「樹木の魂は、どこにあるのか。」 連載開始にあたって、この秋のことなど。

フランス時代に描いた「樹木への手紙」の第二章版とも言うべき
「樹木の魂は、どこにあるのか。」をスタートします。
自分でよく考えた末に決めたタイトルです。
末尾の?はあえて取り、読点としました。
「樹木への手紙」No.1からNo.84については、僕の前のサイトである
La Galerie de Ken WADAのCatégories: Lettre aux arbres
に掲載してあります。
または、右側のYouTubeから観れますので、よろしければご覧下さい。
現在、「樹木の魂は、どこにあるのか。」はNo.15まで制作が進んでいますが、
12月31日掲載のNo.13で一応、attraper, captureできたのではないかと
思います。
また、今回は、僕が普段どのような樹木に対して交感しているのか、
実際の樹木の写真も3回に分けて掲載致します。

以下、雑感。

ちょうどフランスで「樹木への手紙」を描いている時に、母が倒れて、
僕はすっ飛んで帰って来た。
都心で「樹木への手紙」が描ける訳がない。
どこかの公園へでも行って、「剪定後の樹木への手紙」でも描くしかない。
でも今、僕の目の前には、フランス時代と同じか、あるいはそれ以上に美しい
冬の樹木たちが惜しげもなく、その裸体を冬の陽光にさらしている。
原生林の、雑木林の、手つかずの、人為のない僕の大好きな樹木たち。

僕は、神はいると、かなりはっきり感じるようになった。
あの時、僕はちょうどフランス時代で一番よい時だったし、例えば母の意識が
戻ってリハビリ病院に入って一段落した頃にでも、フランスに戻っていれば、
今目の前にこの自然はなかっただろうと思う。
でも僕は仕事やフランスを捨てて、母を選んだ。
物事には順序がある。
そうしたら、あの時以上に美しい、そしてここが実に不思議なところ
なのだけれど、僕の住んだフランスのウール・エ・ロワール県の風景に
極めて似た自然が目の前に広がっているということについて、
神がいると感じられないのなら、一体何について神の存在を思うのだろう。

この10、11月は僕にとって、標高1100mの初めての森の中での生活の
「夏の熱狂」が終わり、精神的に厳しい季節だった。
特に10月になって、森が引いていってしまうようになった時、
そのあまりの引力の強さに頭から体ごと何度も森の中に吸い込まれそうになって、
両手足に神経根炎のようなものが出て、ピリピリと痛くなり、つらかった。
森というのは、外から見ているのと、中で暮らしているのとでは、
その引力の桁が違うという体験をした。

この10、11月、僕は勉強していた。
まあ猛烈にやっていたと言ってもいいと思う。
体調が悪くても、勉強したり、写真を撮ったりはできるから。

この夏、トルストイの「復活」を読んで、その圧倒的な読後感から、
ちょっと一息つきたくなって、いつもドストエフスキーやトルストイばかり
読んでないで、少し他のものも読もうと思い、手にしたのが、
数学者の岡潔さんの著作「春宵十話」(光文社文庫)で、大自然から受ける
純粋直観の力をじかに情緒(こころ)に放り込むに多大な示唆を得て、
計算や論理は数学の本体ではない、に普段僕が感じていることと重なる部分を
不遜にも確認できて、思わず、あ、僕はいけるかもしれない、
と勇気をいただいた。
あとは自然の流れで、「人間の建設」(新潮文庫)に行き、
そこから思想家の小林秀雄さんの新潮社の全集、新潮CDの講演集へと進んだ。
そこから僕が得たものは、制作上の多大の示唆も含めて、簡単にまとめられる
ものじゃないけれども、最初に中軽井沢の図書館(とても立派な図書館です)で、
小林秀雄さんの全集を手にした時、しまった(というのは気づくのがあまりにも
遅すぎたという意味です)と思い、すぐにその場で見繕って5冊借り、
アマゾンで2冊注文して計7冊手元において、もうこの際、順番なんかどうでも
いいやと思い、第6巻の「ドストエフスキイの生活」から始めて、
第10巻「ゴッホの手紙」、第8巻「「罪と罰」についてⅡ」へと進み、
ちょっとペースが速いかなと思ったが、構うものかと思い、
第11巻「近代繪畫」のモネは別にどうと言うこともなく通過して、
セザンヌの「プランの魂」が震えるでぶっ飛んだ。
妻とエクサン・プロヴァンスのセザンヌの家からアトリエまで、
そしてサン・ヴィクトワール山を描いた場所まで歩いたことを思い出し、
我々はセザンヌの並外れた日常の体力について盛んに話し合ったのだけれど、
そうか、セザンヌはプランの魂を震わそうとしていたのか、そうだったのか、
しまったとまた思い、遅学者の悲しみの中にポトンと落ちた。
その後、第3巻の「「罪と罰」についてⅠ」へと、ノートをとりながら、
これらに必死でとりかかって、自分の制作上の方向性は大きな意味で
決して間違ってはいないことを僕の心の中で「確信」できたし、
自分に何が足りないのかについても気づくことができた。

何かに惹かれるようにして、小林秀雄さんが、生前住まわれていた
鎌倉の「山の上の家」をはじめ、三軒のお宅跡を訪ねたけれど、
手帳にメモした住所と駅前の観光案内所でもらった簡単な地図を頼りに、
多分この道を行ってここだなと次々と三軒のお宅跡が
当たり前のようにわかったことも不思議な感じがした。
「山の上の家」の門前で、感謝の気持ちを伝えさせていただいて、
礼をして帰った。

僕はこの後、小林秀雄さんの全集の読み込み、CDの聴きこみ、
そしてこの勉強の自然の流れで、柳田国男さんへと行くのだと思う。
帰国して間もなくの頃、長塚節さんの「土」を読み、強い印象を受けた理由も今、
ようやくわかった。

そんなことをしている内に、木の葉もすべて落ち、
樹木が一年で一番美しい冬を迎えた。
やっぱり、樹木は冬が一番美しい。
潔くて寡黙できりりとしている。

新緑だの紅葉だの葉っぱをつけた樹木なんかダメだね。
着飾っていて、何ともいえずいやらしい。

何かが始められるなと思うまでエスキース72枚。
その後、ピタッと止まってしまって、苦しんだ。
寝ている時に画想が浮かんで、朝7時半にNo.1を描いて、
これで何とかいけるかな。
わからない。

樹木の魂は毎日ひしひしと感じているので、
それがあるとかないとかいう問題ではない。
十分に気をつけていないと、それを隠そうとしにかかる自分こそが問題なんです。

これまでに、僕がすでに自分の心の中で確信したこと。
・自然は、互いに全く関係のない重層した輪の連鎖の中で、
すべて描くことができる。
・自然とは、逞しくて、生命力と死に満ち溢れていて、
均整がとれていなくて、不格好なもの。
・これらを土台として、言葉に依らない絵画を何とかして生み出すこと。

今、僕がいただいた勇気から、確かだと考え、信じ始めている方向性。
・デッサンは、絵画の本体ではない。
デッサンは、絵画の本体であるという、この常識中の常識が、
言葉に依るあらゆる絵画を生み出す諸悪の根源になっている。
つまり、デッサンというのは、イデオロギーな訳だ。
最初の段階で、みんなこのイデオロギーにつかまってしまうから、
自分流に信じることができない、世間流に信じる、
言葉に依る絵画が極自然に大量に生み出される、
何しろイデオロギーだから、それに加えて、世間に大量に存在することを
背景として、本人も自分は正しいと感じる、
それがまた会や団体を作って、ガードされながら、
飽くことなく繰り返されるという永遠たる図式。
小林秀雄さんが、1974年の講演で、「今のインテリには反省がない」と
言われているのは、まさしくここのところにある。
以来39年、飯の種は状況を変えない。
その人は、デッサンができるという知識を描いたのであって、
それは少なくとも僕にとっては絵ではない。
絵というのは、何かができるという芸ではない。特技ではない。
さらに言えば、もう一つ。
おそらく、遠近法等のデッサンは、維新の頃から盛んに我が国に導入された
のだと思うが、ヨーロッパに7年いて、つくづくわかったのだけれど、
彼らは論理の人だから、これに合う。でも我々は、論理の人ではない。
我々が我々の根源に基づく、西洋の人たちには、なかなか掴みにくいものを
土台として、それを魂と言っても、情緒(こころ)と言っても、
直接の自分の経験と言っても、デッサンの否定と言ってもいいけれど、
そこに圧倒的な表現力をもつ観ている人の存在を根底から揺さぶるような
言葉に依らない絵画ができる可能性があるのではないか。
少なくとも何故すぐにないと言うのか。
疑ってみる余地が大いにあるのではないか。

以上です。

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