脳は「ズレ」を楽しむ

僕が最近考えていることの一つに、絵画には様々な矛盾があってよい、
つじつまが合わなくてよいということがあります。
絵画のつじつま合わせをしない、つじつまを合わせると絵画がつまらなくなる
という考えです。

この考えに最初に気づいたのは、2008年11月にMusée d’Art moderne
de la Ville de ParisでRaoul Dufy展を観た時でした。
そしてこの気づきを出発点として独自にこの考え方を発展させてきました。
Dufyは、画業の初期や中期はHenri Matisseと共に歩んだと言うか、
明らかにMatisseの影響が感じられる絵を描いています。
また画集を観ていてもあまり伝わって来ないと思うのですが、彼の芸術が大きく
花開いた晩年の作品を目の前にして、言葉を失うくらい美しいと何度も思い圧倒され
ました。
その時に気づいたことは、彼は画業の後期になるにつれて、例えば鳥の羽根など
を半分くらいしか塗らないということです。
あとの半分ははみ出して勝手に羽根の外を塗っています。
明らかに意図的にそれを繰り返しているのを感じました。
それも執拗に繰り返しています。
普通は三角形でも、四角形でも線を引いたらその中を塗る訳です。
しかし彼は、その中を半分くらいしか塗らない、あとの半分は線からはみ出して
外側を塗っている。
一体これは何なんだろうかと考えました。
僕が出した結論は、どうも我々の脳には「ズレ」を楽しむというか、すき間を埋める、
足りないところを補う、そうした働きが脳の喜びとして存在しているのではないか
ということです。
つまり我々の脳は不完全さを見つけると、それを埋めようとして、喜んで活発に
動き出す、働き出すということです。
この時以来、我々の脳には不完全さを楽しむ働きがあるのではないかと
考えるようになりました。

これとは反対に完璧に塗られた絵を前にすると、もう脳がすることはあまりない訳です。
したがって脳が動き出さない、働き出さない、脳が喜びを感じないとなります。
「美人は3日で飽きる」なども脳のこの類いの例だと思います。
また完璧に塗られた絵を前にして、ホッとしたい、寛ぎたいなどの場合は、
脳のある種の停止状態を求めているとも言えます。

あの時、「脳はズレを楽しむ」ということを学んだことは、その後、ヨーロッパで
様々な作品を観た時に、その解釈にかなり役立ったように思います。

上手いデッサンに走らないためにわざと左手で描いた右利きのDufyは、意のままに
ならない左手のデッサンの中に、「意のまま」とのズレを見出していたのでしょうか。
そこに意識と無意識とのズレや矛盾を楽しんでいたのでしょうか。
今回当時の資料を見ていて、驚いたことが一つ。
あの時の大回顧展のタイトルが、「Le plaisir」(喜び)だったことです。
作り手の脳が喜んでいないでどうするのか。
僕は貴重なことを教えてくれ気づかせてくれたDufyに深く感謝しています。

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