斑点が僕に語りかけてくること」より-、2014年9月、北軽井沢 作品 No.145、紙に水彩、グワッシュ、26.0×36.0 cm

(つづく)

今後の不定期の掲載予定:
第4回:「もみにいちゃんのハタシアイ」
第5回:「ライのふらんすゴ」(全5話完結)

連続森の中のリアルタイム童話第2回:「ライのカゾクでびゅー」

Posted in 連続森の中のリアルタイム童話 2020 with tags , , , , , on 4 September 2020 by kenwada

ある芸術家が死んだ後、森の中に遺された十編の青い詩 10 −神の栄光と母のための庭−、2017年7月、北軽井沢 作品 No.289、紙にアクリル、水彩、鉛筆、71.8×77.3cm

連続森の中のリアルタイム童話第2回:「ライのカゾクでびゅー」
語り手:和田 雷
聞き手:和田 健
絵:和田 健
登場人物・動物
・黒猫の子猫で語り手の雷 3ヶ月
・やさしいきれいな猫の楢姉ちゃん 1才
・おばあちゃん
・お父さん
・お母さん
・雌鶏の二三姉ちゃん 5才
・雷が憧れるかっこいい猫のもみ兄ちゃん 1才
・大きな柴犬の喜久姉ちゃん 9才
・獰猛な白鼻心 年齢不明

ライだよ、かぜぐすりもおわったし、はなじるがでなくなったから、ライ、こんばんからはカゾクだぞ、これからはよるはいえですごすんだぞって、けさおとうさんがいってくれたんだ、それまではカンセンショウっていうびょうきが、もみにいちゃんやならねえちゃんにうつらないようにって、ぼくはカクリされていたんだって。それでもってとんでもなくながいひるまがようやくおわって、まちにまったゆうがたになって、さあいよいよカゾクだぞ、これからはどれだけすばらしいんだろうなあって、どあをあけてなかへはいろうとしたら、げんかんのところでならねえちゃんがまっていて、おまえいいかい、カゾクはたすけあわなきゃいけないんだよ、なにごともさいしょがカンジンなんだからね、しっかりやるんだよ、さあがんばっておいでって、ならねえちゃんはぼくのおしりをぽんとねこぱんちでおしてくれたんだ。そしたらぎーってどあがあいて、でんきゅうがきらきらひかってて、ああやっぱりあかるいなあ、これがいえのなかってもんなんだなあとおもったしゅんかん、むこうからおおきなしばいぬのきくねえちゃんがまんめんのえがおでトッシンしてきたんだ、きくねえちゃんはそのままぼくのおなかのしたにはなをつっこんでぽーんとうえにほうりなげたからたまんない、ぼくはにゃーんてはじめてのいえのなかをいきなりとんでろうかのかべにおもいっきりぶつかって、ばたってたおれてきをうしないそうになったんだ。それでもなんとかよろめきながらかうんとえいとでたちあがったんだけれど、またきくねえちゃんがものすごいいきおいでにこにこしながらトッシンしてきてはなをつっこんではほうりなげて、もうきくねえちゃんはうれしくてうれしくてしょうがないっていうかんじで、もうぜんぜんやめてくんなくて、それをそのままさんじゅっぷんもつづけるんだ、さいごはもうぼくもふらふらになってしまって、もうだめだしぬ、なんだ、あこがれのカゾクったって、たったこれだけでもうおしまいかとおもったときに、きくねえちゃんがとつぜんぴたっとやめて、がぶがぶみずをのみはじめたんだ。ぼくはああたすかったとおもって、ぼくものどがからからできくねえちゃんがのみおわるのをまってみずをすこしだけのませてもらったんだ。それにしてもずいぶんてあらいカンゲイだったな、きくはよほどうれしかったんだなって、おとうさんがおかあさんにいっていた。
それからあとはやっぱりおもってたとおり、すんごくたのしくて、みんなでばんごはんをたべて、きょうあったことをおはなして、それからいえのなかにはいってはじめてしったんだけれど、くるまいすにのったおばあちゃんがいて、ならねえちゃんがおとうさんのおかあさんだよってそうっとおしえてくれて、おばあちゃんがまずぼくをひざのうえにだっこしてくれて、つぎにおとうさんがだっこしてくれて、さいごにおかあさんがだっこしてくれて、そりゃもうちゃんとおさらにのったごはんはでるしみずはあるしで、やっぱりカゾクはいいなあとおもって、そうおもったらこれまでのらをしてきたつかれがどっとでちゃって、ザイスのうえであんまりきもちよくてついうとうとしちゃったんだ。
そしたらそのときとってもふしぎなゆめをみたんだ、ぼくはまだのらをしていて、おつきさまやきれいなおほしさまにかこまれて、まいばんねるところはきのむいたところにかってにじゆうにねて、だれにもなんにもいわれないし、でもそういえばともだちはひとりもできなかったな、あとはくびしんってドウモウなやつがよなかにいきなりおそってきたときにはほんとうにふるえあがったな、あのときはぜったいにしぬなとおもった。どこかのあきやのうらにわにほうりだしてあったすのこのしたにもぐりこんでカンイッパツいのちびろいしたんだったっけな。
そのばめんでゆめからめがさめたら、もうだいぶじかんがたってて、となりのならねえちゃんのかごをみたらすーすーねていて、もみにいちゃんもねていて、おばあちゃんもおとうさんもおかあさんもみんなねていて、いえのなかはさっきまでのばんごはんのときとちがって、すっごくしずかでしーんとしているんだ。かべのふるいとけいが、かちっかちってはじめてきくおとをだして、ぼくをさかんにおどかそうとしていたけれど、ぼくはなんだかすっごくふしぎだなあって、またいつものようにひとりでかんがえはじめたんだ。おとこらしいもみにいちゃんのこと、やさしいならねえちゃんとであったこと、おとうさんやおかあさんのこと・・・そのあとぼくはなぜだかじぶんでもよくわからないんだけれど、なんだかとってもあかるいすっきりしたきもちになっちゃって、のそのそとじぶんのかごにもどってそれからあさまでぐっすりねむったんだ。
あさになったら、ならねえちゃんがライ、はやくおきれってぼくをおこしにきて、ミメイににわとりのふみねえちゃんがなくなったっていうんだ、ロウスイだったって。たいへんだ、ふみねえちゃんにはとくにかわいがってもらったからって、すぐにそとにとびだしてみたら、おとうさんがもうにわにおはかをほって、そこにふみねえちゃんをそうっとうめて、それからながいおキョウをしておセンコウをあげていたんだ。おとうさんのよこでもみにいちゃんがきちんとすわってじーっとそれをみていたんだ。そのときもみにいちゃんが、ライ、おまえもこっちへきてちゃんとすわれ、おれたちねこのヒンイがとわれているんだぞって、おおきなこえでぼくにはじめてくちをきいてくれたんだ。おとうさんはぼくがきたのをみて、ふみはごさいだったんだよ、いろいろなことをおしえてくれたたいせつなすばらしいにわとりだった、きっとさいごのばんにライがカゾクになっていえにくるのをまっていてくれたんだねっていったんだ。マイソウがおわってぼくはおとうさんとあるきながら、それはくがつのはじまりのひで、もうあさのくうきはつめたくて、ふみねえちゃんのいなくなったにわとりごやのはしらにあかとんぼがとまっていた。そのときぼくはおもったんだ、もうびょうきなんかしていられない、がんばっていきていかなきゃな、もうのらじゃないんだ、カゾクなんだからって。
(つづく)

今後の不定期の掲載予定:
第3回:「きくねえちゃんのサンポ」
第4回:「もみにいちゃんのハタシアイ」
第5回:「ライのふらんすゴ」(全5話完結)

連続森の中のリアルタイム童話第1回:「ライだよ、」

Posted in 連続森の中のリアルタイム童話 2020 with tags , , , , , on 27 August 2020 by kenwada

山奥の子猫、2014年10月、北軽井沢 作品 No.152、紙に水彩、24.2×33.3 cm

連続森の中のリアルタイム童話第1回:「ライだよ、」
語り手:和田 雷
聞き手:和田 健
絵:和田 健
登場人物・動物
・黒猫の子猫で語り手の雷 3ヶ月
・やさしいきれいな猫の楢姉ちゃん 1才
・お父さん
・お母さん
・煙突掃除のやさしいお兄ちゃん
・雷を守る雌鶏の二三姉ちゃん 5才と 9羽の雌鶏のお姉ちゃんたち 1才
・雷が憧れるかっこいい猫のもみ兄ちゃん 1才
・大きな柴犬の喜久姉ちゃん もうすぐ 9才

ライだよ、なまえはおとうさんがつけてくれたんだ、ジュウサンカクだからいいなまえだぞって、おとうさんはいっていた。
ならねえちゃんもジュウサンカクなんだって、ジュウサンカクってなんのことだかわからないけれど、なんかすごくいいひびきだな、とってもかっこいいや。
それに、ならねえちゃんはすんごくやさしいから、ならねえちゃんといっしょっていうのがまたいいな。
ぼくはしにそうだったんだけれど、おとうさんがどうぶつびょういんにつれていってくれて、まいにちさんかい、めぐすりとかぜぐすりをしてもらっているんだ。
それですこしくしゃみがでなくなって、はなじるはとまってきたんだけれど、めがまだまだで、めやにがすごいんだ、おとうさんはふいてもふいてもなおらないなっていっていた。
ぼくはうまれてからずーっとこれまでもりのなかでのらをしてきたんだ、それでもうさんかげつたったんだって、だからキタナイってなんのことだかよくわからないんだけれど、いままでときどきニンゲンにあうと、いつもキタナイ、バイキンっていわれて、みんなぼくのことをさけるんだ。
ぼくはどうしてなんだろうとずーっとおもってた。それでかんがえてかんがえて、かなしいっていうのはきっとこういうことなんだなっていうことがよくわかった。そんで、さいごしにそうになって、おとうさんのところへいったら、おとうさんとおかあさんとそれからこのあいだ、えんとつそうじのおにいちゃんがきたんだけれど、みんなたすけてくれたんだ。
えんとつそうじのおにいちゃんは、ぼくのおなかについていたおちばまでわざわざとってくれて、ねこがにわとりといっしょにいるなんてめずらしいねって、そうっといってくれた。
そうなんだ、ぼくはいっつもいちにちじゅう、にわとりごやのすみっこで、にわとりのふみねえちゃんたちをみながらひとりでかんがえているんだ。ひとりでいるときは、かんがえていることがいちばんいいんだ、だってだれにもめいわくはかけないし、じかんだっていくらでもつぶせるし、おかねだっていちえんもかからないんだ。のらをしていたとき、みちでごえんだまをみつけたんだけれど、あながあいているだけでぜんぜんおもしろくないからすぐにすてちゃった。
ときどき、やさしいならねえちゃんがきて、かまってすこしあそんでくれるよ、でもぼくはまだはやくはしれないから、おにごっこをしてても、ならねえちゃんはすぐにあきてどこかへいってしまうんだ。
それからぼくのあこがれはもみにいちゃんで、それはすっごくかっこいいんだ、やねからやねにひょいととびうつちゃって、ぼくもいつかあんなふうになりたいなあ、そんけいしちゃうなあ、でももみにいちゃんにはまだいちどもはなしかけてもらったことがないんだ、おまえなんかまだシュギョウがたりないって、もみにいちゃんはじっとめでいうんだ、でもシュギョウっていったいなんだろう。このあいだ、もみにいちゃんのまねをして、すこしだけきのぼりをしてみたよ、それをみていたおかあさんがやさしくわらってくれた。
それからならねえちゃんにきいたんだけれど、おおきなしばいぬのきくねえちゃんがいるんだって、このあいだすこしあって、びっくりしちゃったんだけれど、おおきすぎてかおがよくみえないんだよ、でもならねえちゃんはわがやでいちばんえらいのは、きくねえちゃんなんだぞっていっていた、おまえいいかい、いくらちいさくても、そこんところはしっかりわきまえていなくちゃいけないよ、カゾクなんだからって、いわれたんだ。すっごくふしぎだなんだけれど、おもってたよりたいへんなんだなあ、カゾクになるのって。
のらをしていたときは、カゾクになりたくて、そりゃもうゆめにまででてくるくらいになりたくてしょうがなくて、よるになっていえのあかりがつくと、わあ〜きれいでいいなあとおもってた、あのなかにぼくもはいりたいなあ、きっとあたたかくてたのしいだろうなあって。いえのなかはあめもふんないし、よるはみんなでごはんをたべて、きょうあったことをじゅんばんにおはなししたりするんだろうなって。でもぼくはキタナイからカゾクはむりだろうなっていっつもあきらめていたんだ。それでかんがえてかんがえて、さびしいっていうのはきっとこういうことなんだなっていうことがみにしみてよくわかったんだ。
このごろおとうさんはライはこえがとてもいいっていうんだ、びょうきがなおったら、ショウライ、おんなのこにもてるぞって、でもショウライってなんだろう。ぼくはおんなのこなんかにまるできょうみはないけれど、それでもやっぱりもてるんなら、ならねえちゃんみたいなやさしいきれいなこがいいな。でもこのままここで、にわとりのふみねえちゃんたちのよこでごはんがもらえたら、それがいちばんいいな、でももうびょうきだけはしないようにしたいな、すっごくくるしかったから。
それからおとうさんは、もしかしたらこのこはあたまがすごくいいかもしれないっていうんだ。
だけどおとうさんとおかあさんがどうしてやさしくしてくれるのかはぼくにもわからないな、そうだ、こんどならねえちゃんにきいてみよう、どうしてかなって。
(つづく)

今後の不定期の掲載予定:
第2回:「ライのカゾクでびゅー」
第3回:「きくねえちゃんのサンポ」
第4回:「もみにいちゃんのハタシアイ」
第5回:「ライのふらんすゴ」(全5話完結)

ライだよ、ぼくのゆーちゅーぶができたよ、いえへきたばかりのときに、おとうさんがとってくれたんだ。ゆーちゅーぶってなんのことだかわからないけれど、のらをしていたときは、そんなもんにでるなんてゆめにもおもわなかったな。おもってもみなかったことは、よくおこるんだぞって、おとうさんはいっていた。まあいいや、やさしいならねえちゃんといっしょだから、じゃあね!