絵画日々のメモより

「樹木の魂は、どこにあるのか。」のシリーズの制作過程に関するメモ。
1~18の順番には個人的な大切な意味が有り、並び替えや編集等はしたくない。
(原文のまま)

1 最初、handが固かった。
新聞紙で、手を動かす、ぐるぐる、練習・体操してから、描くこと!
全ては準備!
ぐるぐるぐるぐる肩回し、腕回し。(2014年8月21日)

2 冥想。(2015年1月)
(音楽名人、クネヒトに冥想を教える。のメモ辺りから取り入れた)

3 コの字、逆コの字の囲い込み。(図有り)(2015年1月14日)

4 強弱強弱の枝分かれ、同じところから、違うところから。(2015年1月14日)

5 斑点打ち。(2015年1月14日)

6 四角の囲い込みと、何かの脱力。(2015年1月13日)

7 「カ」の字と、漢字の要素の取り込み。(2015年1月13日)

8 あともう少しのところまで来ている。(2015年1月14日)

9 樹木には、あらゆる形、あらゆる図形、すべての幾何が含まれる。
樹木は、すべての幾何を受容する。(図有り)(2014年12月7日)

10 イブ・サン=ローラン方式。
一つ一つ心を止めて、丁寧に味わいながら。(2015年1月14日)

11 大きなコの字、大きな逆コの字。(図有り)(2015年1月27日)

12 線を引くときは、思いっ切り、躊躇しない。(2015年1月27日)

13 大きな三角、その中に小さな三角。(図有り)(2015年1月29日)

14 どっかりと胡座をかいて座り込むような絵画・作品制作に対する情熱と愛情。
画板を作ったりする愛情。(2015年1月30日)

15 線の強弱強弱、かすれ。縦軸、横軸。
縦三角の中塗り。小さい丸。菜箸の細い方で。(図有り)(2015年2月17日)

16 最後は、「児童画」のようになってきた、
ある種の「記号絵」のようになってきた。(2015年2月19日)

17 パンパン、パンパン、描いていったらよい。
墨はあとから上からいくらでも消せるから。(2015年2月19日)

18 その囲っていった線や図形の中のどこかに、「樹木の魂」はある。
図形による囲い込みで、樹木の魂をとらえる。
ただし、その囲い込みには、空間・隙間があるということ。
(図有り)(2014年12月7日)

その他のメモの中から

19 井上有一展(虎ノ門)を観て。
「ブッコウ国師げ」、大変感銘した。右回転、左回転。かすれ。
大きさにとらわれない。
初めに大きさを切って、描くのを廃止する。
筆、画材、墨、和紙、唐紙、全ての活用
→ 新しい表現様式を見出す。(2015年4月30日)

20 希望がないということ。
イブ・サン=ローランには、現実に対する開き直りが基本的にある。
開き直りがあれば、一つ一つ心を止めて、丁寧にじっくりと味わいながら、
物事を進めることができる。
これまでずっと真逆の思考をしてきた。
つまりそれは修行によって到達できる、悟り得る、一種の心境や地点のように考えていた。
ここに人生の「パラドックス」があった。
人生に、現実に、しがみついているから、それができなかった。
人生にしがみつくな。
開き直りの最大の土台は、「人生に対する希望がない」ということなんだな。
もちろん誰もそんなことは教えてくれない。
「お前、人生の秘訣は、できる限り早く希望をなくすことなんだよ」なんて。
希望のない状態を希望するということ。
小林秀雄さんが講演「正宗白鳥の精神」(新潮CD)の中で言われていた
あることが、ようやく理解できた。(2015年5月12日)

21 上から消すこと、上から消すこと、上から塗りつぶして消すこと。
消し跡は美しい。描いた跡は美しくない。
それに関連して、描くからダメなのではないか、描くから。
ではどうするかというと、描かない。描かないで遊ぶ。
そのイメージは、子供が砂場でスコップ片手に無心に遊んでいる感じ。
(2015年5月)

22 今年上半期の読書の流れ。
「ガラス玉演戯」と小品「我意」(ヘッセ、新潮世界文学)ともに圧倒的。
→数学関係の本数冊、
「ある数学者の生涯と弁明」(ハーディ、丸善出版)は、すばらしかった。
「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン、新潮社)も面白かった。
→「夜と霧」(フランクル、みすず書房)新版の池田香代子氏訳で読んだ。
→「確実性の問題」(ウィトゲンシュタイン全集9、大修館書店)
今まで、何度も跳ね返されてきたウィトゲンシュタインの厚い壁の中に
初めて少し入れた気がした。
最初に「論理哲学論考」や「哲学探究」から入るからダメなんだよ。
総合理解をする上で、「ウィトゲンシュタイン家の人々」という
サイエンス・ライターが書いた本の中のある一文と家族についての記述が、
思わぬ形で役に立った。
138 には痺れた。
「地球が最近百年間存在していたかどうかという研究は存在しない。」
「断片」195の「判じ絵」は、まさしく僕が日常的に行っていること。
→「断腸亭日乗」(荷風全集第21巻、岩波書店)
小津安二郎さんが「全日記」の中で頻りと読んでいたことを、
何故か思い出し読み始めた。面白い。
→「シッダールタ」(ヘルマン・ヘッセ全集12巻、臨川書店)
岡田朝雄氏訳で読む。
「おまえは下って行くのだ!」
私の人生は実際奇妙なものだった、と彼は思った、
それは奇妙な回り道をした。p.76
高慢な気持ちでいっぱいだったのである。p.79
彼が自ら定められた人生を生き、自らを生きることで汚し、
自ら罪を背負い、自ら苦汁を飲み、自ら自分の進路を見いだそうと
することから、どんな父が、どんな師が、彼をくい止めることが
できたろう?p.96
何びとも教えによって絵を描くことはできない。
(2015年6月)

23 サイ・トゥオンブリー展(北品川)を観て。(2015年6月9日)
・細かいことにかなりとらわれないというか、荒々しい。
・丁寧、こわごわはまるでない。
・このど迫力は凄まじいな、これは自由だな。
すごく精神の自由さ、闊達さを感じる。
・紙は全部出してきている。
・何物にもとらわれない精神の自由さ、大胆さ、図太さ、特に力強さ!
・何故に恐れというものがないのか。
全人格がこれほどまでにストレートに反映した絵画。
・灰と黒でもっていく発想はなかった!
・collage→二つ折り、ホッチキスで止めるだけ。

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