来年のニューヨークの展覧会のお知らせと3つの構想について
来年のニューヨークの展覧会の日程が決まりましたので、
お知らせ致します。
場所や日時等の詳細につきましては、
右側の「展覧会予定 The upcoming exhibitions」を
クリックしてご覧下さい。
今年は初めてのNYCでしたので、いろいろと勝手がわかりませんでしたが、
来年へ向けて頑張っていこうと思います。
4月にNYCから戻って以来、以下の3つの構想の下に日々の仕事を進めてきました。
1. 私が従来より考え展開してきた「無意識絵画」を推し進めていったところ
今現在最終的にたどり着いた形であるように考えている、
「落書き・しみ・汚れペインティング」と総称するものについて。
英語表記は一応、Scribbling & Stains Paintings にしようかと考えています。
これを現在F100号に油彩で展開しています。
1枚目がほぼできて、現在2枚目を制作中です。
あわせて画用液についても、もう一度学習し直しています。
2. Yukichi Paintings のシリーズを油彩で続けてきました。
昨日、小さなToileの3枚目が完成し、これで一先ず終わろうと思います。
3. 最近、詩の原文にあたり辞書を引きながら、たどたどしい訳文を作るのが
密かな楽しみとなりました。
エリオットのRhapsody on a Windy Night のシリーズにみられるように、
そこから沸き起こってくるイメージを絵画にしています。
これはもう完全に自分の楽しみとして、トレーニングの一環として制作しています。
もちろん我々日本人には、「俳句」という強力な対抗手段がありますが、
俳句ですと、個人的に少しきつ過ぎるというか、キンキン響きすぎるというか、
情操や情感を膨らませるイメージ訓練には、詩の方が適しているように思います。
このイメージ訓練は、フランス時代に自分で思いついて始めました。
当時ランボーの詩を絵画にした作品は、
La Galerie de Ken Wada 1 の中で、今でも幸いなことに多くの人に観ていただいています。
Rhapsody on a Windy Night の中の
Midnaight shakes the memory
As a madman shakes a dead geranium.
にはしびれますね。
上の行については、探せば表現できる人がもしかしたらいるかもしれませんが、
続く下の行には、何かとてつもないもの、才能があるとか、
センスがあるとかではない、何かもっと堂々たる普遍的なもの、
想像を絶する知力の凝縮のようなものを感じました。
この下の行の中に少しでも比喩の才能や言葉選びのセンスを感じたら、
この詩に対してここまで引きずりこまれることはなかったと思います。
後半に出てくるdry geraniums との関連から、個人的にdead は「死んだ」と訳しました。
ここはやはり死んだゼラニウムを狂人が揺すらないとだめですね。
もちろん一般的には「枯れた」だと思いますが、枯れたぐらいの迫力ではね。
さて有名な詩ですので、ご存知の方も多いかと思いますが、後半の月のシーンで、
The moon has lost her memory.
というまたしても凄まじいまでの知力の凝縮が出てきます。
ここでパタッと筆が止まってしまい、現在に至っています。
何とか絵にできるでしょうか。
私には無理でしょうか。
楽しみつつ挑戦していこうと思います。
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