「カラマゾフの兄弟」の再々読 その4

最後に三男アレクセイ(アリョーシャ)。アリョーシャにつきましては、初回に書いたことと、ほとんど変更はありません。僕は、リーズとの恋愛は破滅すると思います。一緒にくっついてきそうな善良な「人はいいけれどなんら定見のない」(中巻、p.91)ホフラーコワ夫人については、作者ドストエーフスキイ自身も何か微笑ましいおしゃべりな夫人として見ている感じがしますが、でも毎日、こんな風になんとかですわ、なんとかですわ、なんてやられたらたまりませんが。しかしそれにしてもドストエーフスキイは、脇役のこうした生き生きした姿や点描を書かせたら、それこそ天下一品ですね。もう見事と言うほかありません。つまり、僕の言いたいのは、こうしたホフラーコワ夫人やスネギーレフ二等大尉、「罪と罰」の僕の大好きなマルメラードフ、そういったクラスの脇役でなくとも、もっと小さな役、例えばミーチャがピストルを質入れする若い官吏ペルホーチンですとか、極端に言えばその息子の台詞のない!ミーシャにいたるまで、まるで彼の手にかかると何か魔法のように、いつも躍動感にあふれた生き生きとした人間描写の登場となります。
このホフラーコワ夫人の娘のリーズには非常に大きな問題があります。具体的には、下巻のp.148、149あたりで展開されるユダヤ人の復活祭の子供の話です。今まで全て本文を引用しながら話を進めてきましたが、ここでは引用するのもためらわれます。ドストエーフスキイは何故このような話をここへ挿入したのでしょうか。これはよくない。ドストエーフスキイのこうした負の側面については、どのように考えられているのでしょうか。全体として圧倒的なまでのそれこそ前代未聞の崇高にして深遠なるテーマを与えてくれるために、こうした負の側面があってもよいということにはならない。和田さん、そんな小さなことには目をつぶりなさいよ、何といっても彼は世界の大文豪なのですからとはなりません。この理屈が通ることは、決してあってはならない。ましてや文学だとか絵画であるとか芸術分野でその理屈が通ることはあってはならない。むしろそれに対抗するのが、芸術の本来の役割であるはずですから。この論理が一旦まかり通ると、それは現在、世界中で繰り返されているように、大きな平和のためには、小さな平和は犠牲になってもやむを得ないということにつながります。それから僕がよくないと思う別の意味として、後世の作家がこの手法を形として、要は悪のエピソードを挿入する形式として、取り入れようとする危険性を伴うのではないか、と考えるからです。

次に、第一部で二十歳のまるで天使のようなアリョーシャについて、ドストエーフスキイが冒頭部分で思わずギョッとするようなことを言っています。僕は、結局この物語の最後まで、冒頭部分のドストエーフスキイのこの言葉が忘れられませんでした。
「問題は、彼もおそらく活動家なのであろうが、それもきわめて曖昧で、つかみどころのない活動家だというところにある。もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、むしろ奇人に近い人物だということである。」(上巻、p.10、11)
ドストエーフスキイはこの物語を「単にわが主人公の青年時代の初期の一刹那のことにすぎない。」(上巻、p.11)と言います。
「第一の小説は今を去る十三年の前にあったこと」(上巻、p.11)ですので、彼は三十三歳になったアリョーシャの何を二十歳の時点ですでに看破しているのだろう。二十歳のこの上なく天分に恵まれた瑞々しい青年もやがて四十歳になり六十歳になります。心酔する六十五歳のゾシマ長老の「娑婆」(上巻、p.144)で生きなさいという教えに従い修道院から去るところ、「われわれが彼を置き去りにして以来、アリョーシャはひどく変わっていた。彼は法衣を脱ぎすてて、今は見事に仕立てたフロックコートをまとい、短く刈りこんだ頭には、柔らかい丸い帽子をかぶっていた。それらがひとかたならず彼の風采を引き立てて、すっかり美男子に仕立てていた。」(下巻、p.44)という変貌や、大変な非常事態ではあるけれども、一度は神につかえた身でありながら、三つ目の駅長に「だから、イワン兄さんやカーチャが僕にそうしてくれと頼んだら、そのときは出かけて行って賄賂を使うつもりです。」(下巻、p.492)とあるところ。
その辺りから、さらに考えてみようと思います。

僕がこの物語に惹きつけられるのは、父フョードルはもちろん言うまでもないとしても、ミーチャ、イワン、アリョーシャと、三兄弟がみんな不完全で病んでいることにあるのかもしれないなと思います。そのことが逆に、誰でも一人一人何とか必死で生きているんだなという、人と人とのつながりの連鎖の実感のようなものを、妙にリアルにまざまざと僕に感じさせてくれるのです。
それは、僕は今年五十八歳になりますが、これまで生きてきて出会った人は、本当にただ一人の例外もなく、みんな病んでいたことに深く関係し通底しているのかもしれません。僕は誓いますが(無論僕は当たり前のこととして)、今までの人生で、病んでいない人に出会ったことは一度としてありません。

最後に、第二部のスタートで当然予想される3組のカップルの設定、すなわち、ミーチャとグルーシャ、イワンとカーチャ、アリョーシャとリーズの内、この後、何とか、それもあくまで何とかです、幸せになれそうなのは、これはあくまで僕の推論になりますが、罪人同士であるミーチャとグルーシャであることを、ドストエーフスキイはすでにはっきりと認識しているのではないかということに、何か深いものが感じられるように思います。
すなわち、人間は、自分は罪人であるということを深く自覚した者同士でなければ、決して幸せにはなれないということに。

僕は、今、ドストエーフスキイは第二部の冒頭をどこで始めるかということを考えています。別に深い意味はありません。文字通りその場所です、起点です。どの場所で第二部の物語をスタートさせるか、これを集中して考えています。
「だが僕は間もなくこの町を去ります。たぶん長いあいだ帰って来ないだろうと思います。」(下巻、p.511)というアリョーシャのエピローグ(このエピローグのイリューシャの埋葬の部分ですが、何て言いますか、物語の音階のようなものとでも言えばよいのでしょうか、意識的に一オクターブ上げて書いているような感じがしてとても気になります。このラストの章だけ、何故トーンが異質であり、メルヘンチックでさえあるのか、2つの理由から考察してみました)の言葉と合わせて、僕には非常に興味があります。
それは誰だって、第一部の冒頭部分を精読すればするほど、第二部が読みたくなります。それはわかり切ったことです。
ただ僕には、もう一つの理由があるように思います。それは作者であるドストエーフスキイが五十九歳の若さで亡くなってしまった、せめてあともう何年か生きていてくれたら、この第二部が読めたのにという思いが、人間ですから誰しも当然湧き上がってくるように思います。さらに言えば、本当にせめて初めの十ページ分くらいでもよいので遺稿があれば、第二部の物語の方向性や全体像が大きくわかったことでしょうね。そのことはどうみても間違いありません!
そこで僕の関心、ドストエーフスキイは、どこの地点から第二部を始めるか?
それによって、その後の物語のベクトルが自ずと決定され、全体の構造が描かれていく訳ですから、始点Aを間違いなく完璧に設定してくるでしょうね。
そこでキーポイントになってくる問題は、十三歳のコオリャ・クラソートキンですね、コオリャの居場所だと思います。コオリャはどうしてもアリョーシャに再会しなくてはなりませんから。
しかしそれにしてもドストエーフスキイという人は、すごい全体構想を組み立ててくる人だな。異常な熱意、そして細心の注意を込めてこの生意気な「年端のゆかぬ」(下巻、p.11)十三歳の少年を書いている。この子が第二部の核になると、まるで公言しているようなものだな。
つまり、ドストエーフスキイは第一部を書きながら、同時に頭がすでに第二部に行ってしまっている感さえある。と言いますか、「本当は僕は第二部が書きたくてしょうがないんだよ、そのための第一部なんだよ、わかるかい?」という気持ちが、本からはっきりと漂ってくるようです。
二十六歳になったコオリャの生活の拠点を、ドストエーフスキイはどこに設定してくるか。ここをドストエーフスキイたる者がぬかる訳がない。僕には見えませんが、彼は、もう完全にこの点を押さえてしまっている。彼が完全に押さえてしまっているということだけは、よく伝わってきます。で、それはどこなのか?
ちなみに、第一部の舞台であるこの小さな町は、全編を通じてただ一度だけ名前が出てきますが、「スコトプリゴエフスク」(下巻、p.126)といいますが、もう長くなりましたので、この辺りでやめます。

僕の話は拙く、大変お粗末でした。

2021年3月18日
和田 健

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