クリント· イーストウッド方式

二人展をしている最中にクリント· イーストウッドの最新主演作「人生の特等席」
の記事を新聞で読みました。

パリのモンマルトルに住んでいた頃、日曜日になるとサン· ラサール駅の近くに
ある映画館にフランス語の勉強を兼ねてよく通っていました。
日曜日の一回目の上映に行くと、5ユーロ(当時)で観ることができたからです。
モンマルトルの部屋から、ほとんどのお店が閉まる閑散とした日曜日のパリの
街を映画館までぶらぶらと30分くらいかけて歩いて行くのが好きでした。

この映画館では一人で随分いろいろな映画を観たけれど、2004年に
クリント· イーストウッドの「ミリオンダラー·ベイビー」を観た時には強い印象を
受けました。
イーストウッドって若い頃はかなりの(失礼ながら本当にかなりの)
大根役者でした。
それが当時74歳にもなって何て演技が瑞々しいのだろう、いくつもの心の襞を
何でこんなにも優しく大らかに体現できるのだろうと思いかなり感動しました。
その後モンパルナスの映画館で2008年に妻と「グラン·トリノ」を観た時にも
同じ観点から「この人は全然違う」と感じました。

早くに独立して監督主演をしながら賞レースとは無縁の一種形容のつかない
B級のような映画を撮り続けることで、結局人生の最後になって役者としても
監督としても一番瑞々しいのは彼だったということは、僕に大きなヒントを与えて
くれました。

僕はこれを個人的に「クリント· イーストウッド方式」と名付け、早くに独立して
個展を繰り返す自分と重ね合わせて「制作ノート」にその概要をメモしたのは
2007年のことだったと思います。

作家は個展を繰り返すことでしか前に進めない。
でも個展を繰り返すというのは大変なことですので、そんな時は、
自分に「クリント· イーストウッド方式、クリント· イーストウッド方式」と
繰り返し言って自分を励ましています。

ところで「人は何故個展をするのでしょうか」
これは根本的な大問題です。
これについては日を改めて一度きちんと書いてみたい。
書けた内容云々ではなく、この問題には一作家として正面から取り組んで
みたいのです。

さて二人展の最終日、いつも応援して下さるアートディレクターのK氏がご来場、
弾む会話の中でさりげなく井上有一作品集を出されました。
わからないように気を使われながら、予め本をご用意下さったのは
明らかだと思います。
僕が二人展の最終日にこの本と出会ったのは単なる偶然ではないと思います。
浅学な僕は凄く恥ずかしいのですが、井上有一という方を知りませんでした。
作品集を観て、これは「世界レベル」だな「ワールド·クラス」だなと感じました。
「島国王者」じゃないということです。
島国王者とは別名「地域の名士」とも言います。
これについては話しがそれますので、また別の機会に書きます。

氏の一連のコンテ書作品を観て、自分のやってきたこと、考えてきたことの
方向性は間違っていないなと思いました。
要は思考の行き着く先は同じことになるということで、
地球をある地点から右回りに半周しようが左回りに半周しようが、
同じ地点で出くわすということです。
僕の場合はJean DUBUFFET からJean-Michel BASQUIATと来てこの考え方に
辿り着きました。
以前のエッセー「ドラクロアの三角形を回す」にも書きましたが、
DUBUFFETという人は凄い才能をもった人で、パリのポンピドゥーで街や公園、
すなわち地図なんか全部上から叩きつぶしてしまえばいいんだよな、
と彼の作品を観て衝撃を受け、そうだよなそう来なくちゃなと思い、
ロンドンのテート·モダンでも必死で観ました。
パリ市立近代美術館でBASQUIATの大回顧展を観た時、DUBUFFETの系譜を
はっきりとそこに感じポンピドゥ−ーでBASQUIATの作品を再度観て確かめて、
自分で独自に発展させてきた考えをもとに
「これは、いったいカ(か)なのだろうか、力(ちから)なのだろうか」という
作品を今年の3月に8枚作りましたが、それは、カの字を紙面いっぱいに
何個も何個も書きなぐった作品で、一連の無意識の問題は結局これですべて表せる
と思いましたが、常規を逸しているので、それをここに載せてもいいものかと
思い、載せなかった、自分のその気の弱さこそが最大の致命的なところなのだ
ということです。

今年の12月から来年の4月にかけての仕事は、今連作している「私の構図」です。
16まで描いたところで、これはとてもこれだけでは終わらないと思い、
次第に構想が大きく膨らみ始め、第2章「拡散」、第3章「溶解」として終わろう
かと思いましたが、そんな起承転結なんか新聞記者じゃあるまいし、
DUBUFFETみたいに上からぶっつぶして、とことんやってみようと、病い、暗黒、
地獄の底、再起、再生、、、などをテーマに描いてみようと思います。

今回の二人展の垣内さんの再出発は、まるでドストエフスキーの「罪と罰」の
最後の場面、最終ページそのもので、僕はちょうど先月、何度目かを読み終えた
ところなのですが、僕の目標はいつの日かソーニャを描くことなんです。
タイトルまでもう“Sonia Painting”と決めてあるんです。
「私の構図」が描けなければ、とても「ソーニャ」まではいけないだろうな。

ちなみに1866年の「罪と罰」から1880年の「カラマーゾフの兄弟」への
ベクトルで、総合小説、複合的な視点、小説としての完成度の観点から語られ
ることが多いみたいだけれど、僕のベクトルは逆方向で、僕はこの二作品から、
芸術は結局は「原石勝負」なのではないかということを強く感じました。
野球でいったら、とにかく足が速くて肩が強い、ということです。
ボクシングでいったら、ディフェンスは悪いし、フットワークはべた足、
でもとにかくパンチがある、ということです。
もちろんスポーツと芸術は違う訳だけれど、例えです、例え。

もう一つ12月から来年にかけての仕事は、
「マントノンの思い出 ーあるいは世の中の極めて胡散臭い物事に対する
自分なりのささやかな反論ー」と題する散文だかお話だかを書いてみたい。
実は少しもう書き始めました。
マントノンの生活から1年以上が経ち、書くにはもういい頃だと思います。

以上です。

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