「カラマゾフの兄弟」の再々読のことなど その1

2021年1月24日に読み始めた「カラマゾフの兄弟」(中山省三郎訳、角川文庫)の再々読は、下巻の公判の尋問場面まできて、もう少しで終わりです。
素晴らしい読書体験の時にまれに起こる残りのページ数が減っていってしまうことが残念であるような、全部読んでしまうことが何だかもったいないような、ここからペースダウンして読もうかなという、今あの感覚に包まれています。
もうこれだけ世界中で広く読まれてきて、数えきれないほどの研究者がいて、日本にも多くの専門家がいて、僕などの初学者が言うようなことでは、全くありませんが、広く知られていますように、作者ドストエーフスキイ自身が、この物語の主人公はアレクセイであること、そしてこの小説には第二部があることを、冒頭部分ではっきりと明示していますので、第二部が構想されていたことは、まぎれもない疑いようのない事実であり、それについてアレクセイがテロリストとしてうんぬん、という今の研究の成果や流れのようなことには少し目を通してみました。
ですが、僕は一応画家ですので、その第二部は決して面白くない訳ではありませんが、あまり興味をひかず、僕はまるで正三角形の頂点ABCならぬDIAのようなこの三兄弟がそれぞれ芸術家に、具体的には画家になったら、さぞかし面白いだろうなと思い、以下勝手に第二部を夢想してしまいました。(タイトルや人名等の表記はすべて角川文庫版によります)

まず、長男ドミトリイ(ミーチャ)。
彼はおそらく間違いなく大芸術家になるでしょうね。間違いない。近代の絵画史で言ったら、フィンセント・ファン・ゴッホ級の大芸術家になると思う。確信できるものがある。この小説の第一部(すなわち角川文庫版でいう上中下巻)の主人公は、やっぱりミーチャだな。これは傑出しているというか、圧倒的というか、2004年に初めて読んだ新潮文庫版や2009年に再読した時の光文社古典新訳文庫版でもそう思いましたが、世界文学史上において、これ以上に書けている人物像、人間描写というものが、具体的に他にあるのでしょうか?少し考えただけでもダンテの「神曲」の中の登場人物をもってこないと十分に対抗できないように思います。
まるで今すぐにでも本人が紙面から躍り上がって飛び出してくる感じがします。
再読の時に、この三兄弟を抽象画で表せるだろうかというのをずっと考えていて、描き表す色で言えば、すなわちパレットに用意する色は当然赤。

ところで、ここで話はそれますが、ふと思って、果たしてゴッホは、「カラマゾフの兄弟」を読んだのだろうか?
これは非常に興味深い問題だ思う。ゴッホは書物が手に入るとまるで貪るように読んでいるので、活字への異様な飢えを感じますので、もしかしたら読んでいるかもしれない。「カラマゾフの兄弟」の刊行が1880年だから、1890年に亡くなったゴッホが(問題はフランス語に翻訳された初版本がいつ出版されたかですが、調べてみましたら1888年に出ているようです)、時系列的には読んでいる可能性が、あくまで可能性としてはあるかもしれない。
そこですぐに以前よく読んでいた「ゴッホの日記」(岩波文庫上中下巻)にあたってみる。
ない!
トルストイ、ボードレール、モーパッサン、聖書、ゾラ、ゴングール、フローベール、バルザック、ユゴー、ダンテ、ボッカッチョ、ディケンズ・・・、様々な名前が出てくるけれども、確認できる範囲ではない。
それなら話は、なおさら興味深くなってくるのだけれども、ゴッホがもし「カラマゾフの兄弟」を読んだとしたら、ミーチャに何を感じたか?自分と同じものを感じたか?炭鉱で牧師をしていた若い日々をふと思い出しはしなかったか?
「ゴッホの日記」が出たついでに、僕の長年の懸案であることをもう一つ。
ゴッホと弟テオは、この膨大な手紙のやり取りを、何故、パリ時代からフランス語で書いたのか?ということ。
普通、兄弟の手紙のやり取りは生まれ育った親密な母国語で書くでしょう、ましてや絶大な信頼を寄せる兄弟間で、つまりはオランダ語で。
これも僕にとっては非常に興味がある。

次に、次男イワン。
ドミトリイが大芸術家なら、この第一部の病気さえ治ったら、彼は完璧な芸術家になるでしょうね。
具象画、抽象画、人物画、風景画、どんな絵を描くかはわかりませんが、具象画なら、まず完璧に遠近法をマスターしてきた上でかくだろうな。
抽象画ならそれこそ同じロシアの後輩のワシリー・カンディンスキーのようになるだろうな。
完璧。隙がない。
色で言えば、再読の時は青と思いましたが、何故か再々読で変化して黄色。

さて、ここまでは僕にもわかるくらいだから、誰にでもわかることであって、問題はこの後、三男アレクセイ(アリョーシャ)。
これは難しい!アリョーシャは色で言えば黄緑。これは変わらない。
縦横斜め、誰がどこからどう見てもこの三兄弟の中で、一番温和で性格のバランスがとれていて、まるで天使のような優しさや誠実さに溢れていて・・・。
最初はモネの数々の作品のような詩情あふれる限りない優しさに満ちた絵を描くかなと思っていたのだけれど、違う!
モネにはもっとミーチャ並みの凄まじい、ぶっ飛ばすような頑丈なハート、まるで肉に食らいつくような闘志、執念、粘りがある!
そこで僕の直感による予想。
直感というのは大事ですよね、言わば今までのその人の人生のすべてがその一点に凝縮して集中される訳ですから。
僕はアリョーシャは絵が描けないのではないかと思う。
おそらく手帳に描くようなスケッチとかそういう類いのものは、さらさらと抜群にうまいのではないか、思わずまわりにいた誰もが覗きこんでしまうような。
ただうまく言えませんが、絵は描けないのではないか。
何故そのようなことを思うのだろう。
つまり先に直感による仮説を大胆に提示して、後からそれについて考えて少しでも肉づけしていく手法。
と言いますのは、わかること、手の内にあることばかりやっていても仕方がありませんから。
仕方がないというのは別に投げやりな意味ではなくて、脳が伸びない変化しないという感じの意味です。
もちろん間違えるかもしれない。
でも僕が僕に直感を提示して間違えて、僕が恥をかく訳だから、僕は別に誰にも迷惑はかけない。
何故、アリョーシャは絵が描けないと思うのだろう?
わからない。
・・・・
おそらくアリョーシャには罪がないからだな。罪がなければ絵は描けない。この命題は成立するか?
直感の直感になってしまうけれども、ここは何かすごく大事だな。

最後に立命館の井田先生という方の分析が非常に勉強になりましたので、ここに添付してご紹介させていただきます。

1月にMITのOCWに熱中していた時に、世の中にこんなに素晴らしい講座が、無料で誰にでも公開されていて、コメントを読めばわかるように、世界中の若者がそれを使って猛勉強していて、現代において果たして大学に行く意義は何なのか、と自問していましたが、昔も今も◯◯大学の◯◯学部の◯◯教授に是非教わりたいという時に進学する意味はあると思うのですが、僕の考えは間違っていますでしょうか?

さて一昨日、2021年3月7日からフィラデルフィアでシャイム・スーティン/ウィレム・デ・クーニング展が開催されました。
行きたい!観たい!
この展覧会を初めて知った時、キュレーターの企画の段階で、もう勝負あったな!一本取られたな!という感じがしました。
そうきたか、その組み合わせできたかという感じ。
これからは美的センスって何ですか?って人にきかれたら、これですと答えよう。
そして僕も、ミーチャ/フィンセント展企画で対抗しよう。
天才スーティンのことを、そしてスーティンがどれだけの天才であるかを、もっともっと多くの人に広く知っていただけたらと思います。
日本でも決して知名度が低い訳ではありませんが、この程度の認知度におさまっているのは、ごく単純な理由からで、それは彼の作品にまとめて大量に接する機会が少ないからです。
例えば、ジャン=ミシェル・バスキアの系譜をたどれば、(ここはよく勘違いされていますが)天才というのは決して一人で突如としては出てきませんので、まずジャン・デュビュッフェの影響をあげるのは簡単であって、その先に僕は、スーティンがいると思う。
もう絵と言うよりは、脳が歪んでいます。
僕はフランス時代にまずポンピドゥー・センターで衝撃を受けた後、2007年10月から2008年1月にかけてのパリ8区の Pinacothéque de Paris の展覧会、その展覧会名もそのまま SOUTINE で洗礼を受けました。
その時、ちょうど100作品まとめて展示されていました。
片やデ・クーニングは、もちろん大芸術家には相違ありませんが、僕はどちらかというと天才と言うよりは、偉大なる努力家、年代順にレンブラント、ゴッホ、デ・クーニングときて、やはり何か共通するものを感じませんか?
オランダに連綿と続く、並外れた桁外れのハード・ワーカーの系譜・・・。
パリやロンドンでは、あまりデ・クーニングがまとめて観れなくて(実際に所蔵点数が少ないように思います)、僕は初めてニューヨークに行った2016年4月に、The Met で開館時間の30分前から並んで、よーし、今日はデ・クーニングを浴びるほど観るぞ、と思って全て回って、そうしたら1枚しかなくて、係員にデ・クーニングのフロアはどこですか?僕は、デ・クーニングのフロアはなくとも、少なくともせめて専用の展示室はあると思っていたから。そうしたら調べてくれて1点ですって言われて、その1点は観ました、あとはどこにあるのですか?ないって言われて、The Met に、このアメリカ最大の美術館に、デ・クーニングが1点しかないって言って、そうしたらそれはすごく理解できるって言ってくれて、でもその時、1点でも観れたら幸せなんだなということを、上記のスーティンの話と矛盾するようですが、何だかしみじみと感じました。
せめてオンラインで少しだけでも触れてください。

https://www.barnesfoundation.org/whats-on/exhibition/soutine-de-kooning

最後に僕のサイト史上、第二問目のクイズ。
下の写真の自転車に乗っている偉大な芸術家は誰でしょう?
ということで、もうほとんどクイズになりませんね。
答えは写真をクリックしていただくとわかりますが。
しかし、それにしても素晴らしい写真だな。
僕はアトリエに貼っています。

Photograph ©2020 The Estate of Dan Budnik. All Rights Reserved.

2021年3月9日
和田 健

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