ヨセフとその兄弟

皆様、こんにちは。 いかがお過ごしでしょうか。 僕の方は、年明け早々から家族の病気が再発し、厳しい新年の スタートとなりました。 苦しい中、僕の心をいつも温め力づけてくれたのは、昨年9月24日に 読み始めたトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟」*¹で、旧約聖書と 照らし合わせながら少しづつ読み進め、ようやく今日になって全巻を 読み終わりました。 2度穴に落ちたヨセフが、異国エジプトの地で国王パロに頭を高められ、 10人の兄たちを初めて迎える場面がありますが、 そこでヨセフが執事長マイ・サクメに語る言葉、 「・・・というのも、友よ、朗らかさと抜目のないいたずらとは、 神の我らへの賜物のなかで最も貴重なものであって、 複雑怪奇でいかがわしい人生に対する最も心のこもった回答なのだ。 神がそれらをわたしたちの精神に与えてくださったのは、 わたしたちがこのきびしい人生というこれをさえ微笑させるためなのだ。 兄たちはわたしの服を引裂き、わたしを古井戸のなかに投げこんだが、 こんどは兄たちがわたしの前に立たなくてはならない。 人生とはそういうものだ。 そして行為は結果から評価すべきであるのか、 悪い行為も、立派な結果が生まれるのには必要であったのだから 善とされるべきであるのか、こういう疑問も人生である。 こういう疑問は人生がわたしたちに向けて問いかけてくる疑問である。 そういう疑問には、真面目だけでは答えられないだろう。 人間の精神は明るく朗らかであることによってのみこういう疑問の上に 立てるのであって、おそらく人間精神は、答えられない疑問に対しては 心からのユーモアを持つことで、答えを与えてくれない巨大な存在である 神さえも、微笑させることになるであろう」*² この言葉が僕の心と体をどれだけ励ましてくれたことでしょうか。 明るく朗らかな抜目のないいたずら心をもって、 人生に対して微笑していくことができれば・・・、 その方向性を示してくれたこと、 この不可解・不条理な人生に対して。 次は、兄たちが末弟のベニヤミンを連れて2度目にやってきた時のヨセフの言葉、 「ちび助も一緒なのだ!神のこの物語はしばらくのあいだ足踏みをしていた、 わたしたちは待っていなくてはならなかった。 でも物語になるような出来事らしい出来事もないように見えていても、 事件はたえず起こりつづけており、日輪の影は静かに動いている。 人は時の流れに心安らかに身をゆだねつつ、 時の流れをほとんど気にしないようにしていなくてはいけない (中略)時の流れがきっと自然に変化をもたらし、すべてを運んできてくれる」*³ 僕が今、どのような状態にあっても人生は進んでいます。 旧約聖書というのは、汲めども尽きることのない無意識の宝庫ですね。 神のプラン(御計画)という名の。 *¹「ヨセフとその兄弟」(筑摩書房、望月市恵、小塩節氏訳、全3巻) *²第3巻、みんながやってくる、p.311,312より原文のまま。 *³第3巻、銀の高杯、p.361より原文のまま。 2016年1月22日 和田 健