てんでばらばら

後ろの筋雲、手前の樹木A、さらにその手前の樹木B。
反転による組み合わせ。
自然の現物は、collage そのもの。
(ちなみに筋雲には、縦の筋雲、横の筋雲、斜めの
筋雲が用意されている。)

後ろの筋雲は、手前の樹木Aに合わせようとしてこない、
現に今朝は快晴、雲一つない、筋雲に対する樹木A、
樹木Aに対する樹木B、以下すべて同様。

これを体でつかめば、森全体もまた同じであることが、
理屈ではなく、はっきりとわかる。

ところで、「切り(取り)」の問題をどう考えるのか?
そこでまず試しにカメラで切ってみる。
何がわかるか。
「切り」の問題をどう扱ったらよいのか?
裏から切るか?
表から意図的にきれいに切るか?
表から目隠しして切るか?
いっそのこと切らないか?
切る「頻度」をどうするか?

切る時は、大胆に切る、躊躇しない。
大胆に躊躇せずに切るためには、現実にしがみつかないこと。
縦・横で切らない、斜めに枠をとる。
回転で切る。
そしてcollage でよい所を隠す。
これらはすべてつまらないコツのようなもの。

Drawing 1 for Untitled No.21
(制作風景1、紙に墨、水彩)
Drawing 2 for Untitled No.21
(制作風景2、紙に墨、水彩)
Drawing 3 for Untitled No.21
(制作風景3、紙に墨、水彩)
Drawing 4 for Untitled No.21
(制作風景4、紙に墨、水彩)
Drawing 5 for Untitled No.21
(制作風景5、紙に墨、水彩)

次に、「組み合わせ」の問題が来る。
そこで切ったもの(断片)を、無作為に床の上に並べる。
これが難しい、少しでも気を緩めると、
すぐにまとまりをもたせて、きれいに並べたくなる。
これを四方を回りながら、回転で観ると新しい気づきがある。
その際、右回り、左回りで観る。
要は、右利きの絵と、左利きの絵があるということ。

Cut papers for Untitled No.21

さらに、「きれいなものにやがて目が慣れる」という問題が出て来る。

*樹木A は樹木B に・・・・樹木Z に「一緒に調子を合わせて
枝葉を伸ばし、全体としての調和を目指そうよ。」などと、
決して話しかけたりしない。
つまり、自然(森)の原理は、てんでばらばら。
・いかに人と違っているかを誇る→フランス人。
・どのようにして列をはみ出さないか→日本人。
・風変りであることを認める文化→イギリス人。
・ヘルマン・ヘッセが、その圧倒的なまでに美しい叙事詩
「庭でのひととき」の中で触れている巨大なサボテンと
小びとのクローバーの例は、そこにあまりの「体格差」が
あったからだと思う。
おかしみのある程の体格差が。
てんでばらばら。

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