イタリア その2

今回のイタリア滞在では、展覧会のOpeningの前後に、
ボローニャ、フィレンツェ、ペルージャ、ヴェネツィア、ベルガモと回り、
数々の貴重な美術品、建築物、風景を観ることができました。

そこには7年間生活したフランスに比べて、
ヨーロッパの国としてもカトリックの国としてもより古いものが、
頑強に継続されながらも、素朴に簡素に息づいていました。
そしてそれらは旅先で出会った親切なイタリアの人々とともに、
僕に大きな感化をもたらしました。

今回のイタリア行の直接の機会を与えてくれたPaolaさん、
気持ちよく送り出してくれた妻に深く感謝しています。

以下の文章は、ベルガモについて僕が書いたものです。
ご興味がある方は、読んでみて下さい。
「」内の色字で示した文章の引用は、すべてヘルマン・ヘッセ、エッセイ全集
第5巻(島途健一氏訳、臨川書店)「ベルガモ」p187〜p192によります。

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ヘルマン・ヘッセがいなければ、そしてヘッセを読み続けてこなければ、
僕がここベルガモの地に導かれることはおそらくなかったであろう。

ケーブルカーが丘の上のCittà Altaの駅に止まり、ヘッセのエッセイ全集を胸に
僕のイタリア滞在の最終目的がいよいよ始まるのだと思った。

ヘッセが普段どのようなものに対して本物の芸術を感じているのか、
どのようなものを本当の芸術家の仕事としてみなしているのか、
彼が1913年に書いたエッセイ「ベルガモ」「サン・ヴィジーリオ」を
読み返しながらその足跡を辿り追体験することで、
その感性を五感を通して体全体でどうしても受けとめてみたかった。

彼の考える真の芸術、真の芸術家とは何なのか、
今後の自分のために、大いなる宿題として。

まずはベッキア広場、
記述通り全く変わらず、ただガリバルディの大きな記念碑は見つからない。

「実に見事な宮殿の前に立った。
一階はアーチ屋根の大きな開放空間になっており、
角ばった太い柱が外側に、それよりも軽やかな美しい柱が内側に立っている。」
「巨大な急階段が柱の上に波型瓦の屋根を乗せて図書館へ続いていた。
階段をやりすごして、期待に胸を躍らせながら開放空間を通り抜け、
バロック期の力動感あふれる詩人タッソーの立像の横を通り過ぎた。」

Essay

Torquato Tasso(1544-1595)

僕も同じようにタッソー像の横を通り過ぎる。
この辺りでこの最終目的は、はぼ余すところなく実現されるぞという
予感のようなものが体を突き抜ける。
103年後に何も変わることなく佇むイタリアの街への感謝とともに。
東京ではもちろん思いもよらないこと。
僕の住む東京の界隈では、下手をすると半年後の風景さえ
大きく変わっていることもある。
決して冗談などではなく。

「教会の玄関の前には小さく突き出した高い建物。
その六段のささやかな石の階段。
ライオンの支える二本の柱に乗ったロマネスク様式の大きなアーチ。
その上には高く大胆なゴシック様式の上部構造。
これは小さくて優美な一種のホールで、三つの小部屋に分かれ、
それぞれにおおよそロンバルディアに由来する古くて素朴な彫刻が置かれ、
真中の彫刻は馬に乗っている。
それらの上にさらにもうひとつ、尖った屋根の狭い階層。
小さな部屋になっていて、前方にふたつの明るく上品な柱が立ち、
中には三体の聖像が入っている。
これらの全体が、
世慣れていない優美さと自然のままに育まれた無邪気さをたたえて、
かの無名性の魅力を放っていた。」

Essay

「刺青のような外装にひるむことなく、礼拝堂に入ってみた。
ヴェネツィアの将軍コッレオーニが娘とともに葬られ、
今日なお、敬虔なる将軍の・・・(中略)・・・その隣の壁には、
上品に小さく、ほっそりと優美な姿で、将軍の若い娘が石に刻まれ、
石の枕に横たわっている。
そして名も知れぬ芸術家によって永遠の命を与えられ、
心を打つ美しい姿を見せながら、何も知らず、
父親と同じ永続性と名声に向かって眠り続けている。」

雷に打たれたようにハッとした、
将軍の娘が石の枕をして横たわっている像。
これなのか、真の芸術とはこれなのか、
名もない芸術家によって永遠の命を吹き込まれた像。
礼拝堂内写真禁止のため撮れず。
Giovanni Antonio Amedeo(1447-1522)の手掛けたもの。
ロンバルディア州Paviaの生まれ。彫刻家、建築家、エンジニア。

「いよいよ好奇心にせき立てられて、
柱を支えている玄関の赤褐色のライオンを尻目に大きな教会へ向かい、
中へ入った。」

Essay

Giovanni da Campione(約1320-約1375)の1351年の作。
赤いライオン像二体。
ロンバルディア州Campioneの彫刻家、父彫刻家、息子二人も彫刻家。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会の中にも三体の彫像が置かれていた。
その形態のおおらかさ、伸びやかさに惹きつけられる。
教会の南側翼廊の二体の白いライオン像も1360年の彼の作品。

教会内陣の
「二、三十ばかりある座席の背面がどれもみな寄木作りの木工品で、
彫像が延々と続いている。」

これがどうしても見つからない、肝心なところなのに。

「さらに先へ行くと、静まりかえった小さな場所に出た。
すばらしいことにテルツィ広場という名前だった。
・・・(中略)・・・その中に等身大よりも大きな美しい婦人像が、
やわらかく優雅な様子で立っていた。おそらくケレースだろう。
そして壁全体の上には締めくくりとして装飾の列柱が並び、
両側には二体の天使像が立って、収穫を盛り込んだ角と穀物の束を手にしていた。
私は魅せられて足をとめた。これこそ最上のイタリアの一部であり、・・・」

Essay

あった、最上のイタリアの一部。
Giovanni Antonio Sanz(1702-約1771)の作。
当地ロンバルディア州Bergamoの彫刻家。

「振り返ると、婦人像の対面に大邸宅の門が開いていて、
きれいに湾曲したアーチの下に広がる中庭には植物や吊りランタンが見え、
その向こう側にエレガントな欄干と二体の大きな彫像が
青空の中にくっきり縁どられて夢のように立っていた。
そしてこの壁に囲まれた狭い広場の只中で、
私はポー平原をつつむ空間の無限の距離と広がりを予感した。」

振り返ってまさかな、それではテレビドラマの世界になってしまう。
でも開いていた、103年後も同じように大邸宅の門が、信じられないことに。

Essay

ああ、イターリア!

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