今年の終わりに

皆様、こんにちは。
今年も今日で終わりですね。
皆様にとって今年一年はどのような年でありましたか。

今日はこの一年の活動の締めくくりとして、
今年僕の心の血となり肉となった4冊の本を読了順にご紹介します。

このサイトを普段観て下さっている方は、すでにお気づきのように、
文学作品を通して得られる他では得ることのできない滋養分は、
太古の構成要素である自然から受け取る純粋直観の力とともに、
僕の創作活動の大切な源流です。

1. 「ヨセフとその兄弟」
(トーマス・マン、望月市恵、小塩節氏訳、筑摩書房全3巻)
この本については、このサイトのEssay欄にすでに書きましたので、
細かいことは省略します。圧倒的でした。(2016年1月22日読了)

2. PRUFROCK and Other Observations, T. S. Eliot, 1917
テキストには、Harcourt Brace & Company版の
T.S.ELIOT COLLECTED POEMS 1909-1962を使いました。
辞書を引きながら、この詩集に収められている12の詩を一つ一つ
たどたどしく訳してみて(もちろん拙い訳です)、
僕は三つの大切なことを学びました。

一つ目は何と言っても原文に直接触れる楽しさを学んだことです。
詩は可能な限り、直に原文にあたらなければいけませんね。
その極めて肝心なことを教えられました。

二つ目は“モダン”ということです。
僕は初めて“モダン”とは何かということを、
理屈ではなくて、体全体でつかめた気がしました。
どの詩も読みながら体がぞくぞくする程の高揚感があり、
ただひたすらどこまでも美しいのですが、
ここに収められている12の詩の世界をゆっくりと順に旅をしますと、
100年前の1917年は来る2017年よりも明らかにモダンだなと実感します。

三つ目はこの訳出という作業を通して、
詩人の言葉は、小説家の言葉よりも知力の凝縮度が高い、
ということに、今頃になってようやく気づいたことです。
遅きに失した感もありますが、後悔しているのであれば、
ここから詩の世界に親しみ没入していこうと思います。
(2016年7月24日終了)

なお、最後の詩のLa Figlia Che Piangeのanalysisに
Sam Alexanderという方がYale Universityのサイトに出している論文を
使いましたが秀逸でした。
学部生のテキストのようですが、これ一つ読めばどのように詩を
読み解いていけばよいのか基礎が全て身につくと思いました。

3. 続いてWilliam BlakeのSONGS Of INNOCENCE and Of EXPERIENCEに
入りました。
テキストには、Anchor Books, a division of Random House, Inc.版の
The Complete Poetry & Prose of William Blakeと、
Thames & Hudson版の
William Blake THE COMPLETE ILLUMINATED BOOKSの二冊を使いました。
前者のテキストを訳しながら、一つの詩を訳し終わるごとに、
自分の中の絵画的なイメージを高めた後、
後者のテキストにあるBlake自身の絵と照らし合わせるという
まるで小学生が問題集の問題を解いては、
巻末の答を見ながら答え合わせをするような作業を
46詩について繰り返しましたが、これが途中から異様に楽しくなり、
また自分の仕事に向けても大いに役立ったように思います。
やはり詩については、でき得る限り原文にあたらないといけない、
その思いを強くしました。
(2016年12月15日終了)

なお明日元日から、THE MARRIAGE of HEAVEN and HELLに入ります。
楽しみ!

4. 「神曲」(ダンテ、平川祐*¹弘氏訳、河出書房新社)
そもそもの始まりはイタリア滞在中、
フィレンツェのSanta Maria del Fioreの大聖堂内部に
Domenico di Michelinoの1465年の作品、Dante ed i tre regniが
飾られてあるのを観て、しばらくその場から動けなくなりました。
そして、これは帰国したらすぐにダンテの「神曲」にとりかかるぞ、
何が何でも読むぞという、啓示のような力を受け取りました。
ヘッセの言う「雄大な中世の精神の精髄として極致として文学の中に、
ダンテの「神曲」が生き続けている。イタリアと学者層のほかでは、
もはや少数の人にしか真剣に読まれていないが、
絶えず深い感化を放射しており、人類のもつ数冊の、
千年にわたる偉大な書物の一つである」*²この本に対して、
まだ何か言うことはできませんが、僕は地獄篇→煉獄篇→天国篇と
物語の進行につれ面白みが増してきました。
すなわち僕は天国篇が一番面白かったということです。
最後の全体の第百歌、天国篇の第三十三歌を何と表現したらよいのでしょう。
いよいよキリストそのものを歌ってくるだろうという
僕の稚拙な期待は実に見事にはずれ、思わずう〜んと唸ってしまいました。
関連本として、正宗白鳥の「ダンテについて」
(正宗白鳥集、現代日本文學大系16、筑摩書房)と、
エリオットの「ダンテ」(エリオット全集4、詩人論、中央公論社)
を読みましたが、エリオットはこの本の中で第百歌について、
「この「天国篇」の終りは、私の考えでは、詩が曾て達し得た、
又これからも達し得る最高の境地」であり、
「これ程我々の日常の現実から遠ざかったことを、
このように具体的に表現することに成功しているものはない。
・・・(中略)・・・人間の理解を超えたことを、
こうして視覚的な影像で刻々捉えて行くことが出来る巨匠の手腕に接して、
我々はただ畏怖の念に打たれるばかりである。」*³と述べています。
おそらくは一生繰り返して、そしてこれからは自分の好きな箇所や歌を
拾い出しながら読み続けていくことになる気がします。
(2016年12月27日読了)

*¹ 正しくは示す偏に右の旧字体です。
*²「世界文学をどう読むか」(ヘルマン・ヘッセ、高橋健二氏訳より抜粋)
*³  P354, p376, 377より

それでは、来る2017年が皆様にとってよいお年となりますよう!
来年もどうぞよろしくお願い致します。
(2016年12月31日記)

後日記:
これを書いた後で電車に乗っていて、
手元の訳した資料からふと目をあげた時に、
突然気づいたのですが(思わずわかった!と声を出しそうになった)、
T.S.EliotのRhapsody on a Windy Nightの中の難解な箇所である
“Regard the moon,
La lune ne garde aucune rancune,
・・・(中略)・・・
The moon has lost her memory.
は、ダンテの「神曲」煉獄篇、天国篇との関連から
読み解けるのではないでしょうか。
Eliotがこの詩集を出版したのが1917年で、
上記「ダンテ」を書いたのは1929年ですが、
「神曲」をはじめとするダンテの著作については、
膨大な勉強・研究が継続されており、
これは要するに太陽の妹*¹である月が何の恨みも抱いていない、
月は記憶を失った、
いうのは月が煉獄において魂を浄化する過程でレテ川を渡り、
過去の罪業の記憶を消し、現在は天国にいる、
天国篇の物語の中に位置しているということなのではないでしょうか。
そうであれば、Rhapsody on a Windy Nightを以前シリーズで
描いていたものが、この箇所でピタッと止まったままでいましたが
月の姿を描けると思います。
それからこの詩の中で突然現れる唯一のフランス語行の挿入は、
以下の3行をはじめとして女性形のsheやherでもっていきたいため
という理解でよいのでしょうか。
月は女性であるということを強調したいがための、太陽の妹であるから。
しかしこれ程の知の塊が、そんな単純なことだけのためにするでしょうか。
3つの韻は美しいですが、これがフランス語行挿入の理由とも思えません。
教えを請う人もいません。疑問が残ります。

*¹ 上記「神曲」煉獄篇第二十三歌、p211より
数日前、これの」
といって私は太陽を指さした、「これの
妹が円く見えた時のことだ。
(2017年1月2日記)

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